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今日の推薦盤一覧2005.1上

 

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1/1(土)
ギター新年
cover
Derringer Live
Rick Derringer
1977

シリーズ「ギター屋」

明けましておめでとうございます。今年もどうかWANTEDをよろしくお願い申し上げます。さああて。新年一発目はこれで行かせていただこうとあっためておいたのだデリンジャー・ライブ!。ウインター一家の大番頭、リック・デリンジャー兄いが自ら結成したバンド、デリンジャーの77年ライブっす。同年のトロントとオハイオのギグを収録。オハイオは生まれ故郷じゃけん凱旋帰国公演だ。お兄さんはこんな立派になって帰ってきました。まーとにかく楽しい。皆さんはロックは好きですか?ハードロックは好きですかい?いえー大好きだー。ではもしこれ行ってなかったらまず行っちゃいましょう。ヘヴィメタで無いハードロック、やたらうるさいやつの魅力の全てが詰まってます。お約束の仕掛けも満載。聴いてるだけで光景が目に浮かぶ。しかもアメリカンじゃからカラっとしてます。ぐわーっと引っ張ってパスっと決める。江戸っ子だねえ。あまりのキップの良さに玉屋ー、いやデリ屋ーって声掛けちゃったよ。大体4.のビヨンド・ザ・ユニバースのギターリフ聴いて血が騒がないロック野郎はおるかいのう。でんでこでんでこ、だっだー。でこでこでんってかっこいいのか悪いのかわからんがとにかくかっこいい。鳥肌です。バンドもみんなうまいよー。チームワーク一糸も乱れず兄いを盛り立てての総攻撃。それに答えて唇突き出して歌うは弾くは。アイ・ラブ・ジミイ・ページのリックのリックが冴えに冴え渡ります。リック・デリンジャーさん、メロウな曲も大得意だけど今回はとにかくロック!ロック!。はいちゃんと入っておりますロックン・ロール・フーチークウ。いえー待ってたぜ。堪能してください。皆さんで西条秀樹踊りしてくださいー。途中で何故かトルコ?ロシア?方面にも旅立っちゃうぞ。ユ・リアリ・ガト・ミも登場するのだ。そう言えばリックはんはエドワード・ヴァン君と並ぶ笑顔が素敵なプリテー2大ロック・ギタリスト。笑いながら吠える男。えー、な訳で英国産みたいな哀愁、情念はありまへん。しかーしこれがアメリカン・ハードロックの真髄です。そればかりか70’sハードロック・ライブの屈指の名盤だ。昨年11月にCD化。祝!大祝!。うちはこの前アナログで27年ぶりに再ゲット、歓喜にむせんでおります。さてアナログだとちょっとこもり気味の音質、それでも臨場感抜群だけど、これがCDだとどうなっておるのか。うお聴きたい。この底抜け脱線発情ロック、無類の無邪気さは現在ではけっして生み出すことは出来まへん。大推薦です。いや現場にいたかったなあ。グラッチェ。これで輝ける大新年レッツゴー。

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1/2(日)
リフ道とべいび
cover
Led Zeppelin II
Led Zeppelin
1969/10/22

シリーズ「蔵人児」

Uです。ひかえおろう。へへぇ。ロックの鑑、ハードロックの教科書として君臨するも誰も手を出すことが出来ませんちゅうウルトラ盤。1stとそれに続くライブでプレスの反感もものともせぬ確かな手応えを得てそうですこれがゼップですと駄目押しをかましました。過酷なスケジュールの合間を縫っての録音とはいえ関係無し、どうですこの気迫、パワー、モチベーション120%の相手に勝てる相手など無し。細かいことなど言っても無意味なあっちっち充満満なのだ。さあリフだ。ロックはリフだ。全てはリフにあり。ブルースを範にしようが全てはそれのため。ペイジ氏の吐き出すごきげんなリフに挑みかかる3人の猛者たち。そしていかにベイビをかっこよく叫べるか。このベイビに幾多のものが挑戦し砕け去っていったことか。無念の呟きが聞こえるようじゃわ。カレー。それにしても有名1そして無名2、通1のメンバーにして既にこの大物感。堂々としてるたらありゃしないはどうです。湧き上がる確信、止めようも無い自身への自信ってことなのでしょうか。その大物感つうのがロックに大物は必要かちゅう永遠のテーマをも呼び起こしプレスの反感もパンクの誕生も。音楽が突き抜けていくと最早ジャンルを飛び越えてしまう、ロックであってロックで無し餓鬼道に一歩踏み入れた瞬間であります。って何を訳をわからんことを(^0^)。2作目にして音神がこのタイミングしか無いってくらいジャストに与えてくれましたのはこれが1曲目じゃなくて何としょうの”ホール・ロタ・ラブ”。1リフだ。でっかい大木の幹のようです。このまま言ったらどうなるってんでの弛緩の展開。戻ってくる瞬間のたまらん度はもうたまらん。そこに見ちゃったよ黒い人達がファンクさえ。それで大変なことになってしまいます、あっちの方面では。情けは人の為ならず。戻ってきますその種が。その興奮を静かに納めさせるがように見えて結局煽ってしまう2.に続いてレモン・ソング。元ネタは世界一顔のデカイ男、ハウリン・ウルフのキリング・フロア。面々はそのリフにロックを見た。やらしさにブルースを見た。4.のサンキュウはこの道も我の道と高らかに宣言歌。望まずと望まれるとに関わらずこの道も行くのだ。悪いか。笑いながら凄むプラント氏。5.うるさいわい。ならやってやるぜと2度目の光臨、音楽の神様曲、ハートブレーカー。ここで凄むはクワイエット・ゼップのジョン・ポール氏。唸りに唸るグルーヴィ・ベースはもう間違いない。ペイジ氏のと、て、つ、てろてろりんておてろりんは言わずもがなチョコレート美味しいよ。がっと終わって突入の時がまたたまらん節の6.リヴィング・ラヴィング・メイド。お金が無くてLPが買えずとにもかくにも買った胸いっぱいのB面曲だ。良いのか悪いのかわからんくらい聴いたのでわからん。よいのだ。再び緩めての7.ランブル・オン。お前らまだわからんのかこれがボンハム氏なのだぞの8.モビー・ディック。すげ。猛獣野郎出音が違いま。ラストはサニー・ボーイ・ウイリアムソンU氏元ネタのブリング・イト・オン・ホーム。ブルースへの惜別の別れかもしれん。なのだが書けば書くほどドツボにはまるアホ文だわい。どうか堪忍してくらはれ。色んな意味で恐ろしいUに向かって何か書くってことだけで痩せました。

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日本盤

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グッヅ

1/3(月)
おいちいおいちいおいちい
cover
The Best of the Ohio Express: Yummy Yummy Yummy
Ohio Express
2001

シリーズ「お日様POP」

オハイオ・エクスプレス。おはよう急行って名前だけだと超絶ファンク・バンドみたいだ。あれはおはようプレイヤーズ。60’s後半アメリカのジェリー・カセネッツとジェフ・カッツつう借金常習者みたいな紛らわしい名前のプロデューサー二人がモンキーズがそないウケるのならわしらも適当にバンドでっちあげてちょちょいのちょいと曲作って世界中のアホガキどもに売りつけて大儲け、美女はべらせてプール・サイドでオレンジ・ジュースって訳にはいかんかいのうって作った匿名バンドっす。これらけしからん音楽はバブルガム・ミュージックとかキャンディ・ポップとか呼ばれたらしく先輩には1910フルーツガム・カンパニー。無名度いや有名度では彼らに劣るもオハイオちゃんにはヤミ・ヤミ・ヤミつうキラーヒット有りだ。けしからんとはいえ最高だぜベイベ。正に60’sPOPの総決算、美味いところ総取りの音楽でござる。しかーもロック・ファンにとって引きの要素満載なのだ。まずこれらの総指揮を取ったのがブッダ・レコード総帥のニール・ボガード氏。そうです後にカサブランカ・レコードを立上げキッスの連中を男にした男なのだ。ダイナスティとかでのキッスのポップ展開はけっして偶然では無く必然ちゅうか運命だったのね。そしーて匿名バンドっすからもう色んな才能が結集して作られております。その中にはなななななな何と10ccの面々実は一人も。10cc、ホット・レッグス結成前にグラハム・グールドマン氏が件のプロデューサー二人に目を付けられて渡米、やれ書けそれ書けと曲作り、ついでに歌も歌っておしまいと12.のスーサリオは彼のヴォーカルなのだ。しっかり溶け込んでて言われなきゃきづかぬ。さすがプロだ。さーこのCD、1曲目はもちろん最大ヒット「ヤミ・ヤミ・ヤミ」。赤ちゃん言葉で「おいちいおいちいおいちい」だって。なめとんのかー。おいちい。イントロを聴いて何か思い出しませんか?あれだ!カーズのレッツ・ゴーのフットボール応援団チアガール風のあれです。元ネタはここに。70’s後半にデビューした連中の音楽脳みそに見事に刻み込まれたとみえ他の部分にもいたるところにカーズ・ネタが。ひゃーひゃーゆうオルガンとか。ほらあれあれって聴いててわめけます。とゆうことでパワーポップのパワーを抜いた音楽なのだ。さらに「ヤミヤミ」とか「注意注意」とか「気味ギミ」とかタイトルで思い出すのが70’s前半英国グラム・シーンを席巻したチャップマン=チンのソングライター・コンビ。彼らの直接の先輩であることは間違い無い。パクリ音楽をさらにパクるとは相当の詐欺師です。おれおれ音楽振り込め音楽かこれは。騙されても孫と名乗る若者と話せて嬉しかった。怒る気にならないと悲しくも人間の機微を突いてくる。金を取られるのは許さんの極みだけど音楽なら勿論OK。喜んで騙されてあげましょう。そして絶対に馬鹿にされてるだぜこいつら。子供騙しだって。そうゆうけどあんた皆それほど大人かいつうの。素直になりましょう。これ聴いて恥ずかしく・・・はなるかも(^0^)、でも振り切って歓喜してしまおうぜ。ぶつくさゆうようになったらあれほど嫌ってた汚い大人になってしまう。もう何万発もある核弾頭、人間をうん百回も叩き殺せる量だけあるのに日本も持たねば舐められてしまうとか平気で言えるような。本当に馬鹿げたことは馬鹿げてる、嬉しいことは嬉しいって言えるかと突き付けられる音楽であります。でも、あんまりにもイライラしてる時は聴かない方がいいかも。ふざけんなーってマジで怒ったりして。がはは。

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1/4(火)
ブルースキチガイ
cover
Mr. Wonderful
Fleetwood Mac
1968/8

シリーズ「ビック・マック」

誰も止めなかったのかー、世界すっとこどっこいジャケット1968年度大賞受賞のフリートウッド・マック2nd、ミスター・ワンダフルでござい。はまりにはまったブルースキチガイ、ここに極まれり。最早全員シカゴの住人になりきってるのだ。ピーター・グリーンさんはBB、フレディ、ウルフ等のモダンに。ジェレミー・スペンサーちゃんは日々ダウンのみでダスト・マイ・ブルーム弾く特訓に明け暮れある日の早朝、ついに成就。エルモア・ジェイムス師の霊が乗り移ってしもうたのだ。しかもこれらが大ウケ。ブームになったてんだから当時の英国たるや恐ろしい。彼らのブルース精進自体は地味にコツコツコツコツだったけど、それがサイケの後のルーツはどこだ運動とピッタシはまっちまったちゅうことですかいのう。同時期アメリカで炸裂し始めたオールド・ハリウッド憧れのバーバンクそしてもちろんザ・バンドなんかともシンクロしてるのかもしれません。さー、クレジットではメンバーの名前が多数からんでますがこれはもう全編、改作ばっか。ブルース・ロックなんて甘いもんじゃなしこれはもうブルースバンドじゃき。下手すりゃ○○大学ブルース研究会のノリ。これが半端なもんだと好きな曲カラオケ熱唱と変わらずそないなもの世間に聴かすなあと罵倒されてもしかたが無し。だけど人間、とことん極めればオールスター物まね運動会もオリジナルな芸になり、コロッケのちあきなおみも最早誰もなおみさんの顔知らなくても楽しんでしまうそないなことに。逆にあっちがマネしてるんじゃないかーと思われたら芸人も本望だろうなあ。とは言え本人達は考えてる節無し。好きで好きで好きで目が曇ってるだよ。もう取り返しのつかないとこまで入り込んでる。わたしゃ取り返しのつかない音楽大好きですから。で。ここまで入り込んで、ガチガチに縛られて、もがきにもがいてマネで無い己の真になすべきものが。初春の陽春と共に見えて来た。ああ、朝日だ。わたしら、そこまでやることはなかなか出来ません。ガッチリ付き合って共に疑似体験させていただくことは出来る。ありがたや。後の噂マックとは最大に遠い世界です。若い頃は不本意ながら人を殺めたことがあるんだと話すニッコニコしたおじさんの凄みつうか(^0^)。健さん(高倉)バンドなのかー。マックって。

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日本盤

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1/5(水)
人肌テクノ
cover
From A to B
New Musik
1980

シリーズ「新波倶楽部」

後にアハ、ネイキッド・アイズのプロデュースで活躍することとなるトニ・マンスフィールド氏率いるニュー・ミューシックの1stアルバムです。にゅみゅうじっくつうとゆうみんやさだ氏の切ない声が聴こえて来そうでっけどこれはムージック。人肌テクノなのだ。誰も彼もがトンガリ君だった80年。正にNW台風風速40mの年です。そんな中登場した彼ら。テクノはテクノだけどボデーが木で出来ているシンセで奏でるその音楽、ちょっと鼻にかかった声でまあ人懐っこいこと、暖かいこと。真冬の暖炉度ではあのXTCのママーに匹敵するのだ。ワンダーランドのアトラクションです。シンセと申しましてもこの頃のはようやく和音が出せるようになったアナログ・シンセ。後のデジタル・シンセが手の出しようも無くてプリセット使うしか致し方無かったのに比べて音色は一つ一つ手作り。あっちいぢってああこれは違うこっちいぢってもう少しとか一つの音作るのに一晩かけたりしておったのだ。私もやりました(^0^)。でもなかなか出来ないのよねえ。その代わり苦労の末出来ちゃうと腰の座ったアナログ音、トサカに来るデジタルと違って実に含蓄の有る音に。メモリーも貧弱だから下手すりゃ一期一会、掛け替えの無い音なのです。そんな実に細やかな神経行き届いた音満載のこのアルバム、曲が極上。キャッチー&ポップ&フック。3曲もシングル・ヒット出てしまいました。もちろん英国のみで。このどうしょも無くブリテンな臭いのやつはでっかいどうのアメリカでは似合わぬわ。その3曲の中では2.のサンクチュアリー。これがもう悶えちゃうくらいの名曲。いやまったくこんなん一生に一度でいいから書いてみたい。アレンジではもろデスコ踏みバスドラとか活躍したりして時代だなあと思うも音を把握、何をしたいかわかってる人が使えば命の母Aとなって永遠の生命、古くなることなどありません。この時代、新しい機械にくりびってんぎょう、そのまま使っちゃって恥ずかしい思いをする音楽数多し。な中本物、ジャケの一輪差しの花みたいで、懐かしいだけじゃ勿体無いと思います。大切にするってことは大切だなあとつくづく思いました。しかしこの花、何なんだろう。よくみりゃ妙。茎もぶっといし。ジャケは音を現すか。

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1/6(木)
クマさん登場
cover
Boys Don't Cry
The Cure
1980/1

シリーズ「新波倶楽部」

キュアの1stアルバムに表題曲などシングルを加えたお徳コンピ盤です。キュアってどのくらい人気があるのかな。アメリカのTVドラマ、例えばビバリーヒルズ青春白書とか見るとたまに登場、REMと同じような使い方をされてる。青春もんもんソングとして大人気みたいです。日本では・・・うーんさっぱしわからぬ。個人的にはキュアとゆうとあのクマちゃん着ぐるみとキャタピラーでのあの顔ビデオ。まああれ見ちゃったら嫌いになれる訳ありません。それとは別に80年頃、それこそ次から次へとニューウエイヴに夢中になっていた時にフィクション・レーベルの棟梁としての思い出があります。この盤聴くとその時の言いようも無い高揚感がまじまじと。結成は76年。ハイスクールの仲良し3人組が結成したイージー・キュアってバンドが始まり。ここにも8.に入ってる「キリング・アン・アラブ」ってとんでもないタイトルの曲をポリドールの販促マン、クリス・ペリー氏に送ったら気に入ってくれて意気投合、キュアと改名して結局その曲はスモール・ワンダーつうインディから78年12月に出してその後クリスさん、ポリドールを退社、フィクションってレーベル起してキュアももちろん一緒に。「アラブ」をもう一回出し直して79年5月に1stアルバム「イマジナリー・ボーイズ」を出しました。当初からプレスには好評で迎えられたらしい。やっぱ憎めないもんなあ(^0^)。得です。さてこの盤、既にキュアーなのだ。己キャラをしっかり獲得後はそれを最大限発揮するための刺激を得る以外一切無理して無いのがロバスミさん。最近それやってくれる人はつくづく偉いと思う次第。某U2みたいだとちと困るもん。で、キュアはキュアだけどそれはもう1stアルバム、一番素のままでもうそっけないほどスッカスカ・サウンドでお届けで。これは彼らの意向もそりゃ思い切りあるけど社長のクリス氏の好みもあろうかと。兄弟同胞バンド、アソシエイツの1stもそりゃもうスカスカでした。確実にあれと同じ空気が流れてるフィクション・サウンド。それがまた嬉しくて。ただの普通のギター・バンドでこんな異世界な雰囲気が出せるとは。どっか近未来SFなんです。トリフォーの華氏451みたいな妙にリアルなしかも透明な。一番好きなのは11.のグラインディング・ハルト。これはちょっとバズコックスみたいなんで別な意味も加わって好きなんだけど。最初にキュアにはまったのはこの曲でござる。一番彼ららしいのはやっぱ1.タイトル曲かと。「男の子は泣かない」ですから。ちょっととぼけたあの愛らしいロバスミ声で(そう言えばモノクローム・セットのビドちゃんに似てるかも)そないにこないなメロディで歌われたらもう青春悩んでる時にはたまらないものありんす。デビュー曲のアラブはキャタピラーにつながるオトボケ路線かな。ベタなイントロを情けなくギターで弾いてるとこたまりません。全編完成度うんぬんとは無縁の好きなものは好きなんじゃいアルバム。いやー最高です初期キュアー。それにしてもこの音楽、どこから持って来たのだろう。それこそこれより前のロックとは無縁のオリジナルなものだよな。それでNWはまるっきり駄目って人もおるかもしれませんけどそれこそ相当偉いことなんじゃないかと思います。

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1/7(金)
既に名盤
cover
My Time
Boz Scaggs
1972

シリーズ「アダ懇談会」

ついに昨年12月に再発されました。ボズ・スキャッグスの初期作品群。もちろん入ってますこのマイ・タイムも。今のところ日本でだけ。何ていい国なんだわお。シルク・ディグリーズで大ブレーク、AOR元祖&本家で一躍脚光を浴びたボズさん。その以前のアルバムも凄いんです。売上げはちいともあきまへんでしたが。んなこと心配御無用。聴いていただければわかります。72年にこんな盤を聴かされたら、「ん、何だこの音楽は。黒か白かソウルかそれとも。ん。ん。」とDJさん達は目が白黒、紹介しようが無くてラジオでかからなかったのですきっと。ボズさん目を付ける音楽が早すぎたのね。つうても本人は流行を追っかけてるつもりも無くてごく自然な自分の音楽の流れだったのでしょうが。4枚目のアルバムです。1stはデュアン・オールマン氏とがっぷり4つを組んだマッスル・ショールズ録音、スワンプど真ん中。2nd3rdは地元サンフランシスコの仲間とバンド結成、プロデュースにイーグルスと同じくグリン・ジョーンズを迎えてシスコとイギリスで録音、音楽はがらっと変わって当時勃興していたニュー・ソウルにぐっと接近したものに。そしてこの盤、マイタイム。自身のプロデュースで4曲はシスコ録音、6曲は再び第2のマッスルショールズに帰りました。メンバーはドラムにロジャー・ホーキンス、ピアノにバリー・ベケット、ギターにピート・カーとうーーーん黄金だ。ロッド・スチュワートがアメリカ上陸アトランティック・クロッシングの時、詣でたマッスルショールズ布陣、先駆けること3年前にやってしまっております。そりゃ早過ぎるわ。曲は自身作と好きで好きで子供の時から演奏していたとゆうオハコのニュー・オリンズのメロウ名人アラン・トゥーサンさんのもの、そしてアル・グリーン兄さん。もう何にも申しません。全名曲です。どれくらいいいかとゆうとシルク・ディグリーズに一歩も引けを取らないほど。一生付き合っても何の後悔も無し。さすがにファンクばりばり、ロウダウンみたいなのは入ってませんけどミディアム&スロウのとろけちゃうやつが次々と。極上の演奏と極上の歌に乗って。同時代のソウルと歩調を合わせながらあくまでも自分ならではオリジナルのボズ・ミュージックであります。これはもう相当偉い。今までの再発状況からして廃盤になるのもしかすると早いかもしれません。さすれば後はいつ出現するかわからぬ中古を当てにするしかなく。是非この機会に。大きなお節介だけど誰かに聴いていただいておーいいねえって一緒に叫んでくれー。ってけっこう申してしまった。ははは。

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1/8(土)
爽快
cover
The Colour and the Shape
Foo Fighters
1997/5/20

シリーズ「from 80’s」

すまんです。わしニルヴァーナのどこが凄いんだかわからんかった。いや好きでバンドでコピーとかしてたんですけど。ロックの概念を変えたとか言われると。おいおいって感じで。ストーンズ風に申せばイッツ・オンリー・ロック・バンドで素敵だったんだからそれじゃいかんのかな。死してカリスマになるのはそれこそロックつうか世間の妙な概念になっちまうかと。あまり持ち上げすぎるのも返ってって気分になる次第です。してフー・ファイターズ。最初の遭遇はMTVのジョージ・ウイリアムスの番組だったか。ニルヴァーナのドラムの人がフロントマンとな。見てびっくり。爽快です。見事に吹っ切れてるぞ。オバカなビデオだし。イッツ・オンリー・ロック・バンドの魅力爆発。そこで見た必殺シングル、モンキー・レンチとエヴァーロングが入ってるのがこの2ndアルバム「色と形」でござる。とにかくその2曲は抜けてます。文句無し。いいとしか言えんぞ。気に入るか気に入らないかの一本勝負。そしてそれを筆頭にまー同じような曲ばかりどわーっと全13曲。ええじゃ無いですか。男の子がいったん決めたその道。行くとこまでいったんさい。元気が有る限り付き合います。jじゃがー(みっく)おやじとしては文句が無い訳じゃ無い。演奏が上手過ぎるではないか。これは別にあんたがただけのことじゃないけど。最近の人ってソツが無いつうか。気持ち悪いぐらいに演奏が決まっているのではないか。ギル・ノートンつうプロデューサーがどうゆう考えかは知らぬが私だったらもう少しラフに出来んのか、気持ち悪いって言っちゃう。だいたい若い時にそんなにまとめちゃったら歳取ってからどうすんだべさ。まとめるのはそこからでいいのではないかいの。そしてギターの音色。このラウド音、確かに気持ちいいけどこれも綺麗に粒が揃いすぎてるぞ。しかも最近どこでもこの音だ。始まりは誰かな。あ、もしかしてあっしが贔屓のバズコックス?ははは。いかん。でもやつらはどうしょうも無くラフでしたから2本のギターがざっくりざっくり混ざってそれが微妙なグルーヴぐわんでした。それが時折美しい瞬間がってのが良かったんだい。終始綺麗にしちまったら歪ませてるんだよな訳わかんないぞ。デイブ・グロール君のドラムは豪放。さすが。でもまさかクリック音聴きながら叩いてるのではあるまいな。クリック音ファッキュー!(中指)。スレイド、フェイセズ、クレージーホースを聴いてより一層の人格崩壊を望みます。大きなお世話か。これ以上まとまってしまうと私には用の無い音楽になってしまいよるぞえ。

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日本盤

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グッヅ

1/9(日)
果し合い
cover
Truth
Jeff Beck
1968/8

シリーズ「ギター屋」

欲求不満の流れギター師、ジェフ・ベック兄貴。祝紙ジャケ一挙発売。はいいけれど何故かこの初リーダー・アルバム「トゥルース」が漏れてます。なぜだ。うーん。考えてもわからんので買い直すべとお考えの方は輸入盤を。安いし。ヤードバーズ在籍中に既に豪腕ロック商売人ミッキー・モスト氏とソロ契約をしてしもうてたベックさん、66年12月にハリウッドで恋をしちゃって帰りたくないつう理由でバンドを脱退です。目指すはポップ・スター。まずはシングルを一発「ハイホー・シルバー・ラニング」。後にバリー・マニロウ氏が「マンデイ」でヒットさせた元曲の「ブランデイ」を作ったスコット・イングリッシュ氏の曲。びっくりのグラム・ポップでこれは6年早かった。実際ハローがカバーしてぴったしだったもんね。それでも67年5月に14位まで上がるヒットに。引き換えの代償は「何じゃこの男は?」つう正体不明のレッテルっす。この曲、ベックさんの歌が聴けます。うまいぞー。な訳ゃありません。わたしゃけっこう好き。ギターはすごい。正体は隠せん。そしてバンド結成。さすがにヴォーカルに本気だった訳では無くてロッド・スチュワート、そして2ndギターにロン・ウッド、ベースにキム・ガードナー、ドラムは転々としてエインズレイ・ダンバー氏。そのままやってれば良かったのにと思うも旧友レイ・クックに交代。&その後ベーシストも転々として結局はロンさんがやることに。それで67年の3月にスモール・フェイゼズの前座として初ライブ敢行です。さあこれで準備は整った。レッツ・ゴー。と思いきやシングル第2弾はまたもやベック氏ボーカルの「タリーマン」。作は後の10ccのグレアム・グールドマン。これまた良い曲なんです。ギターのリフもかっこいい。この路線で行っても良かったぞなんて言ったら関係各所から怒られそう。B面はロッド・フューチャーの「ロック・マイ・プリムソウル」。最高位30位。この2枚は「ベッコロジー」とかで聴けます。シングル第3弾は何とポール・モーリアの「恋は水色」だ。物凄いバックに乗せてはみ出しまくるギターが最高。最高位23位。この行き当たりばったりの売れりゃいいつうシングル・リリースについてモスト氏はバンドの給料を払うためと弁明しております。実はベックさんもスターになりたかったらしい。しかしまあ恥ずかしい思いをして小ヒットの男ではしょうがないといよいよ本腰を上げてロックな「トゥルース」製作にかかります。ドラムはミック・ウォーラー氏に。モスト氏がプロデュースもドノヴァンとの掛け持ち中、実際の取り仕切りはエンジニアのケン・スコット氏が。良かったねえ(^0^)。後にデビッド・ボウイ、スーパー・トランプで手腕を発揮したこの御仁の働きが無かったらどうなっていたことか。完成するも最初は発売を嫌がっていた米エピックさん、ライブの圧倒的評判を聞いて重い腰を上げて出すことに。そしたらまー大ヒット。全米15位まで上がるヒットになりました。とまあ経緯はこんな感じだと思いますけど、私自身が聴いたのは「ワイアード」にはまってから。こりゃ凄い人だと一挙にはまってさかのぼってLP買いまくった次第。初印象は、うーん正直に申そう。古いなあ。わ、すまぬ。あと曲がパッとせんなあ。わ、すまぬ。実はこの印象は今もさほど変わってません。しかし聴きまくった。何よりロッドのヴォーカルが半端でなく素晴らしい。ケツから声が出とるぞ。そしてゼップのコンセプトの元になったつうそのヴォーカルに挑みかかるベック氏のギター。いくらなりたいと思ってもメロディ部分以外はどうやって弾いてるのかわからん。いきなりグリーン・スリーブスやハマースタインが出てくる選曲の分裂ぶりも魅力。もろブルースはメンバー全員どれくらい好きだったかは不明だけどその時の旬のサウンドに挑戦する姿勢はこの頃から変わらず、それをリングにして戦っております。ぼこぼこです。問題はリズム・セクション。手数の多いロン兄貴のベースはいかにもギタリストが弾いたもので適所に音を絞ることが洗練エバーグリーンだとするとこれはちと辛い。ドラムスもそう。だけど今はけっこうそれ楽しんでます。そんな訳でいささか非洗練モードの二人はコンビンーションばっちり。逆に言えばこの時期にしか聴けない音をやってくれてる訳ですから。そりゃゼップみたいな掴みバッチリのシングルがあったらとかここでダンバー氏、ベックス・ボレロで出会ってるジョン・ポール・ジョーンズ氏がベースだったらとか(いいじゃんすぐバンドはやめちゃうから(^0^))夢想したりしちゃうけどそこは欲求不満のギタリスト、ベックさん。このややこしさがあってこその魅力だぜ。

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グッヅ

1/10(月)
歌謡レゲエ大典
cover
Trojan Box Set: U.K. Hits
Various Artists
2002

シリーズ「レゲ」

真冬にコタツでアイスクリーム。こんな贅沢なことはありましょうか。又は豪雪の中で灼熱の音楽を聴いて心を溶かしましょう。レゲエの一大レーベル、トロージャンのカタログの中から英国でヒットした曲を集めたコンピレーション・ボックス・セットです。三枚組、50曲入り。しかもお値段が2400円くらい。中古ならもっと安い。こればっかはアナログでも同じくらいの値段で流通しておるようなのでCDがお得でござる。驚くことにこの50曲で60’sから70’sにかけての英国でヒットしたジャメイカン・ミュージックの92.35%は集めることが出来るつう恐るべきやアイランド/トロージャン・ライン。果たしてクリス・ブラックウェル氏の情熱が無かったらレゲエはどうなっておったか。そしてロックは。入手いたしましたらまずボーっと聴いてみてくださいまし。体がポッカポカしてきて頭はウキウキ、マジックなリズムと甘美なメロディの数々。それがこの値段でたっぷりと手に入る。ああ何と貧乏勤労社会人にとってありがたい幸せでしょうか。ご存知の通りジャマイカは長いこと英国領でございました。英国本国への移民も出稼ぎも多く直接的音楽交流が盛ん。それがチャート上に現れましたのが64年の3月、ミリー・スモールのマイ・ボーイ・ロリポップとゆう曲。この英国人ミュージシャンを後にジミー・クリフのバックなどで大活躍したアーネスト・ランブリン氏が指導して作った曲は大ヒットして最高位2位に。返す刀でアメリカでも大ヒットしちゃった。ただアメリカではキワモノ、一発屋扱いだったのに比べ英国ではこれで若者にも認知されてこれからの大進撃の確かな一歩になりました。それは・・・何故か入ってない(^_^;)。あれもクリスさんラインだったと思ったけど色々あるのかな。えー、それ以来面白いことにジャマイカの音楽の変化の毎にちょっとしたブームになってヒット曲出まくることに。次のブームは67年。当時肩で風切っておりましたモッズの連中の間でスカが大流行しました。それが69年まで続きます。それがこのボックスで言うと11.位まで。その間、2ビートベースのスカから8ビート・ソウルに対応してリズムがぐっと落ちたのーんびりしたロック・ステディとゆう音楽に変化が。それが70年から72年にかけて。ボックスで言うと35.まで。いやこのスカ〜ロック・ステディ期が最高なんです。1.のご存知スカタライツのナヴァロンの要塞。後にスペシャルズがカバーしたやつ。この音質なんてレッド・ツェッペリンもかくやの大爆発サウンド。ヘビメタも裸足で逃げ出すなや。スペシャルズと言えばそこかしこの曲で、ああ、あれあれつう2トーン勢でお馴染みのフレーズが出てきます。あの「ちきつ、ちきつ」って口で拍子を取るやつ。32.のモンキー・スパナーの冒頭「ジス・イズ・ヘヴィヘヴィ・モンスター・サウンド!」つうやつはそうあのマッドネスの1stの冒頭の雄叫び。ちゃんとつながっておるのだ。わたしゃ初めてこれ聴いた時、感動して尻から火が出ましたぼわ。72年にはついに登場、白人DJ、ジャッジ・ドレッドさん。ビッグ・シックスから続くビッグ・シリーズで一世を風靡。そして73年、またもや一大ブームが起こります。きっかけは46.のケン・ブース氏のブレッドのカバー、エヴリシング・アイ・オウン。最高位1位にまで上がりました。ちょうどロック・ステディからいよいよさらにうんちゃうんちゃ強調、洗練されたレゲエに移ろうかという時。レゲエによる大カバー大会の始まり始まり。元々ジャマイカではアメリカのラジオから流れてくる数々のソウル、アメリカン・ミュージックが聴かれておりました。現物は中々入手出来ないつうことでそれなら自前でやっちまおうと自国産のカバーが盛ん。ニセのシュープリュームスやオーティス・レディング、マーヴィン・ゲイ、サム・クックさんなどが一杯。その魅力たるや駄菓子屋で買うバッタもんのお菓子みたい。中にはモノホンより好きになってしまったりして。それがこの時期、英国にもばっちりはまった。他にジョン・ホルト氏とゆう役者を得て大ウケです。で、この辺までが歌謡レゲ大得意のトロージャンの天下。74年に登場したのは47.のアイレ・フィーリングス。ダブの登場です。75年にはノー・ウーマン、ノー・クライでボブ・マーリー出現。以後80’sまで英国チャートではほぼ寡占状態に。そしてレゲエにシンパシーを持ったパンクの登場、2トーン勢ネオ・スカ・ブームで再び火が付く、今度は英国産の若者によって。とゆうのがだいたいの流れとなる次第。ボックスを最後を飾るのはベテラン、最後のレゲエ歌手、デニス・ブラウン氏でござる。お気楽極楽、のんびり、けど一本芯が通ってますトロージャン・レゲエ。何よりやたら楽しい。エネルギーをもらえる。滅茶苦茶お奨めしたひ。特にボブ・マーリーしかお聴きになっていなかった方、そして最近のデジタル・レゲで入った人、是非いかがですか。これがもう戻ってこないかけがえの無い音楽です。

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1/11(火)
疾走また疾走
cover
I Just Can't Stop It
The Beat
1980/10

シリーズ「新波倶楽部」

70年代末英国で巻き起こりましたスカ・リバイバル・ムーブメント。その5大バンドの一つ、ザ・ビートの1stアルバムです。78年にバーミンガムで結成、類が友を呼びスペシャルズの2トーン・レーベルでスモーキー・ロビンソンの名曲「ティアーズ・オブ・クラウン」でデビュー。79年12月に全英最高位6位となる大ヒットに。その独自個性を察知したかすぐさま傘下に独自レーベル、ゴー・フィートを作って移籍、80年にこの1stを出しました。当時スペシャルズに既に夢中、続くセレクターも最高だってんで私は出たとたん何の迷いも無く入手、聴いてもうぶっ飛んだだよ。何が偉いってまず2TONE勢、一派からげにスカ・リバイバルとは言っても各自とてつも無い個性があること。このビートも先発2バンドとは全く味わいが違います。正統派のスペシャルズ、ソリッドなセレクターに比べてまずスピード感がピカイチ。贅肉削ぎ落とした音像、がっしがし刻むドラム、ベース、ギターとチームワーク抜群で一体となって疾走ずどん。そこに絡むはカリブ海風味満点、しかも超クールなサックス、切れが言いったらありゃしないのランキン・ロジャーの煽りトースティング(しゃべくりやな)、デイブ・ウエイクリングの歌。驚くのはブラックさんはロジャー君ともう一人(はははどれ担当の人だ?)の二人だけ、後は白人さん若者なのです。聴いてるだけじゃ真っ黒だと思ってた。そして曲の良さ。ポップでキャッチー。プロデューサーはモノクローム・セットであの異国リバーブ・サウンドをものした男、ボブ・サージェント氏。時の勢いもモチベーションも若さも全てが味方してのこのアルバム。もう文句無し。永遠の愛聴盤なのだ。ちょっと小粒な感じがするとこもいいんだよなあ。ジュニア・ヘヴィ級の王者です。藤波、タイガーマスクの戦いを想像していただければ。して2トーン勢の中では先輩2バンドに引けをとらない成功を手にした訳ですがこれに続くアルバム、プロデューサーも同じ、ほぼ同じ陣容で作ったのにも関わらず何故か失速。これがまたよくわかりません。音楽の神様がいたづらしてぱらぱらおっとっとってこの時だけマジックをかけたのか。確かにこんだけのテンションの高さ維持するのは困難かもしれませんけど。とにかくこの一期一会感。これもとてつもなく魅力。メンバーは後にジェネラル・パブリック、ファイン・ヤング・カンニバルズに別れて活動することとなります。

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グッヅ

1/12(水)
哀愁子守唄
cover
Hot Blood
Jackie Mittoo
1977

シリーズ「レゲ」

ジャッキー・ミトー。水戸の黄門さんじゃなくてジャマイカの人です。48年生まれで14歳の時に元祖スカバンド、スカタライツに参加したってんだからこれはもう天才少年だ。そのスカの時代が去っても常にシーンのど真ん中で表になり裏になりジャメイカン・ミュージックを支えてロック・ステディ、レゲエの変化を見守って来た人です。この盤は76年にプロデューサー、バニー・リーの元で録音したもの。CDでは「ショウケース」とゆうタイトルでもう一つのバニーさんのとこで録音した「in Cold Blood」と2in1で出てます。もうオルガン・マジック!これに尽きるかと。あのひゃーひゃあした音が好きなら一発でKOでござる。何とものーんびりしたレゲエでこの人に欲とゆうものはあるんかいなと思っちゃう仙人演奏振り。それでいて当時華やかだったダブも調味料でぱら〜り。背筋に一閃の冷たい風、銀色に輝く白刃を突き付けられる心地良い緊張感よ。これはたまりませぬ。スカタライツ直系の謎の東洋フレーズも満載。3.のタイトル曲なんざ美空ひばりの「真っ赤な太陽」の「♪恋の季節なの〜」のとこを繰り返し繰り返し手を変え品を変えやってます。歌うも良し。レゲエとゆう形になってから下手すると真っ黒、ルーツ色、ラスタ宗教色強くなって恐ろしー雰囲気も濃厚になって来ますが、これは全く大丈夫。根っからのミュージシャン・シップにのっとった愛すべきポピュラー・ミュージック。私も買って以来知らぬまにターンテーブルに乗せちゃってからに、ひたすらポワポワしてます。レゲエであっしが求めているものは究極の一つがこれ。人生盤だーって大袈裟な代物では無く人生愛聴盤になりそうなのだ。まったく理屈の無い音楽は最高だなあ。メンバー、リズム・セクションはいつもの(^0^)スライ・ダンバー&ロビー・シェイクスピア。80’sになってもストーンズ、グレース・ジョーンズ等に愛されて大活躍したあの人達。あの独特のビートになる以前。柔軟で見事であります。ミックスはこれまたダブの大名人キング・タビー。水戸で足袋を履いて黄金郷へ旅立って下さい。

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1/13(木)
泰然自若
cover
Quinella
Atlanta Rhythm Section
1981

シリーズ「南部鉄道」

西にスティーリーダンあれば南にアトランタ・リズム・セクションあり。アトランタの夜の帝王、ARS、そりゃもう大好きでWANTEDしとうてたまりません。がしかし有る程度入手が出来ることを前提のものをやるって方針ですのでやりとうても出来ん。手に入らないものいくらお奨めしてもねえ。悪いのはポリドール。シャンペン・ジャムとベストだけでお茶を濁すとは何事ぞ。せめてロックンロール魂だけでも出しなさい。アメリカ本国では絶対根強い人気あるはずじゃき。と歯ぎしりギシギシしとったところ久し振りにアマゾンさん覗いてみたらあらーあるじゃないですかこの81年作の名盤クインネラ。しかも中古だと599円だってー!探しまくってアナログ入手したに。くー。扱ってるカイマンってとこは最近入手難の物で非常にお世話になってます。フロリダから送ってくるので半月くらいはかかるけど今まで外れなし。安心出来ると思う。ARS。外れの無いバンドであります。シングルの「ソー・イントゥ・ユー」と「イマジナリー・ラバー」をお知りの方も多いと思いますけど決してそれだけじゃ無いのだ。その他のアルバム収録曲の魅力、これ半端でなく、ベスト盤だけですますのは全くもって勿体無し。このアルバム、クインネラは81年作で、まー時代と言えばNWのど真ん中。なのに何ですかこれは少しは考えなさいのマイ・ペース振り。さすがアトランタのドラヴィル自分のスタジオで腰据えて音楽作ってるだけあります。実は前作でちいとばっかし時代に迷った節あるんですけんど、いかんとすぐに己を取り戻した。1.ホームシックのイントロ聴いて小躍りならぬ大踊りしちまったい。これぞサザンロックのギター・リフ。亡きレーナードの意志は決して亡くさないつう。勇壮かつ粘り&クール。これで来ない人はサザンもの全て全滅かもしれませんで。2.クインネラ。タイトルの意味全く不明。ジャケの競馬ゴール前絵と関係有るのかな。それにしてもそのジャケ、もう少し上手い絵描きさんいなかったのかいな。馬ジャケは嬉しいんだけど。かなり損してるよなこれで。何時代かわからんのは結構だけど。曲はこれまたレーナードを髣髴とさせるタフなファンキイ・ロック。だけど物まねじゃありませんぜ。どうしょもなくARS。3.エイリアン。メローでミディアムなお得意のARS流大人のAOR。シングルでこの時期最高位29位まで上がりました。このエレピの音色、歌声の湿り気、唯一無比です。何時に無く爽やかでイーグルス思い出す人もおるかも。な中でギター・ソロは泣き叫ぶ。4.ハイヤー。たまーにやるアップテンポ曲。たまだからインパクト強し。サビの掴み強し。裏声になる色気強し。5.ユア・ソー・ストロング。アナログではB面になります。メロー度強し。アップ気味のARS・AOR。夜のしじまに狂おしく悶えて下さい。この味にはまるともう脱出不可能でござる。6.アウトロウ音楽。タイトルと裏腹にまあ爽やかなこと。歌詞で歌ってるように朝のアトランタだわな。そのままでは平均的西海岸音楽になるところちょっとしたコード展開のあやで味わい2倍増しです。7.かわいい娘。続きます爽やかさん。喧騒の80’sはどこなんだー。メロディが半端でなく素敵。コーラス&歌上手過ぎ。だからもうイーグルス聴いてる貴方。ここにもあります。色気付のが。8.サザン・エクスポージャー。続きます爽やかさん。だって良い曲だから。文句言いたくても言えないっすよ。後半行進曲風アレンジが効果抜群。9.ゴーイング・トゥ・シャングリラ。しゃんぐりらしゃんぐりら。ラストはこってこてARS・AORで。悶えて終わる。もっともっとって。ははは。この後残念ながら長いリリース・ブランクに入ってしまいます。それだけによくぞ残してくれたバンドの魅力をいかんなく発揮したこの名盤。とことん付き合うにたる連中です。お子ちゃまにはわかるまい夜のアトランタの魅力は。

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1/14(金)
ご出勤
cover
Back Up Against the Wall
Atlanta Rhythm Section
1973

シリーズ「南部鉄道」

掟破りの連日同バンドWANTEDだー。と言うのもなーんとARSの2nd、色気男歌手ロニー・ハモンド氏が参加しての初のアルバム「非常の壁」がCD化されておってしかもそれが日本盤!、発見したのです。ひとえにこれが再発に冷たいポリドールに移籍する前のデッカ/MCAのもってのもあるんでしょうけど、これは奇跡だ。もしや廃盤にするの忘れてるんじゃないか。がはは。ちゃんと本国盤も出てるはずなんだがのう。何故か無し。とことん謎のバンドやで。さてこの2ndアルバム。ブレークする前のリリースでございます。がー、デビュー前にさんざキャリアを積んだ連中でありますからもう既にARS。臆する事無く手を出しても大丈夫でござる。ただ新加入のロニーはんは若いよう。夜の帝王ホストナンバー1も初出勤、まだ初々しくでも同伴出勤しっかり点数稼いでおります。この不世出のヴォーカリストを獲得したことによりましてARSはARSたるに至った所存。よくぞ見つけたり。MCAから出てるのには訳がござる。当時ぶいぶい鳴らしていたサウンド・クリエーター、歩くパーならぬアル・クーパーさんはこの頃南部にぞっこんラブ、己でレーベル「サウンズ・オブ・サウス」まで作っちまったほどで、ARSを発見つうか大後押ししてたのね。仲間に入れて欲しくてアトランタにちょくちょく出向いて、この盤でもちょこっと参加。彼の力が必要だったかとゆうとそれは微妙なんすが。とゆうのもギターのJ.R.コブさんって方、ソングライターで既に超有名でクラシックWのスプウキイ、ストーミーなんかでヒット出しておった。プロデューサーのバディ・ビューイはプレイはせぬがARS第7のメンバーとしてコブ氏とコンビでMCAとの契約金を元に自分達のスタジオ「スタジオ・ワン」を故郷に設立、実に手堅し。ベースのポール、鍵盤のディーン、ドラムのロバートはロイ・オービソン・バンドの出身。その後もばりばりスタジオ・ミュージシャン。ロニーさんは謎。原宿でスカウトした。うそ。の猛者どもですからアルさんに構ってもらわぬとも立派にグレート・サザーン出来たかと思われます。後にブレークの際はミドルテンポの色気ソングだった訳だけどそこはやっぱ南部野郎。だってちゃんといます。南部バンドの証巨漢男。ベースのポール氏。メガネに長髪、リッケンバッカーそして体重百貫とこれ以上の才能がござりましょうか。ブレーク後との大きな違いは鍵盤、あの特徴のあるエレピの音はまだ出現しておりません。生ピ多用なのでロッキン・ナンバーはレーナード・スキナードに近い感触。なんで色気は抜きにして貰いたいつう方にもこの盤はグッドフィッティングだ。レーナードもそうだけどあの妙に初期エルトンに共通するとこもあり。6.の何をするんだではオールマンズがよくやるワルツ・タイムの展開も。もちろんお得意のミディアム、スロー・ナンバーの冴えも3.ウイル・アイ・リブ・オン、7.カンバセーション、9.メイク・ミー・ビリーブ・イットと。いづれもやっぱとろとろ。あれとは味わい違うもたまらん。しかしここはやっぱアップなやつの若さちゃきちゃきだな。切れが半端で無し。サザーン特有のだるーな味わいともども丸ごと味わってくださいまし。ここにはここにしか無いARSがおります。謎が一つ、最後のイット・マスト・ビー・ラブ。ワルツ・ロッキンなんだけど最後の部分で妙なテープ速度操作あり。いきなり速くなってもとに戻って。何故こうしたのかな。これで否応無しに印象倍化、覚えちゃうんだけど。それが狙いか。

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1/15(土)
ロンドン通り
cover
Streets
Ralph McTell
1975

シリーズ「英国SSW」

こないだちゃぶ通のチャートでロック英国編で登場したばかりであります。74年の暮れに最高位2位まで上がった「ストリーツ・オブ・ロンドン」を歌っているのがこのラルフ・マクテル氏。44年ケント州ファーンボロウ生まれ。2歳の時に父ちゃんが失踪、7歳の時には生活のためか芝居小屋でハーモニカを吹いていたそうです。その後自分のスキッフル・バンドを組んでウクレレを弾きながら英国各地を巡業、ギターも覚えて大学のジャズクラブで初めてランブリン・ジャック・エリオットの「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」を聴いてフォークに目覚めカントリー・ブルースと共に夢中に。ケルアックやスタインベックのビートニクの影響を受けた歌詞を書いてロンドン中、そして欧州を放浪、妻となる女性と出会い結婚、子を授かります。生活のため先生となってその傍らフォーククラブで演奏を。そんな時書いていた曲が出版社の目に止まって68年にアルバム・デビュー。その後も地道な活動を行い70年に初ソロ・ライブをロンドンで達成。そんな中、74年に2ndアルバム用に書いた曲、件の「ストリーツ・オブ・ロンドン」を再録音。それがアメリカのワーナー/リプリーズから世界発売されて大ヒット、ブレークしたってんだから世の中捨てたもんじゃありません。当のアメリカではあかんかったけどドイツをはじめ欧州でヒット、一躍時の人となりました。そんな訳ですから元々ハードコアSSWな方。実をゆうと弾き語りのSSWって私はちいと苦手。どうしたってドラムとベースが好きなんでして。その点この盤は最小限だけどそれが入ってる。良かったー。とは言うものの一番の聴き物はやっぱ弾き語り&コーラスの「ストリーツ・オブ・ロンドン」。こりゃ反則だわ。このタイトル。通して訳すと意味がさっぱりわからぬも「昨日の新聞は昨日のことを書いている」とか「休業中の市場のおじさん」とか「ナイトクラブ」とか「ティーカップ」とか「雨は忘れられた英雄の為にちょっぴりどしゃ降りでふる」とか聴こえてくるともう想像力どわどわーって。さらにこのジャケで裏ジャケはボクシングのリング、中ジャケは一癖ありそうな男衆、そして彼の経歴だもんなあ。一世一代のメロディも、ゴードン・ライトフットみたいな低音声もある。狙ってるのか無いのかわからんがまんまとやられるしかありません。ですからこのヴァージョンの「ストリーツ〜」を聴くためだけにこれ買っても全く損した気になりませぬ。その他の曲?期待にそぐわぬ「ストリーツ」の世界。いきなし明るいマリアッチ風の曲も2曲あって謎なんすが。謎といえばこれだけ英国塊の背景ながらなぜかそれほどイギリス臭さがないところ。むしろゴードンさんじゃないけどちとアメリカ寄りカナダのに近いかもしれない。バックはそれと裏腹にトラッド勢英国勢多数参加です。これがまた豪華。フェアポート・コンベンションのデイブ・ペグ。名うてのセッション・ベーシスト、ダニー・トンプソン。スティーライ・スパンのマディ・プライア嬢がコーラス。ココモもコーラス参加。デニー・レイン、ラビットの名前も。何か苦労してる人達が総出で彼を応援してるみたいだ。当の本人はそんな苦労など微塵も感じさせないマイ・ペースな歌声でやってくれて。それもまた憎いよこんちくしょー。そんなSSWのツボかたまりのような盤ですからこりゃもうその手のものが少しでも好きな方はイイコロかと思います。私もカラオケじゃなくてギターも覚えて「ストリーツ・オブ・ロンドン」、歌いたくなってしまいました。

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