今日の推薦盤一覧2004.5上 |
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5/1(土) おーん、今朝はどうやらカゼをひいてしまったようで頭はガンガン痛むし、お腹はぼこぼこ。こんな状態でこのアルバムのことを書くのはしのびがたし。来週出直して仕切り直しさせていただきます。 |
5/2(日) ジョン・ディーコン。1951年生まれ、71年に最後にクイーンに加わった男。性格温厚(多分)、地味。メンバー中お友達になってくれるもんならこの方に是非とゆう人でございます。個人的にクイーンの数々の名曲をつらつら眺めて見るに気が付いたらこの人の曲が数多く好きなことに気付いてしまった。で、集めてみたらどのようになるかと思ったらこれが楽しいのです。やっぱ名曲揃い。想像するにこの人の場合、最後の加入と言うこともあり立場的に遠慮がち、本当はもっと沢山作っておられると思うのですがその中でも自分で最高と思うものを、身の回りの50人の人に聴かせて良いと言ってくれたものをおづおづとメンバーにこんなん出来たんですけどと出すのではないかと。んなことないか(^0^)。最初の2作ではまだその傑曲の登場は無く3作目のシアー・ハート・アタック、クイーンがハード・ロック・バンドから一歩踏み出そうとした時に、踏み出した正にその部分を担当する曲を書いた実は重要な人だったと思うのです。最初はストーン・コールド・クレージイ。これぞクイーンって曲でメンバーにおおお、この男やるなと思わせ、ミスファイアとゆう小品でこれはいけるぞと。そして次のオペラ・アルバムで必殺のベスト・フレンド、大ヒット、クイーンの代表曲となってもうすっかり重要人物になってるとうゆう。実はしたたかな人だったりして。その後はもっぱらパワーポップ部門、優しいバラード部門で大活躍。しばらく控え目にすごす(^0^)。しかしさらなるクイーン変革の契機、ゲーム・アルバムで地獄へ道連れちゅう必殺ナンバーを提供。最も黒いブラックとは無縁の男、フレディ氏にどファンクを歌わせるとゆう。シックからもろ影響を受けたとは言え見事に血肉化したベースリフの威力強大で、多くのハードロック・クイーン・ファンの嘆きをよそにもう一つの大クイーンを掲示したのでありました。ってイトーセイソクみたいな書き方だ。ははは。そしてそのファンク路線の中核で80’sクイーンを支えてでもやっぱり優しいお兄さん。その波が過ぎた後もしっかり素敵バラード&ポップを提供して共同名義時代に入るちゅう素晴らしいクイーン人生だと思います。ロックバンド・ベーシストの代表的名前ジョンのこの人、これからもこっそり聴いて褒め称えてしまおう。リード・ボーカルの曲を1回は聴いてみたい。お二人に協力して貰ってどうですか1回くらい。 |
5/3(月) 昨晩NHKアーカイブスでヤングミュージックショー、KISSが放送されました。ヤング〜を今見れること自体無いことだしそれがあのKISSだっちゅうんでいやー興奮しました。皆さんもご覧になったでしょうがいかがでしたか?。時は1977年4月日土曜日武道館でのライブ、放送されたのも土曜日とゆうことで。いやー私見に行かなかったんで、嬉しいのなんの。行けなかったんす。レインボウ確か見に行っちゃったんでお金が無かった。TVで見た覚えはあります。昨夜改めて見させていただいて感じたことと言えば。そりゃもうみんな若い。むごいことに一緒に去年のメルボルン・コンサートの映像もやってくれましたが明らかに動きが違うなあ。特に舌の(^0^)。5倍くらい。気も入ってるし。やっぱ絶頂期、ミュージシャンは旬の時のを味わうに限る。あと音が良いですねえ。カガミさんの話によるとマルチで録ったとのことでしかもミックスは指名の人を母国から連れてきたとは。しかもタイムコードシンクだったと。よくぞまあ。ピーギャラギャラって音の音の高低で時間を示す信号を1TR使って録音して後で同期させるやつだと思うのだけど、これでやったらそりゃもうバッチシだな。ほんと日本人のミキシングじゃない音です。中低音のコシが違う。こちらの人がやるライブの録音はやたら綺麗に録る事ばっか考えてるようで音が痩せててロックじゃない。そこいくとフェーダーを上げ切った上で何とかしてるような技術持ってるんだろうなあ。ライブで聴くあのベースごんごんの感じの音が聴けてびっくり。こりゃ当時ブート屋さんのかっこうの餌食になったんじゃないか。当時のMLの広告でも今度探してみるか。アライブより迫力あるし。プレイはと言えばエースさん、ギター絶好調。うっとり顔も\(^o^)/。レスポールの音が又良くて弾きたくなっちまった。今いくらだ。それとロック稼業は大変だなと。弾くだけじゃあかんのよね。その点ジーンさんの真面目振りが際立っておりました。そりゃもう感謝したいくらいやってくれて。わかっちゃいたけどあそこまでやってたのだなあ。しかし見た上でまだ謎は残ります。やたら走り回っておりましたが音は出てるとゆうことはワイアレス使ってたんだよな。ギター燃えるとこも。別アングルでは長シールドも使っていたしどうやってたんだろ。あの頃ワイアレス出たてだったかいな。高くて夢のような機材だったんで私なんか最後の最後まで使えませんでした。いや使っても走らなかったけど。狭いしステージ。あと選曲。けっこう昔寄り。時期的にロックンロール・オーバーとラブガンの間だったと思いますが、ベスも無しで。まあ定番見所を優先したのだろうけど。元のマスターテープでは全ステージ録ってただろうから返す返すも残って無いのが残念無念。この頃の映像ありそうで無いし。今度リンクで貼ってるロストコンサートちゅう76年のライブ集がDVDで出るのでそれと比べて見るのも面白そうじゃ。確実に違うのは爆薬の量だな。それにしても良いもの見せていただきました。7時にウルトラセブン見た後だったもので喜びは2倍で。どうか今後もヤングミュージックショー何とか発掘してやっておくれ。きっとどっかのお金持ちが録画して持ってます。持ってる人はどうかNHKに連絡を。よろしくー。 |
5/4(火) |
5/5(水) 全てはここから始まった。CD時代に70’sは過ぎ去らずいつまでも聴くべき音楽沢山なんだよと高らかに宣言しました米ライノ・レーベルのオムニバス・シリーズ、これはその22巻。78年79年のヒット曲からセレクトされております。あくまでもチャートでのヒット曲、しかも大ヒットでなく中ヒット中心、あったああったよあんな曲ってやつを統一された理想的AMラジオあのFENの音をそのままグレードアップさせた音でお送りしてくれて涙と感動でぐしょぐしょになる代物です。特にラジオ関東全米TOP40を聴いて毎週チャートをノートに付けていた様な御仁には家宝となっちゃう。ソウルに関しては別立てでシリーズがあるのであまり登場せず微妙に中庸、その年の空気を反映してる曲中心、各巻に選者の隠された意図ありなのだ。さて22巻、世はパンクの波でどわんどわんになっているのにここでは合いも変わらず美しいメロディオンパレード、しかし仲間なら全然違和感無くそっちのシーンのもいつの間にか登場して非情なる(^0^)チャート世界が展開だー。 |
5/6(木) |
5/7(金) |
5/8(土) ハンブルグ時代の写真が何とも素敵なこのロックンロール、マインド・ゲームス製作後ヨーコさんと別居、LAで飲んだくれて不良してた時にふとしたきっかけでロックンロール・カバー・アルバムの製作を思いついてそれならスペクターちゃんやろと製作開始も半分あっちの世界へ行ってた彼が完成直前にテープを持ってとんずら、まいっただなやーと次のアルバム、心の壁、愛の橋を作りまして、その後無事そのテープが戻って来て完成と紆余曲折、大変だったよアルバムです。こちらが機嫌が良い時はいえージョンはやっぱロックンローラーだよなあと最高、機嫌が悪い時は何だよ今更かよーとなるやもしれん(^0^)。フィル・スペクター氏の暗黒サウンド&ガムを噛みながら歌う恐ろしき不良ジョンちゃんの姿が目の当たりに出来るぞい。1曲目ビーバッパルーラは56年の元祖不良ロッカー、ジーン・ヴィンセントの曲。2.のスタンド・バイ・ミーはオアシスのいや、ベン・E・キング、61年のヒット。3.のメドレー1曲目リップ・イット・アップはビル・ヘイリー59年の、2曲目レディ・テディはバディ・ホリー、プレスリー、ジーン・ビンセントのヴァージョンあり。4.の夕刊キャッチ・ミーはこのアルバムを作るきっかけとなりましたチャック・ベリーの曲。カム・トゥゲザーと似てるとクレームがついたのね。でこれを録音することで示談となった次第で。5.のエイン・ザッタシェイムはチープ・トリックのでもお馴染み55年のファッツ・ドミノちゃんの曲。6.ドゥ・ユワナ・ダンスはラモーンズなんかもやってますボビー・フリーマン58年の作。7.スイート・リロ・16はお馴染みチャック・ベリー。8.スリッピン&スライディンは56年リトル・リチャードのヒット。9.ペギー・スーは57年バディ・ホリーのヒット。うちのラバホリで日本語に直してライブでやってことあるよー。♪アイラビューペーギスー3丁目の角の♪。10.Bring It on Home to Me/Send Me Some Lovin'、これはサム・クック・メドレー。ロッド・スチュワートご用達だ。11.ボニー・マロニーはラリー・ウイリアムス57年のヒット。Tレックスみたいす。12.ヤヤはリー・ドーシー61年のニューオリンズR&Bクラシック。13.ジャスト・ビコーズはロイド・プライス57年のこれもニューオリンズ・クラシック。同様の趣旨アルバムをザ・バンドがムーンドッグ・マチネーでほぼ同時期に作っているのは果たして偶然でしょうか。サム・クック、リー・ドーシー、ロイド・プライスで世界がシンクロしてるし。比べて見るのも楽しか。しっかしこれら13曲、紛れも無くジョンちゃんの青春の幸福と恥ずかしさが一杯の世界。しばし少年に戻って。そしてパパに戻るのだね。 |
5/9(日) トレンデードラマに使われたクイーンのベスト盤のブレークをきっかけにどうやら巷ではちょっとした70年代ブームが起こってるらしく期を見てビンのオムニバスCDがリリースされました。何でも竹中直人氏がアドバイザーとして参加ちゅうことでの話題もありでオリコンで6位になったそうで。「こんなCDを待っていた」との40代〜50代の声多数とゆうことですが、おいおい今までもけっこう出てたぞと突っ込むもあちら盤では英語ばかりでつまらないし「僕たちの洋楽ヒットシリーズ」では枚数も多いしで気持ちわからぬでも無い。ジャケも必殺のスマイルマークだし。大体働き盛りの年代だから忙しい。パッとCDショップなりウエッブショップでも目に付いたとこにあればついでに買っちゃうよなあ。ユニバーサルグループって言えばあれか昔で言えばワーナーなのかな。海の向こうではこの手のレーベルまたぎコンピ大得意のとこかと。選曲に関してはおいおいあれが入ってないぞ、きゃあこれが入ってると文句、絶賛コミコミで楽しむものなの。あれもこれもとなるとライノのボックスでも間に合わないす。でも不思議だキッス、エアロが入ってない。エアロはソニーだから許さんとなったのかな。ビートルズ組もジョンちゃんだけ。でもそれがスタンド・バイ・ミーちゅうのはわかるような気がするなあ。あのフィルム、インパクト大でしたから。を押しのけてラナウエイズ、ルーベッツ入閣はわははな事態です。ルーベッツはCMで現在流れてるからかな。この1曲ではまったら他のもいってみよー。えーと実物未入手でわからんのだけど豪華パンフとのことで日本盤シングルジャケットの写真がどわーっと載っているのかしらん。だとしたら相当楽しいな。それが目当てで買っちゃうかも。中には男の世界1曲が聴きたくて買っちゃう人がいるかも。わかるぞー。してどうせ収まりきらない曲多数ですからこの際日本独自のオムニバス、色々出して欲しいです。なんつっても日本の洋楽は雑誌主体だったからしてまずミュージックライフ・プレゼンツ70’sとか。秘蔵写真満載で。ロッキン・オン提供70’sも。曲とは関係ない街の詩人文大集合で。ニューミュージックマガジンのも。秘蔵うんちく満載。音楽専科のもだな。誤字多数(^0^)。ラジオからはヤング・ジョッキー70’sってのは。もちろんパリス入り。全米TOP40のも湯川さん坂井さんチャッピー他当時スタッフで協議の上出してくれたら良かよ。ニッポン放送ポップスベスト10編とかも。おもろいすよ是非やっとくれよー。曲だぶりまくってもきっと買っちゃうよ。ミュージックライフのやつに入っているだろうポスターを部屋のふすまにまたべたべた貼っちゃうぞ。この手のタイムスリップ行為は肉体をも若返らせるそうです。 |
5/10(月) およそミュージシャンのキャリアの中で聴いて一番美味しい時はブレークした時、そして次に美味しい時はブレーク直前、何かを掴みかけている時じゃないかと思っております。スティーブ・ミラー・バンドのこのアルバム、ジョーカー、76年に「鷲の爪」でブレークする直前、ちゅうても3年前なんすが発表したアルバム。その表題曲が大ヒットでこれだってのを掴んだアルバムなのです。この人67年にデビューしておりましてこれで実に9枚目。根はブルース親父。ブルースちゅうと実に完成されたジャンルですから1回はまるとその形からなかなか抜け出せない。カバーしてやってるとそこそこ形が出来ちゃう。その上60’s後半70’s前半のロック変貌期の中であれも出来るこれも出来るでやれサイケだスワンプだと手を出したくなってる中で模索も〜さくしてました。72年に病気で半年ブランク、シーンも落ち着いて自分の持ち味を見つめ直すことが出来たか、俺はスペース・カウボーイだギャングスターだと開き直り、かっこつけることやめて復帰後何と1年間に220回のギグの中で音を絞りに絞ってこの盤の登場です。それまでは「どうするここバンマス〜?」って聴かれたら「良いやいーやそこ適当にやってて」とか言ってたんだろなあ。そこをこうやってくれっとはっきり言えるようになったのかと。おそらくアイドルであろうジョニー・ギター・ワトソンのサウンド変貌も参考にしたのか余計な音は省いての良い曲提供、それが一番出たのが「ザ・ジョーカー」。このカントリーともブルースともつかぬしかも宇宙の不思議世界、私も若い頃はたる〜い曲だなーとか思ってたんですがこれがこれが25年殺しで最近どんどん好きになって。歌詞も音もこれからの彼の道のマニフェストのような内容の曲です。他の曲ではまだまだブルース、我が道途中のもあり。だけどこの人のブルース、元々白い人にしか出せない飄々さ軽快さがあっていいんだよねえ。威厳や渋さ皆無だから本邦ではあかんかったのだろうけど。その飄々さをようやく充分に発揮しかけてるサウンドの中、ハイライトはラストのバラードかと。もうジョーカーとこれだけでこの盤買っても後悔しないすって言いたいくらいの涙曲。「お前がいるから希望もわき、お前がいるから信じもする。お前は僕に変わらぬ愛をくれただろう。その通りだね。心から感謝してるよ。」。「お前」って音楽のことじゃないと思います。そしてこの後、3年のさらなる研鑽を経てシンセとゆう武器を片手にスペースカウボーイが戻ってくるのだ。 |
5/11(火) ゴーゴーズ、全女性メンバーのバンドで初めて大成功を納めたバンドなのだ。結成は78年、ミスフィッツちゅう名で結成、ゴーゴーズと名前を変えて地元ロスのパーティバンドでごんごん活動開始。どうゆう縁かマッドネスに目を付けられてデモテープを彼らのバックアップで製作。イギリスに渡って80年には半分近く英国ツアーしたとよ。英国滞在中スティッフ・レーベルからウイ・ガット・ザ・ビートのシングル出して。ヴォーカルのベリンダ嬢をはじめこの頃はメンバー全員ちゃきちゃきのパンク、件のシングルもばっちパンクメイク、ラモーンズ、テレビジョン、ピストルズに夢中でオクスリはやるはホテルで暴れるはの相当に不良少女と呼ばれて状態だったそうな。んな彼女らをどう扱って良いか苦慮したかレコード契約は難航、本国に戻って81年初めにようやくREMでお馴染みのIRSレコードと契約、この頃には路線決定、ぱりぱりアメリカンガールズパワーポップ路線に。Pさんに”アーグ!ミュージックウォー”の映像を見せていただいてこの頃のお姿見たんですが、これがまたベリンダ嬢は体重おそらく100貫はありそうで自宅にあるものでママに手伝って作って貰ったがごときアメリカご家庭勘違いロックバンドメイクと。目付きだけはぎんぎらぎんでこりゃ凄いわ(^0^)。ウイ・ガット・ザ・ビートやってて後半さすがにこのルックスだけでは辛いぞと謎の姉ちゃんダンサー登場。何だありゃ。でこの1stアルバム登場となる次第ですが、これがまた最高。曲を書いているのがギターのジェーン嬢、この人まっこと才能あるぞい。英国時代の縁でのファン・ボーイ・スリー、テリー・ホールとの共作、アワ・リップス・アー・シールド(ファンボーイのヴァージョンの怪しいのもいい)、そしてウイ・ガット・ザ・ビートを筆頭にパンク時代の名残を残したスピード・パワーパンクポップが満載だ。自分達の手に余る難しいことは少しもせず迷わず直進が気持ちいいっす。音楽は迷わずやったもの勝ちです。世間はキュートなガールポップぶりにすっかり乗せられてこの盤で大成功、シングルヒットとMTVでベリンダ嬢はアイドル人気に。ギターのジェーンさん面白くないは相変わらずオクスリとご乱行だわで85年には解散してしまいまった。その後昔から私アイドルよーと何事も無かったようにゴージャス路線でベリンダさんソロデビュー。瞬間ブレークしたんじゃが。2002年に再結成してさてこれからが正念場かもしれぬ。頑張るのだ音楽が待っているぞ。 |
5/12(水) カースティ・マッコール。ポーグスのニューヨークの夢で印象的な歌を聴かせてくれました。父ちゃんはトラッド歌手イワン・マッコール。ロッドが歌ったダーティ・オールド・タウン作った人であります。イギリスでは珍しいのではないかのギターで曲を作る女性シンガーソングライター。その歌声はフリートウッドマックのクリスティン・マクヴィーさんを思い出し作る曲はゴーゴーズがやっても良いんじゃないかとゆうどこか懐かしいアメリカンポップの香りしかししっかりと英国ちゅう嬉しいもの。キャロルキングさんぽいとこも。あのトレーシイ・ウルマンさんの一連のヒットを支えていたのもこの方でニック・ロウ無き後のスティッフのポップ部門の屋台骨を支えていたのみならず80’sを代表する女性SSWだと思うのですが。がーリリース状況がレーベル移動の関係で著しく悪く聴きたくても聴けない。私もスティッフのシングルでやられたのにかかわらずなかなかまとまった形で聴き逃しておりました。そんな中、メトロとゆうスティッフ関係のリリースを頑張ってやってるレーベルから出ているこのスティッフ時代のお仕事をまとめた廉価盤の存在を知ってすわこれだと購入。うわ何てアホだったんだこれほどの音楽を逃していたなんて。こりゃ凄いや。冒頭の3曲でどんどんどんとノックアウト。1.はアルバムに参加したりして何かと縁があったビリー・ブラッグの曲。わたしゃあまり歌詞に興味を持たぬ方なんすがこれは気になる。エルトンのユアソングみたいな曲だと感じるのですがどうなのかな。2.は最初にこの人に遭遇したデビュー・シングル。60’sタイプのバラードで、あーたデビューからこの名曲ですぜ。にも関わらずまったく売れなかったとゆう。時代が悪かったか。後にトレーシー・ウルマンさんで大ヒットしたと言いますからこれは平成のドリームオンです。3.のテリー。ファンクのことを歌ったのでは無いでしょうが(^0^)、これまた名曲。としか言いようがなし。ゴーゴーズの曲だよって言われても信じるかも。4.はグレース・ジョーンズもやりましたアストラ・ピアソラのタンゴ・インスト曲に歌詞をつけたもの。これをアイリッシュのアコ奏者シャロン・シャノンさんとやってるとこがミソだな。どっちが先だったんだろう、グレースさんと。まったく違うタイプの人が同趣向でやってておもしろかー。後の曲だって挙げて行けば切が無いほどの駿曲ばかりで。9.ではパパとの共演で何ともほのほのしたトラッドを。後ろにはテリーとニューイングランドのこの当時流行りましたねえ12インチ版のリミックスがついております。まあこれはおまけだけど。この方、59年生まれだから私と同世代だ。いやもう我が身の情けなさ身に染みる。残念ながら2000年の12月にボート事故で亡くなっております。底力あるだけに惜しいほんとに。旦那さんはあのドラム革命プロデューサー、スティーブ・リリー・ホワイト氏。このスティッフ時代以外にもポリドールとヴァージンでアルバム出していて、うーん今度はやはりそれだな。気が付けばCDで出てるのもけっこうあるんでこれからちゃんと聴かせていただきたいと思います。 |
5/13(木) |
5/14(金) |
5/15(土) 5年振りのニュー・アルバムが悲しいかな生前最後のアルバムになってしまった。ダブル・ファンタジー。私が一番彼の作品の中で聴いたものなんです。と言っても自分からじゃないのが悲しいところ。80年12月8日前後には秋葉原でカセットテープ売りのバイトしておりまして事件の後街中でこれが流れておりました。悲劇にも関わらず穏やかな空気がスターティング・オーバーでは流れてキッスキッスキッスでは街中爆笑ちゅうか後半凍り付き(^0^)、そこにいてほんと困ったす。元来性に合ってなかったそのバイトと一緒になって苦い思い出がどうしても付きまとってしまう。な個人的事情はありますが...ヨーコさんとうまく行かなくなってLAで飲んだくれてたジョンちゃん、心の壁愛の橋アルバムでのエルトン・ジョンとの共演曲「真夜中を突っ走れ」が1位になったらエルトンさんのコンサートにゲストで出ておくれとの約束をして何と1位になってエルトン・ライブに登場、その時粋だねエルトン君、ヨーコさんを呼び寄せていて電撃的仲直りを演出、彼のおかげで寄りを戻してうん豪傑彼女と付き合うにはこれっきゃないと息子ショーン君の誕生もあり主婦業と育児に専念して5年。父ちゃんはお仕事なんにゃのとの愛息の一言で一念発起したのか再び音楽に立ち向かいます。いつだってその時の状況、気持ちそのままの音楽を作ってきた彼。当然新作は本当の意味で初めて幸せに溢れた愛情満載のアルバムに。ヨーコさんは相変わらず私がやらなきゃ誰がやる状態だけど。はは。書き溜めていた曲のクオリティもジョンさんヨーコさん共々抜群、デビッド・ボウイのかつてのパートナー、アール・スリックそしてトニー・レビン、アンディ・ニューマークら名手の好サポートもあって弾けるファンク風味高揚する空気を反映してる素敵な盤だと思います。さてこれから、安定した生活の中で音楽をすること、生き抜くことってやる気満々だったって時に。あの事件が。よりによって自分の大ファンだって男に。よりによって一番嫌いな武器で。よりによって親切にサインをしてあげようかって時に。無慈悲な現実に世界中が涙して。死して英雄化は彼ほどの男なら仕方があるまいが、それまでしっかり彼の音楽を聴いてきた人間ほどそのはかなさ辛さをかみ締めたに違いないと思います。彼同様生きていくのに生きていくだけで苦しんだ男に殺されたんだからなあ。ジョンちゃんははたしてもう一度あの男が来たらわかってはいてもニコニコしてサインをしてあげようとするだろうか。多分ひゃあと言って一目散に逃げ出すかと。それが私の好きなジョン・レノンです。 |