今日の感謝盤一覧2005.3下 |
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3/16(水) ボサノバであります。時は1955年ちいとも売れなかったブラジルのギター奏者歌手ジョアン・ジルベルトさん。姉ちゃんのとこに居候しながら2年間、新たな音楽を作るべく研鑽また研鑽。既にあったサンバの1スタイルを改良、己のものにすることに成功したのだ。じわじわっとその音楽ボサノバは当地の若者の間で人気沸騰。ラテン音楽をいつだって見つめてきたアメリカ・ジャズの世界でもスタン・ゲッツ、チャーリー・バード両氏のジザナフィードって曲が62年に大ヒット、機運がいよいよ盛り上がって来ました。その年の暮にはカーネギー・ホールでそのジョアンさん、ピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビン氏を迎えてのコンサート開催、そのままお二人はアメリカに残って翌年4月にこの盤をゲッツさんと録音したとゆう次第であります。ゲッツ!。それがどうゆう訳か寝かされちゃって発売は翌年の7月。先行発売されて最高位5位となったのが大有名曲「イパネマの娘」。そのヴァージョンは試聴リンク外盤の9.。なーんとジョアンさんのヴォーカル、カットされております。歌っておるのはアルバム・ヴォージョンでジョアン氏の次に歌っておった奥さんのアストラッドさん。密かに彼の地でデビューして成功狙ってたのだと。そのヒットでまんまと狙い的中、ボサノバの女王と呼ばれたり、アルバムの方もグラミーで最優秀アルバム賞受賞したり。その後お二人は離婚してジョアン氏はスランプ突入。何とも複雑な・・・。成功の影に涙ありの様相もそれと全く関係なくこの盤は悶絶モノの一品です。なんつってもイパネマの娘。いぱねまって何だ(^0^)。わかんなくっても何か素敵。こればっかはどんな人がどんな状況でもええなあと思ってしまうキラー曲だなや。朗々と歌うそれまでのブラジル音楽ヴォーカルに嫌気が指していたジョビン氏のつぶやく様な歌。「うんざり」だ感ってのはいつだって新しい音楽誕生の源です。そのスタイルを最も体現したのは奥さんアストラッド。うまかないんだろうけどそれが全て良しとしてばっちしはまった。よく聴くと野心のワイルドさもあり。そしてゲッツ氏のサックス。野獣が赤ちゃんあやすようにそーっと。尊敬を込めて新しい音楽に触ってるような。艶やかなアントニオ氏のピアノ続き、このコラボの魅力が全部詰まってるような曲です。これだけは言わねばの娘。続くはさらに広がるボッサ世界。時が止まってしまいおる。ここはどこ私は誰って。うっぱうぱっぱってリズムが突然空間切り裂いて向こうの世界が見える瞬間も。これ63年作って。冗談だろ。全く古くありゃしません。大西洋を隔ててビートルズが「うんざりだ」を爆発していた全く反対のベクトルで出たこのボサノバ。その見ていたのもはきっと同じ。そしてこのパーソナル突端の感覚はきっと同じくらい人々の心の中に入っていったのだろうかと。無かったらえらいことになってたよきっと。花がぱあっと開く瞬間をそのままパックしたようなこの盤。躊躇無くどの音楽ファンにもお奨め。まさか嫌いな人はおるまい。立場的に体中鋲とかトゲとかつけていて表明出来ん人はそっとお家で。見つけてもそっとしておいて上げてね。 |
3/17(木) ビル・ウイザースが好きです。そりゃもー洒落にならんくらい。結婚してください。ぢゃあ無くて(^0^)。音楽が好きです。どれくらい好きかとゆうとワンダーおじさんとかマービン兄さんより5倍は人生で聴いてる。有名なのか。このベスト盤の15.に入ってるジャスト・ザ・トゥ・オブ・アスは聴いたことある方も多いかと。81年にグローバー・ワシントンJr氏名義でヒット。アダコン代名詞みたいな曲でして。夜のしじまの六本木かー。後は10.のリーン・オン・ミー。これはクラブ・ヌーボーが87年にカバー・ヒットさせてMTVでナイスなクリップががんがんかかっておりました。で顔はたんこぶみたいなおじさんであります。やべーよなあお洒落なのにって日本盤ではボツ、見事に差し替えてこれはカクテルグラスやな。ああ今夜は夜の4番バッター。でも顔はたんこぶです。音楽もたんこぶなのだ。言ってみればこの方、ソウル版スティーブ・ハーレー。黒い界一歌が不器用な人。お洒落とは一番遠いのに一番近くなってしもうた。世の中不思議なもんです。 |
3/20(日) 先週から仕事上でしんどい事件があって体調も崩しこのWANTEDも2日お休みさせていただきました。ちょっと強がってるとこもあって覚悟の割にはまだ体が追いついてませんが、やっぱり何より元気になるのは音楽のこと。今日は今注目してて探してるとこ、注文中で到着を待ちわびているものなどを紹介させていただければ。全て英国、米国チャートで見つけてコンピで数曲持ってるものの本格的に聴くのはこれからとゆう人達です。みんなレコード会社が超マイナーだったりしててヒットがある割に無名の人達かも。 |
3/21(月) 今日からこの日々のWANTEDのコーナーを日々のThank You盤のコーナーとすることにしました。私も東洋初のPOP音楽感謝家になることに(^0^)。マスターつう名前も元々は名無しの管理人って意味なんすが「名人」とかおこがましき意味にも取れちゃうので別のものに変えようかと思ってます。世の中にあるあまたのレコードにどれだけ沢山喜びを貰って来たことか。紹介なんてもう僭越で、これまで以上にそれらの盤への感謝、ラブレターでここを書かせていただければ。ROCKSも音盤大感謝サイトつうことでよろしくお願い申し上げます。 |
3/22(火) どうにも暖かい音楽が必要でレコード棚から引っ張り出して来たポール・デイビス氏の盤。まさかなーと思ってアマゾーンさん見てみたら何とCD化されてました。しかも日本盤。本国でもベストもの数種が出てるきりでオリジナル盤はほぼ全滅状態なのに。これは一体。理由はやっぱり何クリなのかわかりませんが快挙であることに間違いありません。’70s初頭から米南部アトランタでひたすら地味に活動してたデイビスさん。その頃はカントリー畑。と言ってもどっか納まりきらぬそのPOPさ。その筋のメーンストリームに仲間入りすることは適わず孤高の存在に。もちろんサザン・ロックではありませぬのでどうにも周囲の土地イメージにも合わず。それが77年に突然出た大ヒット、アイ・ゴー・クレージー。とてつもない曲の良さからTOP40に40週い続けるとゆう。ほぼ10ヶ月。あの生き馬の目を抜く競争世界でこれは驚異的です。全然邪魔にならずそばにいていつのまにかかけがえの無い存在になっていた。彼の音楽そのもののチャート・アクション。私も5週目くらいからメロメロになっちゃって。探し回ってその収録盤、シンガー・オブ・ソングスをやっと入手したのを懐かしく思い出します。その盤、パンクの時代に食うためにやむなく売っちゃったんだけど。当時彼が在籍してたのが南部の小レーベル、バング、そのせいも有って中々ブレークしなかったり入手難しかったりしたんだと思いますけど、その後このヒットのおかげでメジャーのアリスタに移籍しました。クレージーの後、ちょぼちょぼヒット数発の中での移籍。実績出来ていたのでそれなりの契約金なんかもあったんだろうなあ。その分、期待も大きく、この盤、クールナイトも予算もいつもより多そうな音になってます。でも録音はやっぱり地元ジョージア・アトランタ。マスタリングはナッシュビル。音からすると想像出来ませぬ。これも南部の音であります。ご本人はなーんにも変わらず。いつも通り顔に似合わずチャーミングな声でいつもようにそっと寄り添う曲を。ただ80’sのゴージャスな音の中で少し恥ずかしそう。腰が落ち着かない風情も確かに。そんな中これだけはと気合を入れているのが6.B面冒頭の「'65 Love Affair」。81年の音ならではのバックで65年の単純で楽しかった音楽を僕は今でもちゃんと聴き続けているよと歌ってます。チアガールの号令なんかもコラージュしてノスタルジーなんだけどこれが自分の音楽なんだからこれでやるっきゃないのマニフェスト。やっぱり父さん頑固。息子さんがいたらきっとヘビメタとかに夢中で、親父みたいな軟弱な音楽くそくらえとか言われちゃって困った顔してそうで。でもきっと今では親父さんのこときっと誇りに思ってます。AORブームの中、いきなしこれやってた訳でなく10年の結果ですから。日本では多分そのAORな風景のヒトコマになっているのかもしれません。でも65年の出来事の音楽。一つ奥を見てみれば。3曲のシングル・ヒットをここから生み出して、皆の期待に応えたあと、やっぱり華やかな場面はどうも居心地悪しとシーンから一歩退いてしまいになりました。現在も元気でいられるでしょうか。また出てきても全然変わらぬデイビスさんだろうと思います。髭面すっかり板について黄門さんみたいになってるんだろうなあ。軟弱と呼ばれようが、何たって私の音楽世界の中でかけがえの無い方。お礼言うっきゃない。ありがとんとんワシントーン。 |
3/23(水) アメリカはLAに生息するシンガーソングライター、ランディ・ニューマン氏。77年の前作「小さな犯罪者」の中のショ−ト・ピープルがどうゆう訳か大ヒットになっちゃって世間が大騒ぎ。やれ小さい人間をバカにしてるだの、差別的だなど。元々歌の登場人物になりきって再現する歌う映画役者さんだに、ドラマの中の悪役俳優に向かってお前は悪いやつだなどと言われたようなもので、そりゃこんなんですけど繊細なおじさんですからかなりこたえもし頭にも来ただろうと思います。サタデイ・ナイト・ライブに出演時、「わしゃ自分の歌についてあれこれ言わんのだが、この歌について何やかんやゆうてる人達に一言”ぶーーーっ”」ってあかんべしてた。なお納まらなかったとみえ待望の新作はこれ「生まれ変わったら」。顔にキッスみたいにドル・メイクして生まれ変わったら摩天楼のオフィスビルでらーいぶどあのあの人みたいに企業買収して儲けちゃうもんねって真面目な顔してます。机の上の羊の置物かわゆく、写真タテの中の家族もしっかりドルメークしちゃってる。裏ジャケではその顔であかんべーだ。どうせ誤解しやがるのならもっともっとわかりやすくして非難してみなはれなってなもん。恐るべき子供ちゃん、パンキーな態度や。わたしゃ小さな犯罪者が人生盤になっちゃうほど大好きで、次は次はとわくわくして待ってたもんでこれには手に取ったとたん「やったね&ぎゃはは」。ここでぎゃははともしならなかったらこのあけすけな黒冗談盤と気持ちがシンクロすることはなかったかと思います。 |
3/24(木) フィルモア・イーズト・ライブ盤の2ヵ月後の71年8月7日にLAのUCLAで行われたライブの模様を納めましたのがこの「LAから来たバンド」。その2ヶ月間に連中が何をしてたかとゆうときっと歌詞を覚えていた。と思えるほど物凄ーーい英語の洪水。いやバンドも大変、うーんわしには出来んきっと。新生マザースの第一の目標、言葉と歌で観客と丁々発止するっつうのの頂点盤でござる。しかも地元ネタ、時事ネタ満載。限られた絞った題材を濃密に。その場その時間で最高に光って、後にとか世界的にとか有効であるかは全く眼中になかった模様です。しかるにいやー目の前で宇宙人達が謎のショーらしきもの繰り広げているようでして、しかもこちとら映像無しだから目も耳もぱちくりするしか無いよー。輸入盤だと全くKOなんで邦盤を買うのがよろしかろうと思いますがうちのMSI盤の濃密な訳を読んでもまだよくわからんと。今のCDでもザッパ盤のことですから同じように付いてると思いますので見ていただければ。それを作った方もすげー。瞬間瞬間でウケ狙おうとししたんかな。それがパッとわかってしまう英語力欲しかー。それだけわかったら図面書き何かしてないか。わはは。マジで聴き取ろうとすると難行苦行、今何やってるのかわかんなくなるんで、突然オズの魔法使いだったりCSN&Y出て来たりするとこを、おーーとか言って喜ぶ。そしてビリー・ザ・マウンテンを聴き通した貴方は言い様も無い感動に襲われるでしょう。聴き通したって。とゆうわけで何回聴いても「ビーリー・ザー・マウンテーン」のとこしか覚えられない私であります。その点、ベジタブルやドッグ・ブレスはそこまでザッパさんを聴いておれば勝手しったる愛しの名曲、わーって楽しめちゃう。ビリーの時は客も静かなんで向こうの人もけっこうついていけなかったりして。もしかするとやっちゃったかなザッパさん(^0^)。でも無駄なことなんてありゃしません。後にも先にもここまでやった音楽は確実にこれだけだと言えるぞ。その事実だけでもどっかとザッパ・ファンの心のお尻に巣食って人生の残りの全部ですっかり一緒に歌える日が来るだろうかと夢想するそんな盤です。間違って最初にこれに遭遇してしもうたら。とびっきりケチな人ならこれだけ濃密お得な盤は無し。普通の人は・・・・。ご愁傷様。なんちゃって。急いで次のワカジャワカ買ってね。何にしろやっぱとんでも無い人ですわ。人じゃないか雑葉大明神。しっかり今日も聴きましたから私に福を下さいまし。 |
3/25(金) ジョニー・ロットン否ジョン・ライドンがセックス・ピストルズ後に結成したバンド、PILのオリジナル・ラインナップでの唯一のライブ盤がこの「パリ・ライブ」です。パンクなんて何だあんなのとお思いの方でもこの音楽が売れようとかそんなことは全く考えようも無く出現したものであるってことだけはわかっていただけるはず。音楽的衝動以上に自らの置かれた状況によって言ってみりゃあやむなく登場した感あり。70年代に入って突入した英国の大不況。石油ショックによってレコードすら作る材料も不足したりして。それでも騒ぐしきゃないと絢爛グラムで花開かすもそれさえ終わって祭の後。その後の世代は先が見えてる、しかもどう考えても真っ暗な未来。社会の末端でどこにも持って行き様の無い感情。それで音楽が出来るやつは大好きな音楽でこんなこたあしたくは無いがもうやらざるを得ないみたいなとんでもなく切迫した有様です。ピストルズの時はこれで世の中引っくり返してやるつうな否定的な前向きさありましたけどこのPILとなると・・・その閉塞感情を裸のままむき出しに出してやるのだつう最終覚悟有り。そりゃ嫌われて当たり前で、聴く方だってできればこんな音楽聴きたくは無い。でも聴かずにいられないみたいな。しかもこの盤の会場はパリ。イギリスとはまた状況が違う。やる方も何だこいつらのほほんとして着飾りやがってって最初の偏見イメージばりばり。レコード会社との契約の関係で無理くり出さざるを得なかったとは言えPILの第一目的敢行のため、わざと一番雰囲気の悪い会場での録音を選んだのでは無いかと。しーんと静まり返った会場の中で各人ひたすら自分の鼻の頭を眺めているかのような演奏が続きます。聴衆をせせら笑うかのごとくベースのジャー君、サティスファクションのリフをちらっと。しーん。そしてシャラップ。これはパンク・ポーズでウケを狙ったのでは無く本気のシャラップ。金縛りの演奏はポップトーンズで盛り上がりを一切拒否していきなり終了。まさかこの盤の感情がわかりかけてくる日が来てしまうとは思ってもいなかったす。この時の状況と今の日本の状況、気持ち悪いくらい近づいてます。聴いてて辛い。辛いけどカッっと目を見開いて見るのだな。でも一旦見るとこれは見続けられるはずも無く。PILもあっとゆうまに終演。それでも音楽の才能がありそれが出来たってゆう幸運があった彼らはいらなかったけど一番求めていた名声を手にしてその先をぐだぐだになりながらやり続けるしかありませんでした。生きていく為に。それを聴いていたイギリスの若者は、スミスのようにそんな状況の中でも目一杯自己肯定して生きるか、そんなことばっか言ってないで化粧してパーティして楽しむか、真面目に見過ぎちゃったものは自爆してしまうか。時を過ごして。うーんやっぱ時を待って状況が変わるのを待つしかないのか。その時その時を懸命に生きて。人間のやったことでそうなったのに人間の力ではどうにもならないことなのか。そんなことを考えてしまいます。とてつもなく真面目な音楽だと思います。 |
3/27(日) ボイちゃんリマスター最後の砦両ライブ盤、特にもしかして無いんじゃ無いかと思われておりました74年のデビッド・ライブが15日に発売されました。実はまだ買うてません。なのでまだアナログ盤愛聴の次第。今回のCDではツアーの目玉だったはずなのに何故か入ってなかったスペース・オディティが入っておるのね。くおそれは聴きたい。その1曲のために行くのかー。 |
3/28(月) 懐かしさだけじゃずっと音楽と付き合って行く事は出来ぬ。とゆうことで今日も今日とてまだ見ぬ昔の新譜を求めてレコード屋さんの棚を飛び交う脂肪付き妖精であります。先日、アナログの出物が無くて仕方なくCD棚の捜索開始。マンフレッドマンの安いの無いかなあと見てみたらなんじゃこりゃ。血だ。じゃ無くてマイク・ダボさん。ダボだぼ、あ、マン2代目のボーカルさんじゃないか。しかも見たことないブツだ。レーベルは?エンジェル・エア。うぐ。英国の業の深い再発レーベル。音楽好きがわかり過ぎるほどわかるそのラインアップ。しかし正規ラインのやつはなかなか出せずついヤクザな音源ばっかつうイメージのとこです。うーんやばい。どうしよう、えい、行っちゃえと買ったら、良かったよう。大成功でした。読めぬ英語のライナーを解読してみるとこれマン脱退後ソロになってロッド・スチュワートが歌った「ハンドバッグと外出着」がブレーク、順調なスタート、自分のバンドも出来てノリに乗って録音した3rdアルバム。出そうとしたらレコード会社がコケちゃってお蔵入りしてしまったって音源。そして後半はそのバンドでのミニライブ。が収録されてるものです。長いこと行方不明、本人もどうなったか知らなかったその音を持っていたのがバンドのベーシスト、モ・フォスターさん。いやーバンドの中には一人くらいそうゆう几帳面な人がおるもんだ。しかも状態完璧。これがほんとにお蔵入りものかってびっくりしてしまいました。ダボ氏の魅力はまず第一にその声。パイロットやバッドフィンガー、アル・スチュワートにつながる英国のポップ・シンガーじゃなきゃ無いチャーミングそのものの声。どんな歌歌ってもちょっと恥ずかしそうで押し出しはそりゃ強く無いけど聴いてるだけで幸せになっちゃう。そしてソングライティング。もう正しく70’s前半の音。スワンプちょっと入って、キャロル・キングとかSSWの要素ももちろん、同世代エルトン・ジョンの初期盤に通じるリリカルさ満天。だけど誰かにそっくりかとゆうとちょっと思い当たらぬダボさんのレコードじゃなきゃ聴けない音楽が一杯です。しいて弱点を言えばユア・ソングみたいなキラー・シングルが無かったってことかな。それが有ってレコード会社運が有ったら今全然違う立場にあったかも。バックの演奏、アレンジも言うことなし。控え目でツボを押さえたブリティッシュな音。まったくとんでもないもんが蔵に入ってた訳で、怖いすねえ世の中は。この渾身の作品がぽしゃってしまってさすがにかなりショックだったようでその後の活動にかなり影響を与えた模様。30年経っていささか遅かりしですが極東の島国の一角で人生盤にさせていただきます。こんな音楽残してくれてありがとうと言うしかありません。ご自身のサイトあるのかな。行って書き込みたいくらい。後半のライブがまた・・・最高に素敵。信頼しあった仲間との息のあった演奏。拍手まばらで悲しくなっちゃうけど。ラストの「ハンドバックと外出着」。大切に大切に噛み締めるように歌って。サビのところはみんなが心で歌うように飲み込んでます。私も歌いました。こんな曲かける人に悪い人はおりません。また一人しっかり追いかけさせて貰う方が登場で私は嬉しい。やっぱり見えてるところを見るだけじゃもう一歩の幸せはつかめないのかもしれんなあ。 |
3/29(火) 今年になって夢中のおフランスとセルジュ親父。最近ここではなりをひそめているようで飽きちゃったって訳ではけっして無く密かに集めておりました。ジュテーム以前のではこの前やらせてもらった一枚、ジュテーム以後では”キャベツ野郎”以外のを全部。してその中で同率首位所見インパクト最大繰り返しはまり度最大なのが「メロディ・ネルソンの物語」そしてこの「イニシャルBB」です。じつはこの盤、いっちゃん最初にセルジュさんThAnk YoUで登場のコンピ「コミック・ストリップ」とだぶりまくり。おお最初に戻ったぞ。あんまりにもすげーので繰り返し何のそのまた感謝してしまおう。えーこちらがオリジナル・フォーマットでの発表盤です。人妻ブリジット・バルドーはんとTV番組のお仕事が縁でしんねこな関係になってしもうたセル爺。「私のために貴方が想像できる一番美しい曲を書いて〜」と言われて一晩でむおーと熱にうかされて作ったのがジュテームと8.のボニー・アンド・クライド。そのジュテームがあまりにとんでもな代物、あっはんうっふん愛してるわ私も愛してるわ大特集だったもんで発表前に世間で大評判。それまで見てみぬ振りをしてたバルドー旦那の実業家ギュンターさん、さすがにええ加減にせいよと妻を一括、別れる事になっちゃいました。どかんと作った渾身曲が元で別離とは何てこったいとセルジュさん大落ち込み。しばしどん底に落ちた後多摩川グラウンドで上がって来る朝日と沈み行く月を同時に見て立ち直り(これは巨人の星かー)作ったのがこの盤とゆう次第です。どうしてもその思い振り切る為にこの時期に出したかったらしく内容はタイトル曲など新録少しとバルドーさんとのデュエット盤からのと66、7年に出したEP盤からのを収録。バルドー期の俺はこうだったんだ、これが俺の想いだーって感じかと。音楽モチベーションはそりゃ一番だった頃なんで悲しい失恋絡みとは言え、ぱっちぱちに弾けた曲ばっかりだわ。サウンド・パートナーは英国人アーサー・グリーンスレード氏。録音も英国でヤードバーズ、ストーンズのプロデュースでお馴染みジョルジオ・ゴメルスキー氏の下、地元ミュージシャンで。そのグリーンスレード氏。60’s英国POPのサウンド・クリエーター王者。トム・ジョーンズからダスティ・スプリングフィールド、キャット・スティーブンス、ロックではクリス・ファーロウのストーンズ曲「アウト・オブ・タイム」などロンドン・サウンドのドンみたいな人です。その彼の才能を極限まで絞り出させたのがセル爺のすげえとこ。まあ原盤1曲目のイニシュアルBB聴いてみてください。嵐のさなか突き抜けるようなリフ。絡みつく扇情的ストリングス。ここお得意のクラシック曲引用ドボルザークの「新世界」フレーズらしいんだけど私にはわからん(^0^)。このロウファイ感とファンキーなビートは確実に今を突き抜けてると思う次第。2曲目コミック・ストリップで登場の鞭のような声の女性が噂のBB嬢。ああこわ。しかもテープ編集で加えてるもんだからサンプリングみたいで人工感増して怖さ倍増。分かれた後BBロボット作って歌わせてるみたい。血まみれジャックとジキルとハイド、トレー・キャニオン、シュビドゥバドゥバでは外から見なきゃ出来ないロンドン・サウンドの一番キャンプな部分を。そしてさらに時空を超えちゃってる曲はアナログB面冒頭原盤7.のフォード・ムスタング。イーノ・プロデュースU2みたいな導入から強烈リフ。狼バルドー噛み付いてぶら下げながら歌う親父。虚空を彷徨う弦。次の件の問題曲ボニーとクライドもさすが絶頂曲す。これはベックが裸足で逃げ出すこと請け合い。既にここまでやられちゃってる。これがデュエットだつう二人の正に共犯曲です。ジューテームもそうだけどこれもここまでやられちゃったらさすがに旦那も黙っちゃらんねえだろう。ボニーとクライドになられちゃったらねえ。次は再びベックがやりそうなビッグ・ビートの黒と白。ハイパーでキャンプや。秘密のアッコちゃんと雌猫三匹のコーラスのイエエ、イエアがあんまり強烈なんで一緒に参加してしまう「誰がインで誰がアウトなん」、お気楽なパリ散歩しながら「ホールドアップ」って脅かしてつうよりアホーだって聞こえる、最後は何でこんなん明るいのマリルーで終演。それもそのはずセル爺には次の運命の女(ひと)、ジェーン嬢がおりました。音楽で恋に落ちて音楽でカタをつける。いやーさすがフランス人やねえ。 |
3/30(水) いやーやられました。今年は本業はともかく聴く方では音楽人生に関わるミュージシャンを3人も見つけてしまった。セルジュさん、マイク・ダボさん、そしてトドメはこのラビさん。そもそもは英国チャートヒットがらみの曲を集めていて出て来たマッドネス「イット・マスト・ビー・ラブ」のオリジナル版。ラビ氏の71年のデビューヒット。こ、これは誰なんだと。そして72年の2曲のヒット、特にウォッチ・ミーってやつぁあ美しいとしか言えん代物で。も気になってしょうがないでこの75年前後の音を納めたCDを注文してしまいました。そしたらまー。凄いよこの人。一挙に自分の中でスティーリー・ダン級の存在に。大袈裟じゃなく。今活躍してる人に密かにサンプリング・ネタとしてもててるらしいです。1曲目などどっかで聞いたことあるなと思ったらエミネムのマイ・ネーム・イズのバック・トラックやんけ。他に13.のウッド・ユー・ダンスはワムのウエク・ミー・アップの元ネタ。バラードの歌声はシンプリ・レッド、軽快なファンク・チューンはジャミロクワイだよな。彼ら、子供の頃に聴いたのが強烈に心に残っておったのかもしれません。私だって40超えだけんどガキの頃のように繰り返し聴いてる。こんなんもう滅多に無いす。 |
3/31(木) 1曲目、テイク・イット・オール。不滅の立ち直りソング。とにかく何かあった時。一緒に叫んで歌う。メイク・イット・シリイ、メイク・イット・バッド、全部なんて欲しいって言って無い。せめて太陽の光りくらい全部浴びてやるー。ピート氏の気持ち、軽々しく想像出来んけど、俺にもあるぞ叫びたい時。バッドフィンガーの3作目です。このテイク・イット・オールと2曲目ベイビー・ブルー、そしてデイ・アフタ・デイで燦然と輝く盤。とにかく良い曲を作ってそれを精一杯の演奏でやるつうミュージシャンにとって当たり前ながら最も困難なことに毎回挑戦してるバンド、バッドフィンガー。今でこそ紙ジャケ再発だーとなればレコード店店頭で予約開始!完売御礼なんて凄いことになるアップルの御旗バンドだけど、この時やぁ苦闘してたかと。ビートルズ解散後のごたごたでろくなプロモートも無く本国ではアルバムはチャートインすらしてないんだもんな。これだけの盤を出し続けて。そりゃくすぶってたのを引き上げてくれた恩はある。だけど貰ったのはアップルって名前だけみたいな感じに世間ではなってしもうて、あと1インチ、1ヤードだけ俺は欲しいよって叫びたくなるだよほんと。外郭だけ見たって夢のような盤です。プロデュースがトッド・ラングレン。まだベアズビルでエンジニア稼業にいそしんでいた時。ビートルズとウッドストックの出会い。なされなかったゲット・バック・セッションの夢。1.のオルガンにはビッグ・ピンクの幻が。そしてトッド氏自体の夢。憧れのビートルズとのニアミス。興奮が手に取るように。こっちは30年経って別な夢を見てる。4.のフライングでXTCのスカイラーキングを見る。XTC=トッド=ビートルズ=バッドフィンガーとくるくる廻る夢のような時間。って、ことごとくあの人とあの人とって言われちゃうんだもんなあ。叫びたくなります。でもビートルズ好きだししょうがないし。みんなもとてつもなく好きだし。あの素晴らしい曲を真っ直ぐにやってくれるって夢を望みを一心に背負っちゃってる。それだけのものがあるバンドだからです。あーだこーだと似てる、あー似てるとか言っても最後にはあなた方しか出来ないこの音楽をしっかり受け止めてます。やたら廻りばかりでかくなっちゃった御大より近くに感じて一緒に歌い叫べる。掛け替えの無いバッドフィンガーの渾身の一作。状況はどうであれモチベーションはこの時、最高。背中のウエイトも音楽作りにはいささかもこんな時は揺るがぬ。タイトル通り真っ直ぐでど真ん中しかなくて30年経とうがCD時代になろうがDVD時代になろうが聴きたくて紙ジャケやら何らかの理由付けて再発また再発、聴いて叫ぶぞみんな。スイート・トゥーズデイ・モーニング、いいなあ。デイ・アフター・デイ。ああ、スライド・ギターが。御大もきっと自分達の夢を見てたのかと。何かと背負わせちゃってごめんなさい。とにかくもう感謝するしかない。ありがとう。 |