2016/02/11(木)コンシューマゲーム
まず、自由な時間に始められて、自由な時間に終われる。スマホゲーも一緒だけど、日毎の報酬だったり、イベントだったりと「やらなければならない」ことの縛りが割とある。これが完全にスタンドアロンだと自分のペースでできるのがいい。
何かに追われるわけでもなく、1日1回プレイしなくても良く、何時間おきに起動しなくても良く、何の義務感もない。
それから、最初からの出来の良さと、プレイ途中に感じる「これから先のプレイ部分が完成されている」安心感。永遠に拡張され、終わりがないものでなく、いったん完成されているものがそこにあり、ゲームとしては発売の段階で明確にゴールが存在するということを、最初から知っている感覚。
あとは何より、買って手に入れた対価物が手元にあって、全て自分のものであり、これから先に金が必要でないこと。また同じ概念だが他の人間とでリアル金銭によるゲーム上での差が生まれないこと。DLCの根底の話にもなるんだが、ゲームの根幹にかかる部分で有料DLCがなければ、ゲームとしてはゲーム本体を買っただけで全てが遊べる状態であり、公平だ*2。
逆に言えば、金さえ掛ければ続きが遊べるとか強くなるとか、そういう差が生まれるものは好きじゃない。金を払わないことがマイナス要因というか否定されるのが嫌なんだよね。金を払わないから快適じゃない、遊べない、というのは「そもそも金を払うべきなのに払ってないことでマイナスの要因になっている」という状態なわけ。これが嫌い。アンロック商法がまさにこれ。
金を払って買ったら、全ての権利が自分にあり、他人と金銭的な比較をすることなく、自由に遊びたい。クリアするもしないも、出来る出来ないも、全て自分の責任で遊びたい。
非ネットワーク時代のコンシューマってこうだったんだよね。基板がまさにそんな感じ。