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今日の感謝盤一覧2005.3下

 

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3/16(水)
ボッサ
cover
Getz/Gilberto
Stan Getz/Joao Gilberto
1964/7

シリーズ「Jazz」

ボサノバであります。時は1955年ちいとも売れなかったブラジルのギター奏者歌手ジョアン・ジルベルトさん。姉ちゃんのとこに居候しながら2年間、新たな音楽を作るべく研鑽また研鑽。既にあったサンバの1スタイルを改良、己のものにすることに成功したのだ。じわじわっとその音楽ボサノバは当地の若者の間で人気沸騰。ラテン音楽をいつだって見つめてきたアメリカ・ジャズの世界でもスタン・ゲッツ、チャーリー・バード両氏のジザナフィードって曲が62年に大ヒット、機運がいよいよ盛り上がって来ました。その年の暮にはカーネギー・ホールでそのジョアンさん、ピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビン氏を迎えてのコンサート開催、そのままお二人はアメリカに残って翌年4月にこの盤をゲッツさんと録音したとゆう次第であります。ゲッツ!。それがどうゆう訳か寝かされちゃって発売は翌年の7月。先行発売されて最高位5位となったのが大有名曲「イパネマの娘」。そのヴァージョンは試聴リンク外盤の9.。なーんとジョアンさんのヴォーカル、カットされております。歌っておるのはアルバム・ヴォージョンでジョアン氏の次に歌っておった奥さんのアストラッドさん。密かに彼の地でデビューして成功狙ってたのだと。そのヒットでまんまと狙い的中、ボサノバの女王と呼ばれたり、アルバムの方もグラミーで最優秀アルバム賞受賞したり。その後お二人は離婚してジョアン氏はスランプ突入。何とも複雑な・・・。成功の影に涙ありの様相もそれと全く関係なくこの盤は悶絶モノの一品です。なんつってもイパネマの娘。いぱねまって何だ(^0^)。わかんなくっても何か素敵。こればっかはどんな人がどんな状況でもええなあと思ってしまうキラー曲だなや。朗々と歌うそれまでのブラジル音楽ヴォーカルに嫌気が指していたジョビン氏のつぶやく様な歌。「うんざり」だ感ってのはいつだって新しい音楽誕生の源です。そのスタイルを最も体現したのは奥さんアストラッド。うまかないんだろうけどそれが全て良しとしてばっちしはまった。よく聴くと野心のワイルドさもあり。そしてゲッツ氏のサックス。野獣が赤ちゃんあやすようにそーっと。尊敬を込めて新しい音楽に触ってるような。艶やかなアントニオ氏のピアノ続き、このコラボの魅力が全部詰まってるような曲です。これだけは言わねばの娘。続くはさらに広がるボッサ世界。時が止まってしまいおる。ここはどこ私は誰って。うっぱうぱっぱってリズムが突然空間切り裂いて向こうの世界が見える瞬間も。これ63年作って。冗談だろ。全く古くありゃしません。大西洋を隔ててビートルズが「うんざりだ」を爆発していた全く反対のベクトルで出たこのボサノバ。その見ていたのもはきっと同じ。そしてこのパーソナル突端の感覚はきっと同じくらい人々の心の中に入っていったのだろうかと。無かったらえらいことになってたよきっと。花がぱあっと開く瞬間をそのままパックしたようなこの盤。躊躇無くどの音楽ファンにもお奨め。まさか嫌いな人はおるまい。立場的に体中鋲とかトゲとかつけていて表明出来ん人はそっとお家で。見つけてもそっとしておいて上げてね。

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3/17(木)
祈り
cover
Lean on Me: The Best of Bill Withers
Bill Withers
1994

シリーズ「FUNX」

ビル・ウイザースが好きです。そりゃもー洒落にならんくらい。結婚してください。ぢゃあ無くて(^0^)。音楽が好きです。どれくらい好きかとゆうとワンダーおじさんとかマービン兄さんより5倍は人生で聴いてる。有名なのか。このベスト盤の15.に入ってるジャスト・ザ・トゥ・オブ・アスは聴いたことある方も多いかと。81年にグローバー・ワシントンJr氏名義でヒット。アダコン代名詞みたいな曲でして。夜のしじまの六本木かー。後は10.のリーン・オン・ミー。これはクラブ・ヌーボーが87年にカバー・ヒットさせてMTVでナイスなクリップががんがんかかっておりました。で顔はたんこぶみたいなおじさんであります。やべーよなあお洒落なのにって日本盤ではボツ、見事に差し替えてこれはカクテルグラスやな。ああ今夜は夜の4番バッター。でも顔はたんこぶです。音楽もたんこぶなのだ。言ってみればこの方、ソウル版スティーブ・ハーレー。黒い界一歌が不器用な人。お洒落とは一番遠いのに一番近くなってしもうた。世の中不思議なもんです。
1曲目はラブリー・デイで始まり。これ試聴して下さればああ、どっかで聴いた、うーん重い打線、思い出せんと悶えて下さるかと。そうです何年前かGAPのCMで流れておりました。実は78年のヒット。このリフ、悶絶もんです。一回聴いたら忘れられない。そしてこのぶっきらぼーな歌。でサビでのビブラート無しでの「ラブリーデーーーー。」延ばすーー。これ得意技。バックのコーラス、ラアブリデイ、ラーブリデイX286回。ディーヴォかつう執拗な繰り返し、これも得意技。へたな親父がこれやったら拷問以外の何物でも無いぞ。これが魅力になっちゃうとこがビル兄さんの音楽の肝だがや。続く2では一挙にアダコン世界に片足突入。でもたんこぶ顔はにこにこ笑ってます。優しいんだよな。酒飲ませてだまくらかそうなんて露ほども思って無いぞ。曲極上。3.からは両足突っ込んで。あー酒が廻って来た。4.5.と、あ、寝ちゃったよ。慣れない方はここらへんで今のうち馴染んでおいて下さい。さー6.だ。一挙に音が変わります。本番突入だ。75年の作品。グルーヴがケツからもこもこしてくっぞ。で、7.エンノー・サンシャシン。71年のデビュー盤から。これがこの人の正体です。遠足で皆で歌った山賊の歌と申しますか与作と言いますか。御詠歌みたいだって言いましたね。そうかも。ゴスペルとはまた違う祈りを強烈に感じる曲。続く8.も同じく1stから。おばあちゃんの手。ビルさん、父ちゃん小さい時に亡くしておばあちゃん子だったらしく。9.は74年、4枚目盤から。なんつーかこの辺の曲は。何回聴いたかわからぬ。説明不能。10.は件のリーン・オン・ミー。72年のナンバー1ヒット。ヌーボー版聴いた人は回転数間違えてかけちゃったって思うかも。あ、これCDか。完全な祈りの歌です。助け合うしか方法が無かった故郷の極貧炭鉱町の歌。その有様は想像出来ないけどその気持ちは歌からびんびん伝わって来る。これが1位になったアメリカ。国がそう思っていたのかも。11.ハーレムは1stの冒頭飾る曲。その時ビルさん33歳。これが71年の音です。12.ユース・ミー。ヘソに登場キラー曲。このリフを聴いとくれ。これがグルーヴつうもの。バックはワッツ103丁目バンド、真ん中でつんこつんこどうやって叩いてるかわからんビート叩き出すは70’sファンク・ドラマーの雄、ジェイムス・ギャドスン氏。かっこいい塊曲。これが駄目ならどうしましょ。わたしゃ引き下がります。12.もバンドがクール・ファンク炸裂の2ndからの曲。べたべたーめためたーって歌ってるけど私がめためたです。やられて。と6.からここまでがど真ん中たんこぶ音楽集。これら聴いてからまた14.からのお洒落再突入すると違って聴こえてくるから不思議。15.はジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス。名曲です。無慈悲な女性コーラス最高。ぶっきらぼーで優しい歌声。街の風景は六本木から10年経ってここにいるLAのど真ん中。炭鉱の少年ビル・ウイザースは変わったのでありましょうか。

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3/20(日)
優しい音楽
cover
Labi Siffre,

Peter Shelley,
Hamilton Bohannon,
Sutherland Brothers
,Gene Cotton

シリーズ「Next Break」

先週から仕事上でしんどい事件があって体調も崩しこのWANTEDも2日お休みさせていただきました。ちょっと強がってるとこもあって覚悟の割にはまだ体が追いついてませんが、やっぱり何より元気になるのは音楽のこと。今日は今注目してて探してるとこ、注文中で到着を待ちわびているものなどを紹介させていただければ。全て英国、米国チャートで見つけてコンピで数曲持ってるものの本格的に聴くのはこれからとゆう人達です。みんなレコード会社が超マイナーだったりしててヒットがある割に無名の人達かも。
まずはラビ・シフレさん。71年から72年にかけて英国でヒット3曲、87年にソー・ストロングとゆう大ヒットを持つ方。イット・マスト・ビー・ラブってマッドネスの曲のオリジナルやってた人です。英国生まれのインド系黒人の人らしくゲイで文筆家でもありマイノリティの権利をずっと訴え続けてたそう。とは言っても攻撃的では全然無くて、そりゃもう知ってる限りでは優しい歌ばかり。しんどい時にそっと後ろから声をかけてくれるようなそんな音楽です。現在75年頃の音源を集めたコンピを注文中、エミネムやワムの曲の元ネタもあるらしい。とても楽しみです。声、歌い方がシンプリ・レッドの人にそっくり。
次はピーター・シェリーさん。英国チャートで74年にGee Babyが4位、Love Me Love My Dogが3位まで上がった人。ラビさんに負けないくらい優しい歌。私を愛して私の犬を愛してですから。歌の中で犬を呼んでたりして。ああ、犬と暮したい。この方の音盤はもー絶望的に入手不可能。だいたいアルバム出してるのかもわかりません。どこかで偶然中古LPに出会うのを待つしか無さそう。こんな素敵な歌なのにましてや大ヒットしてるのによくわかりません世の中。
ファンクで今かっこいいんじゃないかーもしかしてと思ってるのがハミルトン・ボハノン氏。75年にあのファンクが苦手な英国チャートで3曲のヒット有り。スティーヴィー・ワンダー・バンドのドラマーだった人のようです。アフリカ・モードを加味した泥臭いファンク。アメリカ・ファンクの中でもちょっと違う個性があってそこに興味しんしんです。幸運なことにCDがいくつか出てる。
次はサザーランド・ブラザース。ロッド・スチュワートのセイリングのオリジナルをやってる方々。自らも76年にクイーバーとゆうバンドと合体して2曲のヒット有り。その2曲はもうセイリング級のナイスな曲で、POPで優しくとにかく抜けてます。うちではアルバムは一枚、77年のダウン・トゥ・アースとゆうのを持ってましてこれがまた極上。押しの強さとかは全然無いけれどとにかく気持ちが良い音楽を作ってくれてます。現在73年の「ドリーム・キッド」を注文中。楽しみで楽しみで。
最後はジーン・コットンさん。アメリカで77年から78年にかけて4曲のヒットあり。うち1曲はキム・カーンズ嬢とのデュエットでヒット。CD化されてるのは残念ながらその曲のみ、キムさんのアルバムで。音楽はイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーを強烈に思い出します。彼らのベストの曲に匹敵するほど極上なポップ・ソング。聴くと全てを忘れてとろけちゃう。何でCD化されないのかさっぱしわかりません。悪魔のレーベルABCとアリオラだからか。何かきっかけがあって、例えばTVドラマに使われるとかしたら一挙にブレークしてもおかしくありません。この人も7枚のアルバムに偶然中古棚で出会うのを待つのみか。ああ、神よ。偶然でも何でもここをもし万が一見られてる日本のレコード会社の人がおったら是非独自に。お願いします。
とまあ揃いも揃って優しい音楽ばっかですけんど、勘弁してくだされ。同じようにしんどいおじさん、おばさん、若者、じいさん、ばあさん皆さんにお奨めいたします。入手難なのは、いた仕方が無いけれど。

曲目等詳細

3/21(月)
粘り
cover
Showdown
Gallagher & Lyle
1978

シリーズ「英国SSW」

今日からこの日々のWANTEDのコーナーを日々のThank You盤のコーナーとすることにしました。私も東洋初のPOP音楽感謝家になることに(^0^)。マスターつう名前も元々は名無しの管理人って意味なんすが「名人」とかおこがましき意味にも取れちゃうので別のものに変えようかと思ってます。世の中にあるあまたのレコードにどれだけ沢山喜びを貰って来たことか。紹介なんてもう僭越で、これまで以上にそれらの盤への感謝、ラブレターでここを書かせていただければ。ROCKSも音盤大感謝サイトつうことでよろしくお願い申し上げます。
その第一弾は英国の世界一地味コンビ、ギャラガー&ライルのお二人を。78年のアルバム「ショーダウン」です。まったく世の中捨てたもんじゃなくCD化なんて夢だと思ってた彼らのアルバムが一挙に再発されたのが去年の4月。あの重い腰のA&Mさんついにやった。快挙でした。しかしながら当然ちゅうか(^0^)そろそろ早くも入手難雰囲気が。もしやこの後、再再発はあるとしたら22世紀かー。アップルの作曲家コンビでキャリアを始めた彼ら。その後マクギネス・フリントで英国でヒットを。ロニー・レインのバンドに入ったりしながら己のレコードを。その作り出す曲群はあまたの音楽家に愛されて、特にアート・ガーファンクル。ブレーカウエイは彼の代表曲にもなっています。そうやって曲と音楽は人の手によってブレークされながらご本人達のレコードの売上げはさっぱし。それもそのはずつうか、だいたい輪をかけて地味に作ってしまいよるのです。お顔の方もギャラガーさんは北京系直立猿人ゴリ似、ライルさんはアイルランドの刑事ドラマの警官役やらせたらさぞぴったしでは無いかとゆう人達なんで。それでも年を経るにしたがって少しづつ派手にはなってまいりました。初期は弾き語り形態も多い英国フォーク、それが変わって来たのが74年くらいから。76年の「ブレーカウエイ」で当時ぼつぼつ出始めて来たAOR風味の音楽に入道し始めて。それでも自分達のスタンスは何も変わっておりません。このショーダウンはその路線の3作目。まったく揺るがぬその音楽。優しくて押し付けがましくなく、とことんお洒落にするのが恥ずかしくて、出来る限りの良い曲を書き、飾り立てない最小限のアレンジでやってくれてます。直近で誰を思い起こすかと言えば分裂後のグールドマン=スチュアートの10cc。英国ポッパーの業の深さがたっぷりだ。けっこうここまでやるのはきつかったと思います。年1作で出し続けてもさほど売れず、音楽も変わらない。所属レコード会社はメジャーのA&Mですから。中には嫌味の一つも言ううやつもおったかと。もう少し派手に出来ないかとか、ディスコでもやればいいのにねえとか、また作ったってどうせ同じ売れないでしょとか。だからかこの盤では、でもって言った方がいいかな、プロデューサー氏はエンジニア兼、ゲストは一切無く、無名揃いの己バンドの面々だけで。それ故返って純粋混じりっ気無しのギャラガー&ライルの世界が。1曲目のタイトル曲、これだけはちょっとKC&ザ・サンシャインバンド風の歌詞織り交ぜたりして少し派手(^0^)。でも2曲目からはまたもやいつもモードに。凄い意志の固さ、頑固。これには最後まで聴くと言いようの無い感動が襲って来ます。音楽の強さは見掛けでは無し。やり遂げて後世まで悔いを残さぬアルバムを作り続けたくれたベニー・ギャラガー、グラハム・ライル。このお二人に思いの丈の感謝を。
THANK U VERY MUCH!。

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3/22(火)
南の温い声
cover
Cool Night
Paul Davis
1981

シリーズ「あんふぉーげった房」

どうにも暖かい音楽が必要でレコード棚から引っ張り出して来たポール・デイビス氏の盤。まさかなーと思ってアマゾーンさん見てみたら何とCD化されてました。しかも日本盤。本国でもベストもの数種が出てるきりでオリジナル盤はほぼ全滅状態なのに。これは一体。理由はやっぱり何クリなのかわかりませんが快挙であることに間違いありません。’70s初頭から米南部アトランタでひたすら地味に活動してたデイビスさん。その頃はカントリー畑。と言ってもどっか納まりきらぬそのPOPさ。その筋のメーンストリームに仲間入りすることは適わず孤高の存在に。もちろんサザン・ロックではありませぬのでどうにも周囲の土地イメージにも合わず。それが77年に突然出た大ヒット、アイ・ゴー・クレージー。とてつもない曲の良さからTOP40に40週い続けるとゆう。ほぼ10ヶ月。あの生き馬の目を抜く競争世界でこれは驚異的です。全然邪魔にならずそばにいていつのまにかかけがえの無い存在になっていた。彼の音楽そのもののチャート・アクション。私も5週目くらいからメロメロになっちゃって。探し回ってその収録盤、シンガー・オブ・ソングスをやっと入手したのを懐かしく思い出します。その盤、パンクの時代に食うためにやむなく売っちゃったんだけど。当時彼が在籍してたのが南部の小レーベル、バング、そのせいも有って中々ブレークしなかったり入手難しかったりしたんだと思いますけど、その後このヒットのおかげでメジャーのアリスタに移籍しました。クレージーの後、ちょぼちょぼヒット数発の中での移籍。実績出来ていたのでそれなりの契約金なんかもあったんだろうなあ。その分、期待も大きく、この盤、クールナイトも予算もいつもより多そうな音になってます。でも録音はやっぱり地元ジョージア・アトランタ。マスタリングはナッシュビル。音からすると想像出来ませぬ。これも南部の音であります。ご本人はなーんにも変わらず。いつも通り顔に似合わずチャーミングな声でいつもようにそっと寄り添う曲を。ただ80’sのゴージャスな音の中で少し恥ずかしそう。腰が落ち着かない風情も確かに。そんな中これだけはと気合を入れているのが6.B面冒頭の「'65 Love Affair」。81年の音ならではのバックで65年の単純で楽しかった音楽を僕は今でもちゃんと聴き続けているよと歌ってます。チアガールの号令なんかもコラージュしてノスタルジーなんだけどこれが自分の音楽なんだからこれでやるっきゃないのマニフェスト。やっぱり父さん頑固。息子さんがいたらきっとヘビメタとかに夢中で、親父みたいな軟弱な音楽くそくらえとか言われちゃって困った顔してそうで。でもきっと今では親父さんのこときっと誇りに思ってます。AORブームの中、いきなしこれやってた訳でなく10年の結果ですから。日本では多分そのAORな風景のヒトコマになっているのかもしれません。でも65年の出来事の音楽。一つ奥を見てみれば。3曲のシングル・ヒットをここから生み出して、皆の期待に応えたあと、やっぱり華やかな場面はどうも居心地悪しとシーンから一歩退いてしまいになりました。現在も元気でいられるでしょうか。また出てきても全然変わらぬデイビスさんだろうと思います。髭面すっかり板について黄門さんみたいになってるんだろうなあ。軟弱と呼ばれようが、何たって私の音楽世界の中でかけがえの無い方。お礼言うっきゃない。ありがとんとんワシントーン。

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3/23(水)
あっかんべー
cover
Born Again
Randy Newman
1979

シリーズ「あんふぉーげった房」

アメリカはLAに生息するシンガーソングライター、ランディ・ニューマン氏。77年の前作「小さな犯罪者」の中のショ−ト・ピープルがどうゆう訳か大ヒットになっちゃって世間が大騒ぎ。やれ小さい人間をバカにしてるだの、差別的だなど。元々歌の登場人物になりきって再現する歌う映画役者さんだに、ドラマの中の悪役俳優に向かってお前は悪いやつだなどと言われたようなもので、そりゃこんなんですけど繊細なおじさんですからかなりこたえもし頭にも来ただろうと思います。サタデイ・ナイト・ライブに出演時、「わしゃ自分の歌についてあれこれ言わんのだが、この歌について何やかんやゆうてる人達に一言”ぶーーーっ”」ってあかんべしてた。なお納まらなかったとみえ待望の新作はこれ「生まれ変わったら」。顔にキッスみたいにドル・メイクして生まれ変わったら摩天楼のオフィスビルでらーいぶどあのあの人みたいに企業買収して儲けちゃうもんねって真面目な顔してます。机の上の羊の置物かわゆく、写真タテの中の家族もしっかりドルメークしちゃってる。裏ジャケではその顔であかんべーだ。どうせ誤解しやがるのならもっともっとわかりやすくして非難してみなはれなってなもん。恐るべき子供ちゃん、パンキーな態度や。わたしゃ小さな犯罪者が人生盤になっちゃうほど大好きで、次は次はとわくわくして待ってたもんでこれには手に取ったとたん「やったね&ぎゃはは」。ここでぎゃははともしならなかったらこのあけすけな黒冗談盤と気持ちがシンクロすることはなかったかと思います。
で、で、1曲目は「私が愛するのはお金」。♪わたしゃ山が嫌い。海が嫌い。イエスが嫌い。やつは何にもわしにしてくれたこたあない。わしは姉さんみたいにかわいかないし、親父みたいに小ずるくも無い。お袋みたいな善人でもない、わしは金がすきだ。」ってまー(^0^)。さらに「♪やつらは金ではこの世の愛は買えないってゆうが。半ポンドのコカインが買えるよ。16歳のおなごも買える。9月のホットな夜にぴったしの素敵なでっかくて長いリンカーンも買える。それは愛じゃ無いかもしれんが。なかなかいいものだよ。わしは金が好きだ。あんたにキスしたいね。」ってまー(^0^)。この世の顰蹙を全て集めたような内容で。ここまでやりゃあまさか本気で俺がこう思ってるとは思わないだろうってか。本気だったりして。ははは。これをニュー・オリンズ風得意ラグタイム・スパイ映画サウンドにのせてやってくれます。悪ノリだー。でもその悪のっちゃうとこが好き。It's ランディ That I Love。2曲目がまた楽しいぞ。ロックンロール・バンドの物語。ELOの歌です。サウンドまんま。歌詞もまんまELO賛歌。でも「♪ジョニーは小さなバイオリンを演奏する。ボビー・ジョーはでっかいバイオリンを演奏する。」ってそんなやついたかー?最後の最後まで細かいとこまでELOフレーズ満載で。前の歌のこともあってこの人、ELOをバカにしてるでしょと思わせる。でも実はランディさん、ELOのマジファンだそうで。大真面目に最高だって讃えてる。2重の罠だわさ。わたしゃそう思います。リプライズまであり。3.は場面転換。大都会の孤独な少年に静かに語りかけ4.ではお得意ニューヨーク・ニューヨーク調しかしカントリー風の音にのせてサラリーマンの歌を。これもキツイ内容でございます。5.は寂しい古城に住む幽霊の独り言。情景がばあっと目の前に。6.は普通の普通の新婚さん夫婦の歌。ピニオン無し。ただただ彼らのしばしの人生の一コマを。ひっくり返ってB面最初の7.はスパイ。日本から来たかわいい女性スパイの歌。これも彼女が良いとか悪いとかオピニオン無し。映画ですから。これを見てどう思うかは貴方次第です。スリリングなサウンドが刺激的むー。8.私の人生の女性達(第一部)。そのものずばり彼女たちのことをどこに住んでたとかどこで会ったとか、で結局その一人と結婚しました私たち。でとても幸せです。9.の半人前の男。これが私のベストトラックです。歌詞の一言一言が染みちゃって。その内容はまだの方は是非CDで。私でも充分わかる簡単な英語です。この人の場合、みんなそうなんで洋楽なのに歌詞込みで心に入って来ちゃう。10.のウイリアム・ブラウン。必ずアルバムの中に1曲はある百姓歌。素朴で平凡で何のとりえも無いかもしれないけど底抜けに善人な人の歌。一番優しい歌声のランディ氏はここにいます。いつも一番短く恥ずかしそうにそっと納められてるけど見逃しません。どんな登場人物に対しても貴方も私も同じ哀れな小さな人間だよなあって。それがランディ親父の歌だと思います。最後は正体見せちゃったのがとっても恥ずかしくなって「パンツ」。パンツ脱いじゃうぞ。ママもパパも警官も大統領も止められないぞだって。パンツ脱いじゃうぞ。私のパンツ脱がす〜?パンクもやっぱり意識したのかな。リズム隊は前作に引き続き当代きってのアンディ・ニューマーク&ウイリー・ウイークスのコンビ。ボイちゃんのヤング・メリケンズやスティーヴィー・ウインウッドの1stのあの人達です。びしっと締まったこれ以上無い無敵のリズムグルーブ。扇情的ギターはワディ・ワクテルさん。そしてぽろりんとピアノ、歌はピエロ役狂言師のランディ・ニューマンさんでした。
ThAnk YoU VEry mUCh!

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3/24(木)
大英語
cover
Just Another Band from L.A.
Frank Zappa & the Mothers
1972/4

シリーズ「Pa!」

フィルモア・イーズト・ライブ盤の2ヵ月後の71年8月7日にLAのUCLAで行われたライブの模様を納めましたのがこの「LAから来たバンド」。その2ヶ月間に連中が何をしてたかとゆうときっと歌詞を覚えていた。と思えるほど物凄ーーい英語の洪水。いやバンドも大変、うーんわしには出来んきっと。新生マザースの第一の目標、言葉と歌で観客と丁々発止するっつうのの頂点盤でござる。しかも地元ネタ、時事ネタ満載。限られた絞った題材を濃密に。その場その時間で最高に光って、後にとか世界的にとか有効であるかは全く眼中になかった模様です。しかるにいやー目の前で宇宙人達が謎のショーらしきもの繰り広げているようでして、しかもこちとら映像無しだから目も耳もぱちくりするしか無いよー。輸入盤だと全くKOなんで邦盤を買うのがよろしかろうと思いますがうちのMSI盤の濃密な訳を読んでもまだよくわからんと。今のCDでもザッパ盤のことですから同じように付いてると思いますので見ていただければ。それを作った方もすげー。瞬間瞬間でウケ狙おうとししたんかな。それがパッとわかってしまう英語力欲しかー。それだけわかったら図面書き何かしてないか。わはは。マジで聴き取ろうとすると難行苦行、今何やってるのかわかんなくなるんで、突然オズの魔法使いだったりCSN&Y出て来たりするとこを、おーーとか言って喜ぶ。そしてビリー・ザ・マウンテンを聴き通した貴方は言い様も無い感動に襲われるでしょう。聴き通したって。とゆうわけで何回聴いても「ビーリー・ザー・マウンテーン」のとこしか覚えられない私であります。その点、ベジタブルやドッグ・ブレスはそこまでザッパさんを聴いておれば勝手しったる愛しの名曲、わーって楽しめちゃう。ビリーの時は客も静かなんで向こうの人もけっこうついていけなかったりして。もしかするとやっちゃったかなザッパさん(^0^)。でも無駄なことなんてありゃしません。後にも先にもここまでやった音楽は確実にこれだけだと言えるぞ。その事実だけでもどっかとザッパ・ファンの心のお尻に巣食って人生の残りの全部ですっかり一緒に歌える日が来るだろうかと夢想するそんな盤です。間違って最初にこれに遭遇してしもうたら。とびっきりケチな人ならこれだけ濃密お得な盤は無し。普通の人は・・・・。ご愁傷様。なんちゃって。急いで次のワカジャワカ買ってね。何にしろやっぱとんでも無い人ですわ。人じゃないか雑葉大明神。しっかり今日も聴きましたから私に福を下さいまし。

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3/25(金)
パリの獣三匹
cover
Paris au Printemps
Public Image Ltd.
1980/11

シリーズ「新波倶楽部」

ジョニー・ロットン否ジョン・ライドンがセックス・ピストルズ後に結成したバンド、PILのオリジナル・ラインナップでの唯一のライブ盤がこの「パリ・ライブ」です。パンクなんて何だあんなのとお思いの方でもこの音楽が売れようとかそんなことは全く考えようも無く出現したものであるってことだけはわかっていただけるはず。音楽的衝動以上に自らの置かれた状況によって言ってみりゃあやむなく登場した感あり。70年代に入って突入した英国の大不況。石油ショックによってレコードすら作る材料も不足したりして。それでも騒ぐしきゃないと絢爛グラムで花開かすもそれさえ終わって祭の後。その後の世代は先が見えてる、しかもどう考えても真っ暗な未来。社会の末端でどこにも持って行き様の無い感情。それで音楽が出来るやつは大好きな音楽でこんなこたあしたくは無いがもうやらざるを得ないみたいなとんでもなく切迫した有様です。ピストルズの時はこれで世の中引っくり返してやるつうな否定的な前向きさありましたけどこのPILとなると・・・その閉塞感情を裸のままむき出しに出してやるのだつう最終覚悟有り。そりゃ嫌われて当たり前で、聴く方だってできればこんな音楽聴きたくは無い。でも聴かずにいられないみたいな。しかもこの盤の会場はパリ。イギリスとはまた状況が違う。やる方も何だこいつらのほほんとして着飾りやがってって最初の偏見イメージばりばり。レコード会社との契約の関係で無理くり出さざるを得なかったとは言えPILの第一目的敢行のため、わざと一番雰囲気の悪い会場での録音を選んだのでは無いかと。しーんと静まり返った会場の中で各人ひたすら自分の鼻の頭を眺めているかのような演奏が続きます。聴衆をせせら笑うかのごとくベースのジャー君、サティスファクションのリフをちらっと。しーん。そしてシャラップ。これはパンク・ポーズでウケを狙ったのでは無く本気のシャラップ。金縛りの演奏はポップトーンズで盛り上がりを一切拒否していきなり終了。まさかこの盤の感情がわかりかけてくる日が来てしまうとは思ってもいなかったす。この時の状況と今の日本の状況、気持ち悪いくらい近づいてます。聴いてて辛い。辛いけどカッっと目を見開いて見るのだな。でも一旦見るとこれは見続けられるはずも無く。PILもあっとゆうまに終演。それでも音楽の才能がありそれが出来たってゆう幸運があった彼らはいらなかったけど一番求めていた名声を手にしてその先をぐだぐだになりながらやり続けるしかありませんでした。生きていく為に。それを聴いていたイギリスの若者は、スミスのようにそんな状況の中でも目一杯自己肯定して生きるか、そんなことばっか言ってないで化粧してパーティして楽しむか、真面目に見過ぎちゃったものは自爆してしまうか。時を過ごして。うーんやっぱ時を待って状況が変わるのを待つしかないのか。その時その時を懸命に生きて。人間のやったことでそうなったのに人間の力ではどうにもならないことなのか。そんなことを考えてしまいます。とてつもなく真面目な音楽だと思います。

曲目等詳細

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3/27(日)
ついに
cover
David Live
David Bowie
1974

シリーズ「GlaM!」

ボイちゃんリマスター最後の砦両ライブ盤、特にもしかして無いんじゃ無いかと思われておりました74年のデビッド・ライブが15日に発売されました。実はまだ買うてません。なのでまだアナログ盤愛聴の次第。今回のCDではツアーの目玉だったはずなのに何故か入ってなかったスペース・オディティが入っておるのね。くおそれは聴きたい。その1曲のために行くのかー。
えー、昔から評判が何とよろしく無い盤でして。とゆうのもボイさん、体調ぼろぼろ。プロデュースのトニさんなどはもうぼろくそに言っておるらしい。ファンの間ではあの「すべての若き野郎ども」のご本人版が聴ける盤、ちゃんと普通にイントロからやってくれー(^0^)、でお馴染み盤。今聴き返すにそないに悪く言うこと無いんじゃないかーの思い強く。時を経るにつれて悪いものはより悪くって話がでかくなるのでこれは用心せねばなりません。信ずるものは己の耳、音楽心のみであります。前代未聞の規模で開始されたダイアモンド・ドッグス・ツアー、でか過ぎてスタッフが付いていけず中断したその直前、74年7月14,15日フィラデルフィアはタワー・シアターでの公演を収録した盤です。この後その足でヤング・アメリカンズの録音に突入する頃。とにかく凄かったらしく巨大クレーン導入するは、エレベーターステージはあるは、シアトリカルの究極、ダイモンド・ドッグス・キャラになりきったボイさん。観客動員数もチケット代が当時の相場の50%上高かったにも関わらず絶好調、プレスも評判も上々。有名人続々押しかけ、ロス公演ではジョン・デンバー、ニール・ダイアモンド、ドノヴァン、そしてダイアナ・ロスさんなどはもううっとりしてステージ見ておったなどとアナログ解説福田一郎氏が書いております。ある意味ボイさんも大満足、さーこれから念願のアメリカ進出だったのだけど、別な面ではかなりハードだったらしく自分で仕掛けたその巨大規模のプレッシャー、キャラになりきる辛さ(又も)、ご家族の問題もあったのかな、ドラッグ摂取いよいよ激しく、それはジャケのお顔からも充分わかる。怖いよう。そのギリギリの鬼気迫る感じが魅力でもありまた余裕が無いとゆうことで評判悪しにもなるとゆうことかも。バックのサウンドはもう文句付けようありません。リズム隊がトニー・ニューマン、ハービー・フラワーズの英国布陣。トニー氏はJBBのベック・オラで豪快どっかんドラムを叩いてたお方。こんなにうまかったのかーと感嘆しちゃう。ハービー氏はジョン・ポール・ジョーンズ無き後英国一のセッション・ベーシストとなった人。こんなにファンキーも出来るのかーって。ご両者ともダイアモンドドックスからそのまま参加ですね。同じく続いて参加は古くからの付き合いのジャズ畑の鍵盤さんマイク・ガーソン氏。ぶりぶり吹きまくるサックスはデビッド・サンボーン氏。そして何よりロンソンさんの後継者としてすげーギタリスト発掘しました、当時若干22歳のアール・スリックちゃん。アール君かっこええ。ぐゆわんぎゅわんグルーヴしとる。ファンキーかつハードです。この英米連合の音、来るべきファンク・デビッド・ボウイの幕開けとなってる。その意味で目玉はエディ・フロイドのカバー、ノック・オン・ウッドか。この曲になるとまるでソウル・レビュー化してしまう。イギリスの人達はホワイト・アイズになっちまったろうが、アメリカの民はもう大喜びです。本人は別に喜ばそうとしてそうなったのでは無く(それもあったか(^0^))、興味が当時どんどん熟成、とんでもないことになっていた米ソウルに向いていったからであって、一番その時に力発揮できる音楽をやろうとしてるボーイさん、いくらジギーが好きでもワルシャワが好きでもKOされるが吉。そしてギリギリの状態の中で必死に突破しようとしてる歌声も。ご本人は聴き返すのは辛いのかも。にも関わらず出してくれたのに感謝です。確かに状況によってはもっと良くなったかもしれん。だけどこれがもう二度と書き換えることが出来ないシーンです。見ることが出来なかった方が良いなんてとても言えない。文句言おうと思えばいくらでも言えるものに言うのは何と申しましょうか・・・・優しく無いぞえ。。

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3/28(月)
見つけた宝物
cover
Hidden Gems & Treasured Friends
Mike D'abo
2004

シリーズ「英国シンガーソングライター」

懐かしさだけじゃずっと音楽と付き合って行く事は出来ぬ。とゆうことで今日も今日とてまだ見ぬ昔の新譜を求めてレコード屋さんの棚を飛び交う脂肪付き妖精であります。先日、アナログの出物が無くて仕方なくCD棚の捜索開始。マンフレッドマンの安いの無いかなあと見てみたらなんじゃこりゃ。血だ。じゃ無くてマイク・ダボさん。ダボだぼ、あ、マン2代目のボーカルさんじゃないか。しかも見たことないブツだ。レーベルは?エンジェル・エア。うぐ。英国の業の深い再発レーベル。音楽好きがわかり過ぎるほどわかるそのラインアップ。しかし正規ラインのやつはなかなか出せずついヤクザな音源ばっかつうイメージのとこです。うーんやばい。どうしよう、えい、行っちゃえと買ったら、良かったよう。大成功でした。読めぬ英語のライナーを解読してみるとこれマン脱退後ソロになってロッド・スチュワートが歌った「ハンドバッグと外出着」がブレーク、順調なスタート、自分のバンドも出来てノリに乗って録音した3rdアルバム。出そうとしたらレコード会社がコケちゃってお蔵入りしてしまったって音源。そして後半はそのバンドでのミニライブ。が収録されてるものです。長いこと行方不明、本人もどうなったか知らなかったその音を持っていたのがバンドのベーシスト、モ・フォスターさん。いやーバンドの中には一人くらいそうゆう几帳面な人がおるもんだ。しかも状態完璧。これがほんとにお蔵入りものかってびっくりしてしまいました。ダボ氏の魅力はまず第一にその声。パイロットやバッドフィンガー、アル・スチュワートにつながる英国のポップ・シンガーじゃなきゃ無いチャーミングそのものの声。どんな歌歌ってもちょっと恥ずかしそうで押し出しはそりゃ強く無いけど聴いてるだけで幸せになっちゃう。そしてソングライティング。もう正しく70’s前半の音。スワンプちょっと入って、キャロル・キングとかSSWの要素ももちろん、同世代エルトン・ジョンの初期盤に通じるリリカルさ満天。だけど誰かにそっくりかとゆうとちょっと思い当たらぬダボさんのレコードじゃなきゃ聴けない音楽が一杯です。しいて弱点を言えばユア・ソングみたいなキラー・シングルが無かったってことかな。それが有ってレコード会社運が有ったら今全然違う立場にあったかも。バックの演奏、アレンジも言うことなし。控え目でツボを押さえたブリティッシュな音。まったくとんでもないもんが蔵に入ってた訳で、怖いすねえ世の中は。この渾身の作品がぽしゃってしまってさすがにかなりショックだったようでその後の活動にかなり影響を与えた模様。30年経っていささか遅かりしですが極東の島国の一角で人生盤にさせていただきます。こんな音楽残してくれてありがとうと言うしかありません。ご自身のサイトあるのかな。行って書き込みたいくらい。後半のライブがまた・・・最高に素敵。信頼しあった仲間との息のあった演奏。拍手まばらで悲しくなっちゃうけど。ラストの「ハンドバックと外出着」。大切に大切に噛み締めるように歌って。サビのところはみんなが心で歌うように飲み込んでます。私も歌いました。こんな曲かける人に悪い人はおりません。また一人しっかり追いかけさせて貰う方が登場で私は嬉しい。やっぱり見えてるところを見るだけじゃもう一歩の幸せはつかめないのかもしれんなあ。

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3/29(火)
冬の輪舞
cover
Initials B.B.
Serge Gainsbourg
1968

シリーズ「おフランス」

今年になって夢中のおフランスとセルジュ親父。最近ここではなりをひそめているようで飽きちゃったって訳ではけっして無く密かに集めておりました。ジュテーム以前のではこの前やらせてもらった一枚、ジュテーム以後では”キャベツ野郎”以外のを全部。してその中で同率首位所見インパクト最大繰り返しはまり度最大なのが「メロディ・ネルソンの物語」そしてこの「イニシャルBB」です。じつはこの盤、いっちゃん最初にセルジュさんThAnk YoUで登場のコンピ「コミック・ストリップ」とだぶりまくり。おお最初に戻ったぞ。あんまりにもすげーので繰り返し何のそのまた感謝してしまおう。えーこちらがオリジナル・フォーマットでの発表盤です。人妻ブリジット・バルドーはんとTV番組のお仕事が縁でしんねこな関係になってしもうたセル爺。「私のために貴方が想像できる一番美しい曲を書いて〜」と言われて一晩でむおーと熱にうかされて作ったのがジュテームと8.のボニー・アンド・クライド。そのジュテームがあまりにとんでもな代物、あっはんうっふん愛してるわ私も愛してるわ大特集だったもんで発表前に世間で大評判。それまで見てみぬ振りをしてたバルドー旦那の実業家ギュンターさん、さすがにええ加減にせいよと妻を一括、別れる事になっちゃいました。どかんと作った渾身曲が元で別離とは何てこったいとセルジュさん大落ち込み。しばしどん底に落ちた後多摩川グラウンドで上がって来る朝日と沈み行く月を同時に見て立ち直り(これは巨人の星かー)作ったのがこの盤とゆう次第です。どうしてもその思い振り切る為にこの時期に出したかったらしく内容はタイトル曲など新録少しとバルドーさんとのデュエット盤からのと66、7年に出したEP盤からのを収録。バルドー期の俺はこうだったんだ、これが俺の想いだーって感じかと。音楽モチベーションはそりゃ一番だった頃なんで悲しい失恋絡みとは言え、ぱっちぱちに弾けた曲ばっかりだわ。サウンド・パートナーは英国人アーサー・グリーンスレード氏。録音も英国でヤードバーズ、ストーンズのプロデュースでお馴染みジョルジオ・ゴメルスキー氏の下、地元ミュージシャンで。そのグリーンスレード氏。60’s英国POPのサウンド・クリエーター王者。トム・ジョーンズからダスティ・スプリングフィールド、キャット・スティーブンス、ロックではクリス・ファーロウのストーンズ曲「アウト・オブ・タイム」などロンドン・サウンドのドンみたいな人です。その彼の才能を極限まで絞り出させたのがセル爺のすげえとこ。まあ原盤1曲目のイニシュアルBB聴いてみてください。嵐のさなか突き抜けるようなリフ。絡みつく扇情的ストリングス。ここお得意のクラシック曲引用ドボルザークの「新世界」フレーズらしいんだけど私にはわからん(^0^)。このロウファイ感とファンキーなビートは確実に今を突き抜けてると思う次第。2曲目コミック・ストリップで登場の鞭のような声の女性が噂のBB嬢。ああこわ。しかもテープ編集で加えてるもんだからサンプリングみたいで人工感増して怖さ倍増。分かれた後BBロボット作って歌わせてるみたい。血まみれジャックとジキルとハイド、トレー・キャニオン、シュビドゥバドゥバでは外から見なきゃ出来ないロンドン・サウンドの一番キャンプな部分を。そしてさらに時空を超えちゃってる曲はアナログB面冒頭原盤7.のフォード・ムスタング。イーノ・プロデュースU2みたいな導入から強烈リフ。狼バルドー噛み付いてぶら下げながら歌う親父。虚空を彷徨う弦。次の件の問題曲ボニーとクライドもさすが絶頂曲す。これはベックが裸足で逃げ出すこと請け合い。既にここまでやられちゃってる。これがデュエットだつう二人の正に共犯曲です。ジューテームもそうだけどこれもここまでやられちゃったらさすがに旦那も黙っちゃらんねえだろう。ボニーとクライドになられちゃったらねえ。次は再びベックがやりそうなビッグ・ビートの黒と白。ハイパーでキャンプや。秘密のアッコちゃんと雌猫三匹のコーラスのイエエ、イエアがあんまり強烈なんで一緒に参加してしまう「誰がインで誰がアウトなん」、お気楽なパリ散歩しながら「ホールドアップ」って脅かしてつうよりアホーだって聞こえる、最後は何でこんなん明るいのマリルーで終演。それもそのはずセル爺には次の運命の女(ひと)、ジェーン嬢がおりました。音楽で恋に落ちて音楽でカタをつける。いやーさすがフランス人やねえ。

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3/30(水)
極上です。
cover
The Music of Labi Siffre
Labi Siffre
2001

シリーズ「英国シンガーソングライター」

いやーやられました。今年は本業はともかく聴く方では音楽人生に関わるミュージシャンを3人も見つけてしまった。セルジュさん、マイク・ダボさん、そしてトドメはこのラビさん。そもそもは英国チャートヒットがらみの曲を集めていて出て来たマッドネス「イット・マスト・ビー・ラブ」のオリジナル版。ラビ氏の71年のデビューヒット。こ、これは誰なんだと。そして72年の2曲のヒット、特にウォッチ・ミーってやつぁあ美しいとしか言えん代物で。も気になってしょうがないでこの75年前後の音を納めたCDを注文してしまいました。そしたらまー。凄いよこの人。一挙に自分の中でスティーリー・ダン級の存在に。大袈裟じゃなく。今活躍してる人に密かにサンプリング・ネタとしてもててるらしいです。1曲目などどっかで聞いたことあるなと思ったらエミネムのマイ・ネーム・イズのバック・トラックやんけ。他に13.のウッド・ユー・ダンスはワムのウエク・ミー・アップの元ネタ。バラードの歌声はシンプリ・レッド、軽快なファンク・チューンはジャミロクワイだよな。彼ら、子供の頃に聴いたのが強烈に心に残っておったのかもしれません。私だって40超えだけんどガキの頃のように繰り返し聴いてる。こんなんもう滅多に無いす。
ラビ氏は多分40年代の生まれ。インド系ブラックの人らしい。少年の頃は欧州オランダに住んでおって各地を演奏の旅。60’sにデモ・テープをイギリスのレコード会社に何度となく送ったもののなかなか採用されなかったらしい。ようやく契約したもののレコード会社何かとびびっちゃってろくなプロモートせず。それでも71年にイット・マスト・ビー・ラブがヒットした。とゆうのもこの人、ハナからゲイだってことカミング・アウトしてまして、あえてこう書かせてもらえれば「インド外人、黒人、ホモ」のマイノリティ三点セット。最も差別されいじめられたんじゃないかと想像します。しかしその少数派であるがための得意な環境によって培われたものが魅力として発揮出来るのが音楽の素晴らしいところ。1.のようなファンク・チューンでは黒い血が。10.では吸い込んだモータウンの息吹きが。2.みたいな曲ではキャット・スティーブンスみたいなリリカルさ異国情緒が。何より神様、よくぞ与えた、声が絶品です。この声だけでほとんどの曲の魅力2倍増し。マービン・ゲイみたいに滑らか、加わって時折覗かすインドかなやっぱし、独特のオリエンタルな節回しがこれまた。しかも曲が素敵。ことごとく。そして恐ろしいことに後半、15.あたりから別な喜びが。イーグルス思い出すカントリー・ロック登場。16.なんてリフレイン好きな私はもうノックアウトです。バックで全面バックアップしてますのがパブ・ロック・ノヴェルティ部門王者チャス&デイブのお二人。チャスさんはクラプトンはんのバンドで有名になりましたアルバート・リーさんがおったヘッズ、ハンズ&フィートにいた方。お二人共、物凄いラビさんのファンだったらしい。ドラムはシャドウズのブライアン・ベネット氏。そしてびっくりあのキンクリ・アースバウンド男イアン・ウォーレスさん。上手い!時折あのフレーズが。ギターにはイギリス・ロック・ギター界のドン、ビッグ・ジム・サリバン氏。この方ギター教室でジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモア両氏を教えていたとよ。この凄いメンツによる演奏も惚れ惚れするもの。これだけ様々な音楽を統一されたトーンでさらっとやっちゃうとは。英国の底力たるや恐ろしい。カントリー・ロック調の曲で登場するスティール・ギターはこの手のには必ず登場するBJコール氏だなきっと。ラビ氏はこの後87年に(Something Inside) So Strongって曲が4位まで上がるヒット。今でも元気で詩人としても活躍してるらしい。生涯を通じてマイノリティの味方、レイシズムとも戦い、しかし音楽ではこの透き通った優しいもの。REOスピードワゴンじゃないけど目が澄んでて何よりそこに惹かれます。最も弱きものから見ることが出来る優しさ。なんと言っても魅力的な音楽ってのは苦しさから生まれるのかもしれません。金持になって脂肪だらけのビッグ・ミュージシャンからはけっして得ることが出来ない音がここに。とわ言ってもまー第一にリトルフィートやオーリアンズ、スティーリー・ダンとか大好きなバンドで見た魅力があるもんで夢中になってしまたんですけど。いや、こんな才能塊人が一般的に無名の世の中だったらましてや私どものバンドが全然駄目だったのも当たり前だなあと納得してしまった次第。参加したミュージシャン達は銭金抜きでこんな素敵な音楽を作れて最高に幸せだったろうと思います。心底羨ましい。

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3/31(木)
真っ直ぐだ
cover
Straight Up
Badfinger
1971/12/13

シリーズ「力POP」

1曲目、テイク・イット・オール。不滅の立ち直りソング。とにかく何かあった時。一緒に叫んで歌う。メイク・イット・シリイ、メイク・イット・バッド、全部なんて欲しいって言って無い。せめて太陽の光りくらい全部浴びてやるー。ピート氏の気持ち、軽々しく想像出来んけど、俺にもあるぞ叫びたい時。バッドフィンガーの3作目です。このテイク・イット・オールと2曲目ベイビー・ブルー、そしてデイ・アフタ・デイで燦然と輝く盤。とにかく良い曲を作ってそれを精一杯の演奏でやるつうミュージシャンにとって当たり前ながら最も困難なことに毎回挑戦してるバンド、バッドフィンガー。今でこそ紙ジャケ再発だーとなればレコード店店頭で予約開始!完売御礼なんて凄いことになるアップルの御旗バンドだけど、この時やぁ苦闘してたかと。ビートルズ解散後のごたごたでろくなプロモートも無く本国ではアルバムはチャートインすらしてないんだもんな。これだけの盤を出し続けて。そりゃくすぶってたのを引き上げてくれた恩はある。だけど貰ったのはアップルって名前だけみたいな感じに世間ではなってしもうて、あと1インチ、1ヤードだけ俺は欲しいよって叫びたくなるだよほんと。外郭だけ見たって夢のような盤です。プロデュースがトッド・ラングレン。まだベアズビルでエンジニア稼業にいそしんでいた時。ビートルズとウッドストックの出会い。なされなかったゲット・バック・セッションの夢。1.のオルガンにはビッグ・ピンクの幻が。そしてトッド氏自体の夢。憧れのビートルズとのニアミス。興奮が手に取るように。こっちは30年経って別な夢を見てる。4.のフライングでXTCのスカイラーキングを見る。XTC=トッド=ビートルズ=バッドフィンガーとくるくる廻る夢のような時間。って、ことごとくあの人とあの人とって言われちゃうんだもんなあ。叫びたくなります。でもビートルズ好きだししょうがないし。みんなもとてつもなく好きだし。あの素晴らしい曲を真っ直ぐにやってくれるって夢を望みを一心に背負っちゃってる。それだけのものがあるバンドだからです。あーだこーだと似てる、あー似てるとか言っても最後にはあなた方しか出来ないこの音楽をしっかり受け止めてます。やたら廻りばかりでかくなっちゃった御大より近くに感じて一緒に歌い叫べる。掛け替えの無いバッドフィンガーの渾身の一作。状況はどうであれモチベーションはこの時、最高。背中のウエイトも音楽作りにはいささかもこんな時は揺るがぬ。タイトル通り真っ直ぐでど真ん中しかなくて30年経とうがCD時代になろうがDVD時代になろうが聴きたくて紙ジャケやら何らかの理由付けて再発また再発、聴いて叫ぶぞみんな。スイート・トゥーズデイ・モーニング、いいなあ。デイ・アフター・デイ。ああ、スライド・ギターが。御大もきっと自分達の夢を見てたのかと。何かと背負わせちゃってごめんなさい。とにかくもう感謝するしかない。ありがとう。

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