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今日の感謝盤一覧2005.5上

 

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1

5/1(日)
おしゃれ泥棒
cover
Bubbles
Free Design
1999

シリーズ「お日様POP」

やられました。完全に。フリー・デザイン。名前だけは知ってたんですけど。聞く噂はソフトロックの隠れた名バンドとして渋谷系某が推奨、音楽教育をばっちし受けた方が姉妹と作った、そして何よりおされ〜。いやー全く我が家に似合わないす。そしたら先週のレコード屋さん詣でで中古アナログに遭遇、それがまたこのジャケット。10インチ盤2枚組。白ヴィニール盤。価格千円。しかし傷有り。ああ何てステキ。って思わず買ってしまいました。帰って開いてみたら中袋もまーお洒落。そのまま街のブチークで飾るためだけに買って帰るマヌカーンさんがおっても何の不思議はございません。聴くと中身もそのままなんです。これが60’s後半に作られた音楽かいの。目から鱗がばりばり言って剥がれた。なーんの説明も入って無かったんで調べますとこれCDも出てるそうで。スペインはマドリッドのシエスタとゆうレーベルが組んだコンピ。その道では有名なとこらしい。してフリー・デザインとは。ニューヨーク出身リーダーはクリス・デドリック。音楽秀才さん。彼が音楽をがっちり作って妹、弟?のクリス、サンディ、エレン、ステファニーと作ったバンド。68年にプロジェクト3つう梁山泊みたいなレーベルからシングル「凧は楽しいな」でデビュー。製作はイージーリスニング、映画音楽で膨大な仕事をしておりますイノック・ライト氏、エンジニアはフィル・ラモーン氏と。聴いて思い出すのがカーペンターズ、ハーパース・ビザール、そしてペット・サウンズ。ミレニアムとかいわゆるソフト・ロックってのは当然としてあとジョージー・フェイム兄さんなんかも。ヒットとは無縁だったらしく、こんなキャッチー&POPで曲も極上演奏だってって思うもののそうだろなと納得するところもあり。ぶっ飛んでます。時代的に突き抜けすぎて周囲は目が点だったのかも。それはペット・サウンズと同じで。その音楽で開眼した子供たちがさらなるモンスター音楽を作ったのだなあ。目を見据えてやろうとするところがしっかり見えてるから全く音が古くありません。これが洗練と言うのだな。ヒットせず消費もされて無いので現在でもピッカピカです。その姿勢たるや無慈悲なまでにストイック。しかも冷たくは全然無し。もう無慈悲な意志強固音楽大好きですからわたしゃコロリと。カラーヴィニールだからあんまり聴くと音落ちちゃうけど止まらないよまた聴いちゃう。アカデミックな野郎がPOPセンス持って存分にやられたらもう口アングリです。私にはどう逆立ちしたってこんなん作れません。憧れちゃうにゃトロ。そして大尊敬いたします。悔しいけど。目の前でプロのとんでもない御技見せ付けられた気分。見つけたらまた買うぞ。ハードコアお日様POPの究極かと。一番好きな曲はフレンドリイ・マン。最後の曲はスザンヌ・ベガみたい。CMで使われてしまいそうだわ。そして最後にリパッケージしたシエスタ・レーベルさん。逆らいません、あんたはお洒落。ここまでのお仕事感服の次第。ただ私はこんなん聴いてますからセンス・セレブでございますって展開してる業界サイトなど偶然見ちゃったらさぞかしむかつくでありましょう。楽して音楽を利用するなかれ。

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5/2(月)
メンフィス・クイーン
cover
I Can't Stand the Rain
Ann Peebles
1974

シリーズ「ブラック道」

この全米人間即頭部選手権ノミネートno.18番みたいなジャケの女性はメンフィス・リトル・クイーンの異名を持ちますアン・ピーブルズさん。サザン・ソウルの妖怪電車レーベル、ハイの看板女性歌手です。男性部門の看板はアル・グリーン氏。アン嬢はポップ・チャートのヒットこそ一発屋さんだったけどダブルAのこの二人のおかげでメンフィスにハイ有りと全米中に名前が鳴り響きましたどーんと。そしてその一発ヒットを1曲目に持つキラー・アルバムがこれなのだ。1947年8月27日セントルイス生まれ、身長160cmほど。デビューは69年。人気獲得は70年の「パートタイム・ラブ」とゆうシングルからです。サザン・ソウルの女性シンガーつうとイメージ的に巨大で大汗流しながらどっすんどっすんシャウトーてな感じだけどこの人の場合はいささか様子が違い、小柄で痩せぎすさんだし、歌も独特だぞ。野菜に例えればゴボウだな。昨日の晩のうちのご飯のオカズは牛肉の柳川風でした。そのゴボウみたいですから存在感そりゃ物凄いです。製作はハイの棟梁、ウイリー・ミッチェル氏、この方はだし汁に当たり、バックはハイのレーベル・ハウス・バンド、ハイ・リズムの面々。彼らは牛肉と卵ね。さー1曲目、キラー・チューン、アイ・キャン・スアンド・ザ・レイン。タイトル書くだけでメロディが出て来ちゃう。冒頭の雨音鍵盤音がテクノしてます。なんだろこれ。シンセじゃ無いな。オルガンのぽんぽんSW入れたのかも。この音のインパクト強大です。これで掴みはバッチシ。何だろなと思ってると一部裏返ったアン嬢の声が立ち上がっていきなしリズム乱入。この入り方ってまったく。このリズム、これがハイ・サウンド。スネア・ドラムの皮に張り付いた悪霊を一つ一つ削ぎ落とすかのようなドラム音。どうやったらこんな音が出るのか。企業秘密だなこれは。ずんずんずんずんベースがまとわりついてピャーウヒャアってオルガンが絡んでブパーってブラスがねっとりと。その上にゴボウのアンさんが油断すると張り手かまされそうな歌声で失恋の歌を。わたしゃ、私の窓に当たる雨が我慢できない。音の一つ一つが甘い想い出を思い起こさせるから。ですって。全然落ち込んでるみたいには思えません。女性は強し。作はドン・ブライアント、バーナード・ミラー、そしてアン嬢。ドン氏は自らも歌手な人で後にアンさんとご夫婦になったベスト・パートナー。この盤で7曲共に作ってます。そして続々飛び出すスルメ・ソウル曲。やらた叫べば良いってもんじゃ無し。根の味の濃さ相当ですから。薄い人間がいくらぎゃあぎゃあ言ってもこれには適いません。長さもほとんど2分台。あっけなく終わるのばっか。これまた長けりゃいいってもんじゃ無し。詰まんない曲ほど妙に長くなるでしょうよくあるでしょう。物足りなかったら何回でも聴けば良いのだ。そこまで面倒見ないわよアンさんは。すいません。A面でのファイバリットは最後のランランラン。このラッパ対ピーブルズの合戦。ちわきなおみ。じゃ無かった血湧き肉踊ります。ドラムのハイハットワークも見もの。これ以上遅くなると停車しそうだ。B面はまず1曲目、CDでは6.の信じあっての二人。この軽妙で重い味。これはもうハイでなければ味わえません味。普通有り得ないんだけんど。そして勘弁しておくんなまし。やっぱり感じ入ってしまいますのがアイ・ゴナ・ティア・ユア・プレイアウス・ダウン。何故ってほらグラハム・パーカー氏のアルバム、スティック・トゥ・ミーでのカバーがあります。あれのオリジナルや。グラハム氏に比べると全然軽いけど。そこはゴボウ人間ですから。怖いです。アクは抜かずにそのまま召し上がれ。しかしいい曲。向こうがクールなだけにこっちが燃え上がる次第。最後は堂々たるバラードで締め。30年アルバムです。今の基準でいやー地味って言えば地味かもしれんが。持ってて盤が重くて重くてまー。例えばトーキング・ヘッズ好きの人も同じ次元で楽しめること請け合い。ってどうだろう請合えないかもしれないけど(^0^)、一回シンクロしたらえらいことになります。健康にも不健康にもなれる。

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5/3(火)
王様の神殿
cover
Ritchie Blackmore's Rainbow
Rainbow
1975

シリーズ「直球野郎一本勝負」

ここROCKSは古い新譜を扱うサイトでありまするがさすがにこの盤だけはああ懐かしさが先に来るリッチー・ぴかちゅう・ブラックモア先生がすったあもんだのあげくディープ・パープル脱退後に結成したバンド、レインボーの1stアルバム。その名も「銀嶺の覇者」。評判悪かった記憶有り。地味だーとか。その割りに表題曲シングルはラジオのロック番組でがんがんかかってたもんね。皆好きだったのだ。まずは邦題に乾杯。なかなか銀嶺と思いつくもんじゃありません。ビスケットでも丁度食べておったのでしょうか。ありゃギンビスか。ミディアム・テンポでこのリフです。どうしたってスモーク・オン・ザ・ウォーター思い出しちゃう。やたーてなもんでこれをやって欲しかった。そしてこのヴォーカル。よくぞいたもんだよロニー・ジェイムス・デュオさん。生まれた時に象にノドを踏まれたとしか思えません声の持ち主。一度発した声がケツまで一旦下がって鼻から出て来る。ケツから鼻に抜けるとはこのことだ。興福寺の木廊下で生臭和尚に延々説教聞かされてるかのごときこの曲、本当に最高です。リッチーはんて優れたギタリストで有る前にまっこと素晴らしいメロディ・センスの持ち主。ロックのツボ、ロックなPOPのセンスを完全会得しております。だもんでのこのリフだし。絡むアルペジオだしソロも一々名演となる訳で。こうゆうのは実質的運指訓練だけじゃ身に付くもんじゃない耳の修行も怠らなかったつうことかも。パープルを止めた理由はファンキーが嫌なのねと聞いておりました。でもまー今聴くとこれだってかなりファンキーでんがな。リズム・セクション跳ねてるしいい味出してるベースのお兄ちゃん。まるでブッカーT&MG’S。つうより昨日やらせて貰ったハイ・リズムでやったら面白かったかも。ありえねえ。とゆうことで最高の銀嶺ちゃん。他の曲もいかしてる。2曲目自画像はワルツタイムで早速の中世風味。とは言え騎士つう柄の顔の面がおる訳で無いのでこのジャケのお城が見える城下町の酒場でこの前の戦で5人ぶっ倒してやったぞ、ほんとかよと自慢する槍持ちの風情でございます。しっかりとフレットを踏みにじってるギター・ソロ、ダークだ。3.の黒羊家族って自分達のこと歌ってるんじゃ無いか。リッチー先生曲に絡んでなくさらっと流してるけどこりゃ良い曲かと。アルバムの中で嬉しいアッパーPOPな一品。4.は白眉曲、虹をつかもう。冒頭でちと笑っちゃったりして。まんまや。ジミ・ヘンドリックスさん。もしくはロビン・トロワーさん。ところがサビに差し掛かる頃にはパープル化してるぞ。手品みたい。このひねりが無くて真っ直ぐな馬鹿にしやがるならしやがれのロックバラード快感をさあ味わおう。5.の蛇チャマリンも妙にトロワー氏とシンクロ。ロニーさんの歌い方もあるからなおのことで。私好きですから。好きです。6.はこの前の手柄でお城に招かれたおりの城内の有様、そりゃお姫様が綺麗でしたと述懐してる歌。に違いない。後年そこにいた女中頭のお嬢をお姫様と勘違いして誘拐、ブラックモアズ・ナイトになるのである。いまだに本物と思い込んでるのでまったく逆らえません。いいじゃないの幸せならば。すまぬ。次はまた冗談みたいなもろロックンロールでタイトルが「もしロックンロールが嫌いなら」と来たもんだ。もし嫌いでももう遅すぎるだって。白状してるみたい。ほんとリッチーさん、ロック好きなのか嫌いなのか。嫌いだ嫌いだ言いながらやってる顔見てると喜んでるとしか思えないそうゆう男リッチー。終わったらああ、嫌だったってまた言ってます。8.は文句言いたそうなディオ氏の歌とつたたかきこきんかきこきんと入って毟るギターがったぷし堪能出来る、理屈っぽいリフもナイス。最後はヤードバーズのあの曲だ。なぜやったのか。やりたかったのだ。ここでのMVPはおポンチなトップシンバルするドラム氏。わざわざ大変なのにずっと叩き続ける。やれって言われたのでしょうか。はい親分。特別な感慨有りますこの1st。愛着度では結局一番有りで。ファンキーが嫌でパープル抜けたってんじゃ無くて人の言うことを聴くのが嫌で辞めたつうことがよくわかります。これぞギタリストの鑑であります。何と言っても曲が粒揃いだから全編楽しめる。下世話さもいい按配で後年のとは質が違うと僭越ながら断言してもよろしいでしょうか。

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5/4(水)
メロウ父さん
cover
The Best of Dave Mason
Dave Mason
1981

シリーズ「ギター屋」

毎日もしや感謝してると言いながら失礼なことを結構書いちゃってるかもと恐縮です。今日は特に失礼してしまうかもしれず、熱烈なファンの方はお読みにならない方がいいかも。「死刑!」は困るん。デイブ・メイスンさん。英国の霧の摩周湖バンド、トラフィックのメンバーだった方。ソロ転向後は独自のメロウ道邁進して全米トップ40ヒットも2曲お持ちです。何よりアローン・トゥゲザー・アルバムで英国スワンプの口火を切ってシーンの先頭を走っておったのだ。ギタリストとしても独特のスタイル、ノリ。聴けば一発でわかるつう稀有な存在、そして何より曲作りが最高、音楽の神様がしょっちゅう降りてきてもうすっかり仲良しだからベスト盤はもうそりゃ大変な楽しさでござる。私も大好きで楽譜集など開いては弾いてみ歌ってみしますとああ、何て素晴らし曲なんだと。ところが大好きな一方、ここのところ聴いてると困った感触が襲って来てしまい。うーん例えれば今までローウェル・ジョージはんが歌ってたと思ったらいきなし顔がライオネル・リッチーまんどりるに変わってるよみたいな。大好きと嫌悪感が瞬間にチェーンジしちゃって。とにかく親父臭いかもしれない。私が歳取ってその親父臭さを気にしてるだけなんだろうけど。とてもステキな靴履いてらっしゃいますねって言ったら、そうかいじゃ近くで見せてあげるって履いたまま、ほらって見ますと靴は最高だけど黒のナイロン靴下履いてて、ムっとオイニイが。お顔を見るとニコニコしてるので何も言えなくなってしまったよ。その瞬間は1.の流れるままのラストだったり一番はウイル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウでして、かなり本人気持ち良さそう。親父カラオケ熱唱、自己陶酔真っ最中の恐ろしさがどどっと。それがまたおっそろしく上手いんで文句など言っちゃなんだけど周囲も誰も気付かず。ご本人もどう考えても優しいステキなお方で。うーん、どう言ったら良いか。パンクの標的に一番なりそうなんです。無垢の厚かましさつうか。天然キャラのお笑い芸人さんが歳を取って講釈のたまうようになってTVで見てしまい言いようの無い寂しさに襲われるみたいな。こりゃもう好きなだけに困りに困っております。ウィ・ジャスト・ディスアグリーなんてもう完璧な曲なんだよな。曲と歌詞が完全融合、最初から最後までこっちも陶酔しちゃうけど。気になると歌をうなるとことかコブシころころとかたまらなくなります。音楽は恋愛に似て好きになるとアバタもエクボ、欠点は長所です。そこが特俵上、どっちでもいいってのなら聴かずにすますけど、一瞬にして恐ろしいアバタから美しいエクボへ変わるからなあ。今日もまた困りながら聴いてしまう。とても親しみやすくて身内感がどんどん出て来て、他人なら腹も立たないけど家族だと腹が立つそんな感触かもしれません。考えてみればそんな風に思えるミュージシャンさんてのもかなり数少ないよな。わ、パラライズドだ。Yジョージさんに似てます。かなりやばい(^0^)。どうしよう。次はエヴリ・ウーマン。ああ、素敵だ。

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選択肢

5/5(木)
アハアハ
cover
KC and the Sunshine Band
K.C. & the Sunshine Band
1975

シリーズ「FuNx」

入手可能になったようです。これでついにKC’sのこのアルバムについて書かせて貰える。ああ、ROCKSやらせていただいて良かった。「ゲット・ダウン・トゥナイト」「ザッツ・ザ・ウエイ」の強力大ヒット2曲を擁するバンド2作目、75年の作品です。世間ではどーもそのアハアハのデスコ・バンド、雑誌なんかじゃけっして特集組まれそうも無し。ホワイト・ファンクと言うには歌は丸っきり真っ白貧弱、主要メンバーのお二人は思いっきりアイドル顔ですから。本国でもパーティ・バンド扱いでライノから出てたCDもどこへ行ったのか。しかーし思い出してみて下さい。その2曲、フロアで流れて来たとたんうわーっと会場大盛り上がりだったではないですか。若い方はジャケ画像ポチっとリンクで試聴してみて下さい。なーんも感じなかったらすみません退散いたします。少しでもおおっと感じられましたら是非ご入場を。めくるめくマイアミ・サウンドの世界に。
KC&ザ・サンシャイン・バンドこの時点でのメンバーは

※ハリー・ウエイン・ケーシー:1951年1月31日フロリダ生まれ。歌と鍵盤担当。バンド所属のTKプロダクション社長ヘンリー・ストーン氏経営のドーン・レコードつう問屋で働いていて見初められ彼の作ったレーベル、アルストン、キャット、グラデス、TK等々のメイン・コンポーザーに。72年に相棒のリチャード・フィンチと出会ってKC’Sを結成いたしました。

※リチャード・フィンチ:1954年1月25日インディアナポリス生まれ。ベース、ドラムス、打楽器担当。TKレーベルにエンジニアとして入社したところケーシー君とすっかり意気投合。サウンドの骨格映像をばっちし決めてるのはこの方か。

※ジェローム・スミス:1953年6月18日フロリダ生まれ。ギター担当。16歳の時からプロ活動初めて、腕前を買われTK所属ベティ・ライトさんのバック・バンドで活動しておりました。2000年の8月に事故で亡くなられているぞうで、無念。ナイル・ロジャースより前にリズム・ギター・ファンクをばりばりやっておったのだ。

※ロバート・ジョンソン:1953年生まれ。ドラムス担当。ジェローム君と幼馴染。同じくベティ・ライト嬢のバック・バンドで活動しておったそう。

このそこそこ20歳ちょこっとの若い連中がこのマイアミ・サウンドを創造いたしました。ファンクはファンク。過去の遺産を総結集したものでござるが、何より空気、味が全く新しきもの。その空気はフロリダ・マイアミとしか言う他は無くこれを為し得たって事は相当凄いことかと。この2ndアルバム、1stで荒っぽく外観を見せていたKC’Sの音のど真ん中をついにがっちり掴んだものです。どこを切ってもKC’Sだらけ。ストイックにグルーヴまたグルーヴだ。あっけなく終わる「さー行こー」で始まって必殺のザッツ・ザ・ウエイに引き継ぎ、これまたキラー、ゲットダウン・トゥナイトへ。若いから出来る無茶テープ早回しギターソロ。このイントロ合わせるの大変だったぞきっと。快感のスネア連打からボトム・ベース&ステディ・リズム・ギター。ここではアルバム・ヴァージョンですからラッパのソロを聴いて下さい。歌のメロディまんま(^0^)。いやークールだ。A面最後はフロリダの陽光降り注ぐ呑気なブギー・シューズであっとゆうまに終了。B面はメロウ版kc’sのエイント・ナッシング・ロングで開始。韻と短いセンテンス連呼にセンス凝縮、覚えやすくて。けどこう作るのは神様降りてこないと絶対無理です。6.のアイム・ソー・クレイジーはバブルガム風味も聴いたPOPな一品。スネアがリム・ショットなのがミソ。7.の「あの娘にハッピー」はヘヴィ・ファンク。アハものですから。重いは重いけんども足元は運動靴で素軽い軽い。8.のアイ・ゲット・リフテッドは後半のハイライト。マイアミ・サウンドの爆発着火点「ロック・ユア・ベイビー」を歌ったジョージ・マックレー氏に提供した曲のセルフ・カバー。暖かかったマックレーさんに比べてこちらはあくまで冷徹、クールでナイフが首元に。いやかっこいい。ラストは冒頭の「さー、行って見よー(第2部)」。そうですこれからkc’sの快進撃は始まるのだ。KC君のボーカルはどこかダリル・ホールちゃんに似ております。あんなに力強くこねたりもせーへんけど。軽く全然無理して無い。それだけにバンド全体一丸のサウンド。歌もリフ化させてメッセージも直球。余計な音は入れず。これがこの人達の発明した音楽。もし楽しめない人がおったなら本当に気の毒。機会がありまたら是非入手なさって目一杯踊って下さい。グレーテスト・ヒッツだけでは納まらない何かを掴んでピッカピカになってる音楽若者の音が詰まっております。

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5/6(金)
魔法の生
cover
America Live
America
1977/11

シリーズ「うえす塔こうす塔」

アメリカ初のライブ・アルバムは77年の11月にリリースされました。同年7月24日のロスアンジェルスはグリーク・シアターでの公演を収録。ワーナーでの最後の盤、初のHの頭文字で始まらないタイトル、そして何よりダン・ピークさん脱退後初と言うことで色々な意味で節目となり。75年の「ハーツ」での2曲のスーパー・ヒットで頂点に立ったもののその後の2作ではちと地味目でシングル・ヒット無し。バンドの中では男っぽさ代表、ヒット曲とは無縁だったダンさんが一歩引いちゃったのかな。アルバムの中で彼の曲はピリと効いた山椒みたいな存在だったんだけど、胸きゅん甘さコンビ二人のみ。これはじわじわボデーブローで効いてきそう。その後、ダン・ピーク氏は相変わらず地味ながらも現在までマイペースでアルバム発表し続けておりましてある意味成功に縛られなくて彼にとっては良かったのかもしれません。さてこのライブ盤。ちょっとこの時期特に日本では逆風吹いちゃってだんだよな。前年の日本公演でいささかはしゃぎ過ぎちゃったらしく、ヘタクソだーって評判が立っちゃって。それに追い風で当時出回っておりました「金髪の髪の少女」のフィルム、これは私も見たことあるんすが、何でこんなんOKしたのーてなぐらいラフ。つまりヘタクソな一品。とにかく演奏が下手なバンドには厳しいジャパーン・ピープル、これでもう馬鹿にされバンドになってしまいました。あまりにもスタジオ盤のプロダクションが完璧でその落差大過ぎやってのもあるんだけど。嫌ーなムードの中のライブ盤、しかもデータですとワン・ナイトのやつのってんでおいおい大丈夫かよ駄目駄目これはスルーだなとなるか。とんでも無いわしゃ神様だよ、じゃなくてトンでもないばっちりOKです。聴けばわかるさ聴けば道が見えてくるってんでそんな言われてるほど下手じゃ無いぞ。そりゃあの完璧さに比べりゃラフですけんどライブ盤だから逆に大人しく丁寧第一にやられちゃ面白くも何ともなし。これくらい生々しいのがわたしゃ大好き。それにまー曲目をご覧になっておくんなまし。魔法のロボットに始まってあの2曲「シスター・ゴールデン・ヘア」も「ひなぎくのジェーン」もしっかり入ってる。暴走気味のシスターだけど。あの難曲ベンチュラ・ハイウエイにも挑戦。改めていかに彼らがステキな曲を残してくれたか。次々と繰り出されるのに嬉しいばっかりでもう至福の時間を過ごせること請け合い。ラストは無謀にも(^0^)あの地味地味ヒット曲名前の無い馬。どうなることかと固唾を呑んでおりますとそこに登場助っ人エルマー・バーンスタインさん。名前からしてバーンしてるこのおじさん指揮の超華麗オーケストラがバックで参加で曲を無茶苦茶にしてる・・・訳では無くそこはきちんと関与はジョージ・マーティン名人ですからバッチリはまって不思議な華やかさを。とても気持ちがいい気分で聴き終わることが出来ますのだ。人間演奏の力強さ、弱さで魅力を出したアメリカの面々。70’sの申し子だったのかも。このあとヒット的な復活は82年の「ユー・キャン・ドゥ・マジック」まで待たねばならないけどそれはまー、うーんと、個人的にはあれなんで、ここで契約の〆の定番とは言えきちんとした形でライブ・アルバム出しておいてくれて本当に良かったです。かなりの頻度で聴きたくなるのだ。偉大なるアマチュア・プロ・バンド、アメリカ。最高。

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5/8(日)
21世紀ファンク
cover
Homework
Daft Punk
1997

シリーズ「テクノ家」

新しい音楽には辛いぞ。親父ですから。若い芽は摘んで叩きのめさねばならぬわかっかっかっ。てのは冗談ですけんど鳴り物入りで登場する数々のバンドにどうもピンと来ず寂しいよ実際。そんな中で一切かっさい関係無くど夢中になれますのがこのダフト・パンク。理屈はともかく夢中になれる要素として非常に重要なのはやりたくなること。嫉妬さえ出来ればそりゃ最高。この人達の音楽聴いてると久し振りにシーケンサー引っ張り出してガンガン、プログラム組みたくなるのだ。ダフトさん、この盤でデビューのフランスはパリ発信の二人組です。同時にセルジュはんとかアニーとボンボンとか聴いてると隔世の感有り。パリってとんでもないことになってるのねー。何が話題になったってシングルの「アラウンド・ザ・ワールド」のビデオ・クリップです。MTVのリンク張りましたので見ておくんなまし。曲に合わせて踊る素晴らしき大人数アホポンタン。その踊りがまた素晴らしきポンポコリン。こんなん見せられちゃ好きになるっきゃ無し。21世紀のバカロック若大将はあんたらに任せた。さて肝心な音盤の方は2ndのディスカバリーは入手していたもののその曲が入ってるこれはずっと未聴のまま。何とも片手落ち。それが先週何と中古アナログで発見されました。立体ジャケWジャケ中袋豪華の嬉しいもの。聴いてまたまた仰天よ。2ndとかなり音が違うやんけ。あっちがフィリー・ソウル、華麗なダンス・フロアならこちらはソリッド・ファンク。骨太も骨太。子犬ならでか過ぎて口に入らないよ。現在音楽を作る上で重要なことと申しましたら、なんせデジタルマルチトラックで理論上は無制限に劣化無しで音が重ねられる世界、しかも生楽器を使わないテクノならアクの強い文句たれのスタジオ・ミュージシャンもおりませんしやろうと思えばどんどん音を重ねられる。ですからどの音を自分が出したいのかしっかり把握して絞り込んで、むしろ削ぎ落とすセンスが必要かと思います。その辺りベテランさんは昔の不自由な環境経験済みですから音成金になっちゃってもうゴージャスに作っちゃいがちで逆に不利。若い人はそれが当たり前で育って来たからそれなりに有利かも。このレコードはそれが最高。中心にぶっといグルーヴ渦巻いてる。シングルになったリボリューション909、ダ・ファンク、アラウンド・ザ・ワールドもより容赦無くソリッドになってる。と感じる。最近の人に多い媚び媚びカメラ目線も皆無、自らの正体すら出さず、まー無慈悲クール音楽ファンにはたまりません。音楽はストイックじゃなけりゃあかーん。さらに素敵なのはテクノのくせにお肉、血、汗満載なところ。最初の方は繰り返し機械ビートに我慢に我慢、静かに熱狂を保つも2枚目中盤あたりからそれに喰ってかかって暴走開始始めます。その手管にこちらも同時熱狂、大音量で低音ビンビンで踊りまくる。久し振りに昔ア・サーテン・レシオがニュー・ウエイブ・ディスコで大音量でかかった時の興奮思い出す次第。こりゃペンコペンコ、プログラミングしてたんじゃ出せない音。ベース・トラック作った後はアナログ・シンセでリアルタイムで噛み付いていったか。どんどん出て来るテクノロジーに振り回されてもしょうがないかもしれない今の音楽シーンでこうして征服して遊び倒す音楽を聴けるのは無上の喜びでございます。やるか俺も。これなら得意だぜ。

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5/9(月)
未来はどこに?
cover
Doubt
Jesus Jones
1991

シリーズ「from 80'S」

我が音楽人生に節目アルバムつうのがあるとしたらこのジーザス・ジョーンズの2ndもそうです。こりゃえらいもんが出てきちゃったなあとびっくり感激したと同時になんつうか失望も感じてしまった一枚。そりゃもう物凄いプロダクションです。POPだしロックだし曲最高だし刺激もあるし音もいいし上手いし文句付けようも無し。シングル曲「インタナショナル・ブライト・ヤング・シング」「リアル・リアル・リアル」「ライト・ヒア・ライト・ナウ」の押し出しも相当なものでいや聴いた聴いた。話を聞きますと64年生まれのマイク・エドワーズ君のほぼ一人引っ張りバンドだってことでついに年下のミュージシャンかよ。まいったなあ。それまでの音楽が為し得た成果が全て、60’sも70’sもパンクでさえ凝縮されて。完璧なプロダクションと言えば70’s後半のスティーリー・ダンとかフリートウッド・マックとかもそうであったけどあちらは長いことかけて少しづつたぐり寄せたその成果、聴いてるこちらも納得つうか理解の段階てなもんありました。ところがこちらは2ndで早この音。既に出来上がっているものを吸収してちょっとさらに押し出せばいいとはいえまいったわ。パンクで引っくり返されてスタジオ機材がデジタル革命でガラっと変わった80’s初めにはおらおら状態、再び赤子みたいになったPOPミュージックも10年経てば使いこなす連中続々と出て来てしかも音楽才能溢れんばかりとなればこりゃもう無敵。そして別な言い方をすればあの時と同じ終着点、どん詰まり地点に来た思いもありまして。これは何もこのジーザス・ジョーンズだけで無くてこの時期これでもかの内容ぎしぎしの盤に何枚か遭遇してお口ぱっかり明けて呆然。また素人には手が出せないとこに音楽が来てしもうたか。駄目だとは思っていたけど(^0^)、俺が出来ることはもう何も無いのでは無いかと。そうゆう意味での失望でして。作る音楽から足を洗わされた罪なアルバムです。実際、ここから今に至るまで何か一歩でも前に何か起こったのでしょうか?逆に言えばもう前に行こうとか何か革新的なことやろうとか新しいものとか音楽で考えることが完全に無意味になってしまったのかも。まだそんなこと考えてる人間はどんどん過剰になって音楽インフレに突入、浮つきまくってもうこっちの心には何も届かず。70’s60’sに回帰だって標榜する人間にはそれこそ今更何?同じことやって超えられるのか、それなら当時の音楽聴くわいとなり。残るはとてつもない個性裸の音楽待つのみ。それは実は昔から同じことかもしれませんが。改めて聴くと私が嫌いな思い入れたっぷりのため息交じりの男ヴォーカル、この人達もやり始めてたのか。ここでは気になりませんでした。これを引き受けて過剰になってヘキヘキしたってことか。今、女の方は声を限りに叫びわめき、男はため息混じりにカメラ目線。そんな印象持ってるんだけどどうかな。両者とも私にはやけに遠し。

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5/10(火)
69はエロな年
cover
Jane Birkin - Serge Gainsbourg
Jane Birkin/Serge Gainsbourg
1969

シリーズ「おフランス」

ジューテームのシングル盤購入から始まったマイ・おフランス・ブーム、セルジュ親父ブームもついにここに到達、一回りして元に戻ってようやっとお二人のデュエット・アルバムを買うことが出来ました。欲しけりゃはよせいやてなもんですがケチなんだよなあ俺、安く発見しなきゃ手を出さないよ。とゆっても1600円も出したんだからうちにしては特待生扱いでございます。感涙にむせびながら針、じゃねえやCD回転させますとこれがまた期待に答える華麗毒々愛音楽、ああ、聴いて良かった。67年末のバルドー・ショーに始まったセルジュはんとブリジット・バルドー嬢の禁断の恋は世間を大いに騒がしながらデュエット曲ジューテムのあまりのエロさで旦那さんがついに立ち上がりそれであっけなく幕引き、イニシャルB.Bつう最高の落とし前盤を出した後、待ち受けておりましたのがこの英国娘ジェーン・バーキンさんです。そして彼女との初遭遇映画のテーマ曲「スローガン」でこのアルバムは開始。そもそもジュテームが1曲目だったと聞き及んでますが例によってあまりにエロなんで早々に差し替えられたとゆうことで。ああ、良かった、このスローガンは初めて聴きます。まー強力。大谷政子と細川俊之がピタっと抱き合いながら冬のソナタしてるよ。言語に絶するアレンジをしてるのがメロディ・ネルソンでキンクリ・アイランド世界をセルジュ・ワールドと合体させたジャン・クロード・ヴァニエ氏。今回はロクシー・ミュージックだ。鳴り響くブロウ・クラリネット。あまりにブロウしてるんでマウスピースがビビってる。ロキシーの曲でもヨーロッパ哀歌を想い出し、ファンの方是非聴いてみてください。フェリーさんてセルジュ親父にやっぱし密かに憧れてたんじゃないかとの確信を得る。勝手に。これ1曲だけでも元は取ったわいと感涙しますアルバムは続く曲ももちろん強力。ジェーン嬢、そりゃ歌うまくないです。しかしもう強烈にモチベーション有り。とにかく声を出したくてしょうがなし。そのインパクトはニナ・ハーゲンさんの目の周りの隈取を凌駕するパンキッシュぶりなのだ。親父の方は目尻下がりっぱなし。彼女を前にして己のそれまでの一番良曲をこんなん作ったんだよって歌ってます。それまで手にかけた女子に作った曲をよくもまあ歌いもんだと呆れちゃうけどこれがはまってる。アンナ・カリーナ嬢のスレスレ曲「太陽の真下で」、フランス・ギャル子のおしゃぶり曲「アニーとボンボン」など女性が歌っても髭セルジュが歌っても同じようでしかしまた違って不思議な味わいです。ハイライトはフランス69年のベスト・カップル賞受賞なさったつうお二人の強烈お惚気曲「69はエロな年」。次は2069年、100年に1回到来。自分たちで受賞記念曲やっちゃうんだから平伏するっきゃないよ。そして次のジェーンBてのも。これは自分テーマ・ソングを自分で歌い。お得意のクラシック曲パクリ、ショパンの前奏曲の調べに乗ってブチュウとか音も入れ、バックはピック弾きベースぎゅんぎゅんの60’s。パリも見えロンドンも見え。このCD、音も最高です。今までどっちかってゆうとわたしゃアナログで楽しんで来たんだけどこの奥行きのあるクリアなサウンド味わうとCDもいいな。調子がいいけど。アクは強し。聴くと日常世界が一変。だもんであかん人はとことんあかんと想像されますのでお覚悟を。それだけに受け入れられたらこんな充実感を得られるものも無し。存在はでかくどっから見てもこりゃ名盤だ。マノーン。

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5/11(水)
ドレミファンキイ
cover
Golden Classics
Lee Dorsey
1990

シリーズ「FunX」

健康飲料のCMでメッセンジャーズの「気になる女の子」が気になっていたら今度はダカラのCMで「ヘッヘホホー」の歌声。こりゃDrジョン先生のガンボのあの曲、ヒューイ・ピアノ・スミスちゃんのドンチュ・ジャスト・ノウ・イットじゃんか。もしや今年の夏はバブルガムとニュー・オリンズR&Bが来るかー。な訳ないか。では次はきっとこの人だってんでスミス氏のライバル、ドレミ・ファンキーおじさんリー・ドーシーです。きっと友達同士ー。ニュー・オリンズの音楽大好きです。例によって手当たり次第ざくっと聴いてるもんで歴史とかはあっぱっぱー。印象としてはディキシーランド・ジャズでしょ。そしてファッツ・ドミノのブルー・ベリー・ヒルでしょ。アンド、ミーターズにリトルフィートにアラン・トゥーサンのファンク。みんな相当違うやんけ。どうなっておるのだ。おるのだのファッツおじさんとファンクをつないで目が醒めちゃうのがこのドーシー兄さんです。ファツウさんのかわゆい誰でも好きになるのほほんさと強烈ビートどんどこどんを併せ持つ男。うちにあるのは87年のP−VINEのLP。で内容がほぼそっくり移動されておるコレクタブルズのコンピをばリンクさせていただき。ドーシーさん。波乱の人生送っております。生まれは1924年12月24日ニュー・オリンズ。10歳の時ポートランドにお引越し、若くして第2次世界大戦に海軍で入隊。何とか生還してポートランドに戻ってヘビー級ボクサー目指します。そんでこの武闘派のお顔なのね。キッド・チョコレートつうリングネームだったそうでかっこいい。がどうもボコボコにされっぱなし(推定)だったようで55年に引退、生まれ故郷ニュー・オリンズに戻って歌手になろうと。180度転換。プア・ブラックの人達が一旗上げようと思ったらスポーツ選手か芸人かってこのパターン多し。ジャッキー・ウイルソン氏もそうだったなたしか。ナイトクラブで歌いながら地元小レーベルでシングルをいくつか吹き込んだ後、街角猛者揃いレーベル、フューリーと契約。そしたらそこにおったのが若きアラン・トゥーサンさん。意気投合一緒に組んで作ったのが子供の遊び言葉を折り込んだこのCDの6.「ヤヤ」って曲。何とも親しみやすくて嬉しくなっちゃうこのシングル、どかーんとヒットして全米トップ10ヒットになっちゃった。遠く離れたハンブルグの若きビートルズさんたちもカバーしたってんだから愛され方半端で無し。続く10.「ドレミ」も中ヒット。これがまた最高の曲で一回聴いたら誰でも歌いたくなります。日本語にして例えば「ドレミファソラシ、みんなで歌おうぽんぽこぽん」とかしてみんなの歌でやったらおよげタイヤキ君になれるぞ。ギズモに踊って貰ってもOK。な具合に最高だったけどあまりに楽しいのでノヴェルティ扱いにされちゃったかその後尻つぼみに。ドーシーさん、兄弟姉妹親兄弟大家族を養っていかねばなりません。自動車修理工で必死に食い扶持を稼ぎます。ところがどうしても諦め切れなかったのがトーサン父さん。あの声ともう一回やりたいってんで65年に移ったエイミー・レーベルでもう一回ドーシーさん呼び戻し。今度は手下のミーターズつう強力バンドがおります。ぐっとファンキー度増したバックで吹き込んだのがぶっ飛ばしビート・ナンバー1.の「ライド・ヨア・ポニー」。R&Bチャート中ヒットで出だしは快調。続けて66年に出した低重心ファンクの23「Get Out Of My Life Woman」、20.「Confusion」、働く明るいソング2.「Working In A Coalmine」、3.「Holy Cow」の4連発。これが本国ではあかんかったのですけんどどうゆう訳かイギリスで一大ブレーク。時ならぬニュー・オリンズ・ブームの立役者になっちゃった。「炭鉱で働いて」は不思議な曲で単調に掘る掘る炭を掘る〜のビートがテクノみたい。なんで後年ディーヴォがカバーしても何ら違和感無くてオハコの曲に。「ホーリー・カウ」はザ・バンドのムーンドッグ・マチネーでのマニュエルおじさんの名唱でお馴染み。ビートルズとディーボとザ・バンドを股にかける男!と言っても何ら偉いとこは無くて、まったく日常の音楽なのです。それこそ働きながら傍らのラジオで聴いて一緒にくちづさむような。みんなさっぱしと終わって調子良くてウキウキして。世界の音楽に影響を与えたーーなどと大仰なもんじゃ無く愛されたのだ。ひたすら。誰この人てなもんで。そしてこれからも、手に取った人はみんなドレミ・ファンキー人間に変身、とーっ。出たなショッカー。

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5/12(木)
踊る叫び人間
cover
Do It Yourself
Ian Dury & the Blockheads
1979

シリーズ「新波倶楽部」

すまーん6月に出るパンクDVDを予約キャンセルしてしもた。見てしまったんです。この。このドゥ・イット・ユアセルフのエドセル盤を。去年の10月に出てたのか。只の再発ならこんなうろたえることも無く。ボートラ。最早ボートラと言えまいぞ。CDがもう一枚付いてそれには77年スティッフ・ツアーでのライブ!。あのライブ・スティッフ・アルバムの中でちょこっとしかしド強烈だった演奏模様がどかーんと。これは大事件だ。多分今日か明日到着予定。着いたらもうそれでやられるのは目に見えてるのでその前にこのオリジナル・スーパー盤を書かせて貰います。ブレーク・アルバム「新ブーツとパンティーズ」に続く2ndとして79年に登場いたしました。あの凶暴かつスルメつう不可能なこと成し遂げた後ってんで固唾を呑んで待っていた人間も日本で1523人ほどはおったろう。やって来ました数種類の壁紙ジャケと共に。これはゼップのあれのパロディかな。裏ジャケがまた最高。使用前使用後の写真の店のドアの前に並んでるメンバー達。もうすぐ必要なんで相談しなけりゃって訳で。パンク時代でようやっとモノになりましけど実はけっこう歳取ってるんです。上の方が寂しくなって来たんで〜〜てな図。それで中袋の3分写真によるメンバーの姿を拝見すると・・・あははいるいる二人は確実に。人の良さそうな味のある顔の人達ばっか。これがブロックヘッズです。そして聴けばびっくり。その中身。とんでも無いアルバムだったのだ。77年のアメリカ・ジャズ・ファンク&ポップの究極盤エイジャに遅れること2年、満を持して登場した英国ジャズ・ファンクの返答。てなもんで、練りに練ってあの境地まで達したあちらと比べてこちらはついにブレークした喜びと勢い、黒いジョークと無謀パンカーから吸い取った吹き飛ばす勢いでここまで来ました。その張本人、多大なる原因を作った男は写真の中でも中央右から二人目のぼよよーんとしたアンチャン。ミスター愛のコリーダ、チャズ・ジェンケル君です。1作目の後、彼に何があったか。音楽の神様を味方に付けてのこのサウンド・プロダクション。もう完璧。当時もパーフェクト、もうKOされるのみと思ってたけど今聴いてもそれは何ら変わらず。しかも最近の坊屋たちのサクっとかっぱらって小器用にちょこちょこと違って根が雑草のように張り巡らされたど根性ベースのものなのだ。1曲目インビトウイニーズ聴くと最初はさらりと。おおイアンおじさんカムバーックと喜ぶ。でもどっか違う。スコーンと抜けたスケールのでかさ。ちょっとしたピアノのフレーズからして。2.のクワイエットも。じわじわっと迫るクール・ファンク。次の「俺に聞くな」でも。会場が違うんだな。儲けたお金で町のダンスホール借り切って大舞踏大会ビール飲み放題。ミラーボールもあるよ。余裕の8ビート哀愁ソング、これがイギリスのアレンジだのシンク・マイ・ボーツで聴き入って。2次会に直行する為にタクシー!でも来ないんだこれが。右チャンネルから左チャンネルへ通過。人が乗ってます。ベタなネタで狂喜の大ファンク。裏返して何とか2次会会場に到着するともう大変、最初から宴はたけなわグランドホテル。もう止まりません。ノンストップ・ダンスな4曲。叫ぶ男が脱兎の如く全力走破。この大バカ三太郎大宴会の有様は是非ご自身でご観覧下さい。浮世のウサギが跳ね回ること保証いたします。祭の後、紙コップが散乱したホールを後にして最後はフランシスの為に子守唄。しっかりお眠り。パンクが無かったら登場することも無かったであろう見かけは全然違う音楽の大傑作。それがこのDIY。わしらもやったからあんたもやれる。はい頑張ります。人生の友で一生叱咤激励されるぞ。

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5/13(金)
じっと見つめるPOP
cover
Changing All the Time
Smokey
1975

シリーズ「英国POP探検隊」

CDセットが届いたよ〜。スモーキーの3枚一組のやつ。オリジナル・アルバムなんてアナログでぽこっと出会うしか可能性が無いんじゃないかと思ってただけにこの安い値段でゲット出来たなんて幸せの限りです。その中からブレーク作の2枚目「いつだって変わってます」を。スモーキー。SMOKIEってスペルに後年変わりましたが最初はSMOKEYって名前で1975年にデビューしました。70’s前半の英国グラムPOP界を背負って立ってたマイク・チャップマン=ニッキー・チンのプロデューサー、ソンライター・チームがグラム後にスカウト、送り込んだナイスな連中です。ずっと彼らが付き合ってたスイートが独立しちゃって手を離れちゃったって事情も有り。さーバンドも変わった。時代も変わったし音楽の潮流も変わったてんで新しいことしようと。ど派手路線からしっとりとCSN&Yやイーグルスみたいな爽やかで行こうと思ってたとの本人達の弁を読んだこと有り。LAに旅行した時次はこれだって思ったんだって。最初のブレーク・シングルは2の「イフ・ユー・シンク〜」。タイトルからして新基軸。「ココ」とか「48クラッシュ」とか一発タイトルが旨だったもんな。曲もたしかに。イーグルス路線の生志向。それでいてカチっとしたブリティッシュ風味有りで何とも素敵。1.や6.のアルバム・タイトル曲もそうでやっぱりこのアルバムのハイライト曲となってます。とここまではいくつ出てるかわからない彼らのベスト盤でわかっておりました。してオリジナル・アルバムを聴くと・・・これが三つ子の魂百まで。そんな人間急には変わらないよ。長いタイトルも2曲だけで息切れ。メンバー自作のやつも「ジュリー」とか、台無しだー。曲だってチニチャプのはよく聴くとやっぱチニチャプ。テンポ遅くして脅かさなくなっただけや。とゆうことは形は変わっても同じファンシーさは健在。さらにスイートでやらなかったこともちゃっかりやっちゃってる。プログレー。なんでだ。聴いててこれはスモーキーのメンバーがやりたかった、つうことは自作だなと思ったらチニチャプ作。5.のフライング・ハイです。くんずほぐれつの演奏でイエス真っ青のコーラス飛び交う。スモーキーのイメージ台無し。か、でもプログレと西海岸ってけっこうつながってるから。台無しでも無いかも。コーラスと言えばかなりクイーン意識してるか。よほど好きだったらしくスイートでもやってたし。そっくりそのままこちらでも。チン=チャップマン・チームが組むバンドの特徴としてくそ真面目な連中が多く、このスモーキーも例外で無し。ボーカルのクリス・ノーマン君なんてもうほっとけばいつまでもカメラ目線で切々と訴えて歌ってしまいそう。なところをカチっと3分POP世界で締めてやり過ぎを回避、これがプロデューサーの仕事です。で、いつも言われること。オーバー・プロデュースだと。だけどこの二人と組むってことはトッド・ラングレン博士に製作頼むようなもんじゃき。もしくはメンバーに二人を加入させるようなもんでバンドも覚悟必要。ましや聴く方はこれでチニ=チャプ色嫌だって言ったらどこを聴くんかいな。逆に聞いてみたいような。自分たちだけでやったらどうだったか?これはこの時点でのバンドの決断です。1stも同じ75年に。これもまた色々な意味で面白くて。別の機会に是非。あ、やっちゃてる曲も例によって数曲有り。今みたいに何と無く合格曲ずらずらーってのと違ってこの時代は殺し曲は殺し曲、歌ってるお姿見せられるだけで幸せです曲もアルバムにはきちんと入ってたのだ。そんなキラーばっか作れるほどPOP業界甘く無し。それにキラーばっかじゃキラーもキラーじゃ無くなっちゃうよ。

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5/15(日)
お化けがお化け
cover
Do It Yourself[Bonus Tracks]
Ian Dury & the Blockheads
2004

シリーズ「新波倶楽部」

来ましたCD、DIYボートラ版。到着以来狂ったように聴いてます。恐ろしい時代になったもんで今またこの稀代のウルトラ盤を聴き狂えるようになったとは。何てたってウルトラがシューパー・エキストリームに変身だもんね。まず通常トラック。エドセルってこんなリマスター最高でしたっけ。アナログ版の霞を取って音を立体的にするつうCD化基本にして一番難関な御技をさらりとやってのけてる風情。元々音がいいレコードだったけどこうなるとまたもや引き付けられて聴き入ってしまいます。A,B面つながって益々ノンストップになったわ。アナログはアナログの孤高の音もあるからどっちがどっちって言えないんだけど。そしてCDならではのボートラ群。これもボートラ大賞授与したいほどの内容で。まずはこのノリに乗ってる時期のシングル群を収録。「あくびのドラマー」空耳でお馴染み?「ワラ・ウエイスト」から必殺ヒット・ミーA,B面。最後の熊殺しギターの切れ大山マスタツ並に。そして元祖ラップ・シングル「リーズン・トゥ・ビー・チアフル・パート3」。かっこえー。痺れるー。しっかり12インチ版も。もう永久になっておって欲しい。間奏の悶えちゃうソフト&メロウなサックスよ。わざと大袈裟にかけてるエコーがよくわかって笑い2倍増し。「ワ・ドンチュ・ゲバ・イントゥベッド」ってバック・ラップで参加しよう。続いてCD2枚目にチェーンジ。まずちゃんとしたオマケのデモ・テイク群。これまた緩みきってて楽しいこと。こんなヘロヘロからあのシェイプ・アップ・サウンドになったのねー。勇気出ます。ミュージシャンさん達の元気の元だな。頑張れば出来そうな気がしたりして。無理だけど(^0^)。勇気だけでも貰えるありがたや。これはボツだろなあつう大アホ曲も聴ける。ウォーミングアップ用ファンク・インストもあり。と楽屋風景を楽しんだ後は、さあ、このボートラCDの目玉に突入です。ななななななーんと77年ライブ・スティッフ・ツアーの模様が聴ける。スティッフの経営者ジェイクはんかデイブさんかどっちかしらんけど音公開ケチでねえ。有るのになかなか出さなかった。やっと聴ける。ああ。しかも例のライブ・スティッフ盤とは別音源。77年10月27日のレイセスター大学での公演の模様から。いやもう何も言えません。この時期は特別な時期です。バンドの勢いも時代の空気も。若いエキスをすっかり吸い取ったお化け中年の空恐ろしいパフォーマンス。何ら焦る事無く100年殺しでじわじわっと余裕の演奏。あの1stはスルメ盤だったけど少し地味だったことは否めず、ここでさらに進化して爆発だ。グルーヴがとぐろを巻いて襲い掛かって来るからどうかお覚悟を。70’sに英国で展開されたブラック・ファンクの軍団。お金にはちいともならずそれでも好きで好きでやらざるを得なかった馬鹿野郎音楽好き全員の心がここで凝縮された思いで聴かせて貰ってます。音質も最高。さあ、次は映像版だ。有るの知ってるぞ。昔フィルムコンサートで見たのだ。デイブさんジェイクさん、アンタ方、極東の若者の人生変えたんだから責任取ってしっかり出しなさい。でもまずはこれ出してくれてありがとう。はまって今こうなっちゃったこと良かったなあって実感出来ました。もちろんイアンおじさんにも感謝。永遠に生きてます。

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