ゆりりの事情




実家売却  2005/04/27(水)
喪失  2005/04/19(火)
私のほうのハハ  2005/04/11(月)
ジジババと温泉  2005/04/11(月)
息子の引越し(3)  2005/04/05(火)
息子の引越し(2)  2005/04/05(火)
息子の引越し(1)  2005/04/04(月)
それって?  2005/03/24(木)


実家売却
夫の実家の売却が完了した。

売却に伴い、実家のモロモロを整理しなければならなかった。
と言っても、両親がホームに運び込めるもの、
運び込みたいものはそれほど多くなかったので、
ほとんどのものを処分するということだったのだけど。
東京としては、そこそこ大きな二階建ての一軒家。
築30年弱、一時は4人家族で住んでいた家で、荷物はとても多かった。
先々週の半ば頃、ネットで見つけた処理業者に電話をして見積もりに来てもらった。
トラック2台と基本的な人件費で、この位の値段ですが、
恐らく2台では乗り切らないでしょう、、と言われて、
でもしょうがないのか、とお願いすることにした。
昔の注文住宅なので、旧式で巨大なガスのファンヒーターなどが配管もされて作り付けて(?)ある。
そういうものは、外しておいてくれないと持っていけない、と言われて、ガス会社に連絡。
取り外すための下見に来て、外す日を決め、取り外し。
イチイチ、私の家から実家まで出かけていくのが、面倒くさい、、んだけど、そうも言ってられないから、、、。

で、いよいよ、先週の土曜日に、実家の家財道具の処分した。
家を購入した人が使いたいと言ってくれた家具もあって、それは残して、全て。
ついでに一緒に捨ててもらおうと思って、我が家のガラクタも運び込んだ(爆)。
(ついに、古い、B&WのG3Macも捨てた!モニターともども!
 先日、私の足の上に飛び下り自殺をしたスキャナも!
 息子の部屋に残っていた映らなくなっていたTVも!)

で、朝、業者が来る前に鍵を開けて、色んな指示をして、
終わる頃に連絡をもらって、また実家に行くという手はず。
思ったより早い午後2時半頃に、あと30分ほどで終わると連絡があって、実家へ行った。
結局、トラック3台、キチキチ。
私を見た作業員のオジさんが一言。
「荷物、多いですなあ、、、最初2台って聞いてたんだけど」
そりゃ、私だってそう思ってたわよ、とは言えず、曖昧に笑う。
(いいじゃん、追加料金払わされるんだから)と思いつつ。

家に入ると、本当に見事に物がなくなっている。
が、、、流しの上に、焼酎の瓶が10本ほど乗っている。
義父がせっせと作っていたニンニク酒の瓶だった。
イイチコとか、そういう焼酎のビンに、
ひとかけをいくつかに切ったニンニクが山程入れてある。
作業員の責任者が生物と液体は処分できないと言う。
瓶だけだったら捨てるんだけど、と。
ぎょ〜〜〜〜〜と思ったけれど、そのまま置いていかれても困るので、
試しに瓶を逆さにしてお酒を捨て、瓶を振ると、ニンニクが何とか取りだせる。
中にはなかなか取りだせないものもあったけど、指の先で潰したりしながら、必死で取り出した。
流しにはニンニクの山!(爆)
いや〜ん、臭い!指にも臭いがしみ込んでしまった、、、。
私、ニンニクは大好きだけど、アレには参った。
でもまあ、、大きなトラブルはそれくらいで、なんとか片付いたのでよかったのかな。
お金は、大分かかりましたです。
モノを捨てるってのは、大変なことなんだと、改めて実感。
東京だと粗大ゴミだって、お金だしてもすぐには取りに来てくれないしね。
余計な物は買わないに限る、、、と言いつつ、ウチもくだらないものばかり増え続けているけど、、(^-^;)

私は実家に住んだことはないけど(リフォームの時数カ月居候させてもらった)
空っぽになった家を見て、ちょっと寂しかった。
お父さん、お母さんはもっと寂しいだろうなあ、と思うと、ホロリとした。

終わったなあ、と思った。
Date: 2005/04/27(水)


喪失
ジジババ温泉旅行の時、実は鬼婆になった以外にも事件があった。
私にとって、それは事件というより、人生の中での大きな、、大きな、、なんだろう、、、
喪失?  そんなこと。

土曜日の夜中、枕元で携帯が鳴った。メールだった。
今頃なんだろう?と思った。
普段の私は、寝る時に携帯は寝室へは持ってゆかない。
たまたま宿にいたので、枕元にあって、すぐにそれを読むことができた。
内容は
「S屋先生は9日22時27分逝去されました。‥‥‥(略)‥‥」
S屋先生というのは、私が独身時代に所属した合唱団の指揮者で、
合唱界の重鎮で、多少合唱をしたことのある人なら名前を知らない人はないというくらい有名な方。
そして、私たちにとっては、「オヤジ」の愛称で慕い続けるべき対象だった。
私個人にとっても、本当に大切な方で、私が今こうして細々と音楽関係の仕事をしてるのも、
先生との出合いがあったからこそと思っている。
私の中には、常に、S屋先生と所属していたM原混声合唱団に対する憧憬が消えずにあったのだ。

そのメールの内容が自分の中で理解できるまで、ちょっと時間がかかった。
私は一週間後の17日に、演奏会を聴きにいく予定だった。
京都の合唱団とのジョイントコンサートだった。

先生は、東京公演に先んじて行われる予定の京都公演のリハーサル中に突然具合が悪くなり、そのまま亡くなったのだった。
メールを受け取った時、すでに日付けは変わっていたので、
その日、京都で演奏会がある予定だ。

眠れなかった。
信じられなかった。
2年前に、合唱団の創立50周年記念の定期演奏会で
OGOBとして、参加させてもらい、それはそれは元気な先生を見ていた。
70をとうに過ぎていたのに、指揮をしながらピョンピョン飛び跳ね、
笑い、怒り、大きな声を出し、、、。
自分の現役の頃の思い出、2年前の思い出、
その他、折々に先生と接した時の様々な情景。
夢か自分の考えていることなのかわからないことが頭の中でくり返し、くり返し鮮明なイメージとなって踊り続けた。
涙が突然溢れたかと思うと、次の瞬間にはその現実がわからなくなる。

朝になって夫が起きだした時、そのことを告げようとしたのだが、なかなか言うことができなかった。
話してしまったら、それが現実に、事実になってしまうのが恐かった。
そんな感情があることが不思議だった。
でも、自分の中に閉じ込めておけば、まだ現実にはならないような気がした。

そうしているうち友人からまたメールが入り、予定通り京都での演奏会があるとわかった。
それで、夫に話した。
少し泣いた。
皆がどうしているのか、何もできないのだけど、気になってしかたなかった。

両親といる間はそのことは考えないようにした。
両親が楽しめること、両親が喜ぶことだけを考え、両親の面倒を見た。
実際、両親のことで気がまぎれていた。

東京に戻り、夫と2人で外で夕食を取っている時に、
つい先生の話をしてしまったら、
涙がボロボロ溢れてきて、困った。


17日、演奏会に行ってきた。
友人たちと待ち合わせて顔を合わせたとたん、皆、涙目になり、
話し始めたら、もう涙が止まらない。
演奏会場でも、誰か懐かしい人に会う度に、涙が溢れる。
合同演奏会なんだから、自分達の団だけの演奏会じゃないんだから、
あんまりメソメソするな、ということは私たちも承知していたんだけど、、。

そして、演奏が始まると、あちこちでハンカチで顔を押さえる人が。。。。。
声をあげて泣きそうになるのを、皆、必死で堪えているのがよくわかった。
演奏を邪魔してはいけない。
演奏をしている現メンバーたちはもっともっと辛いのに頑張っているじゃないか。
それでも、私たちもかつて歌った曲になると、様々な思いが去来して涙が頬を伝うのを止められない。
もう、ハンカチで拭うのも諦め、流れるままにしていた。

演奏会が無事終了して楽屋口でメンバーたちを待っていると、
また新たな涙が。
どうしてこんなに泣くことができるのか、皆不思議だったと思う。

お別れの会はまだ未定。
その時、本当にお別れになるのだなあ、、と思うと、辛い。
もう一度だけ、お会いしたかった。
でも、これほど大切と思える師に出会うことができた私は幸せだったかもしれない。
たくさんの素晴らしい友人たちにも引き合わせてもらったのだし。
私の人生に、大きな大きな宝物を残してくださった先生の冥福を
心からお祈りしたい。

Date: 2005/04/19(火)


私のほうのハハ
私の田舎にいる母は、御年70ン〜才だけど、とても元気な人だ。
・・・・と思っていた。
が、温泉に出かける前日、久しぶりに電話で話したら、なんか全然元気がない。
元気がないというか、なんというのか、、、。
鬱っぽい感じ???

今までは、声が大きくて、電話で話す時なんか、受話器から耳を離さないと耳が痛くなるくらいだったのに、
そんなことが全くなくなってて、実にショボショボと話すのだ。

なんかなあ、、、
私は夫の両親のことはあれこれと気を使ってあげているけど、
自分のほうの母親は元気という思い込みがあって
ずっとほったらかしで。。。。

うーん。忙しいってのは、言い訳だよねえ。
GWに様子を見に行こうかなあ。。。

うーん。
Date: 2005/04/11(月)


ジジババと温泉
土曜日から二泊三日で、義父母と一緒に河口湖畔の温泉に行って来た。
いつものように車椅子2台を積んで。
新しい車は荷台が広いので、荷物は楽々入れることができた。
でも、車高が若干高くなったため、ジジババの乗り降りが少々大変になってしまった。
まあ、より足の調子の悪い義母のほうが随分身体が軽くなったのでその分は楽になったのだけど。
私は出かける前々日に、足の指の上にスキャナを落として(爆)、
落とした直後と、翌日の午前中はほとんど歩けなかったので、
いよいよになったら、私の代わりに息子に行ってもらうしかないかなあ、、と思っていたのだけど、
シップをしたり、冷却剤を使ったりして、なんとか歩けるようになって、ホント、よかった。

今回はネットで調べたバリアフリーのホテルにしたのだが
やはり初めてのところは様子も勝手も分からず、不安がある。
「バリアフリー」という概念が、本当にホテル側にあるのか、
どこにどんな配慮が必要なのかわかっているのか、
それは行ってみなければわからない。
結構、中途半端なことをして「バリアフリー」とうたっている施設もあるのだ。
今回のホテルは、、う〜ん、設備面では80点はあげてもいいかなあ。
合格点ではある。
ただ、規模の大きなホテルなので、繁忙期は避けた方がよさそう。

さて、今回の宿泊で、また私は鬼ババをやってしまった(爆)。
それは、二泊目の夕飯時のこと。
食事は広いレストランでとったのだが、
私たちが席に着くや否や、テーブル上の陶板焼きや、蒸し物の卓上コンロ(?小さなロウソクで過熱するもの)にさっさと点火。
前菜の盛り合わせもあるし、すぐにお刺身も来たのに、、。
ちょっと、早すぎない?と思う間もなく、天婦羅まで来てしまった。
ビールを飲んだあと、日本酒やワインを頼んだばかり、、。
で、やけに料理が出るのが早いよね、と言っていたら、
なんと、ご飯とお椀まで持ってきた。
そこで私はキレたのだ。
「あのね、今、お酒とワインが来たところでしょう?
 これからゆっくりお料理やお酒を楽しもうと思ってるところでしょう?
 だいたい、ご飯がいるかどうか、どうして何も聞かないで持ってくるの?
 こういうタイミングでご飯を持ってくるって、どういうこと?
 今、ご飯とお椀と持って来てもらっても、
 食べるころにはご飯は冷めて固くなってるし、お椀だって冷たくなっちゃうでしょう?
 悪いけど、下げてくれない?」
給仕をしてくれていたのは、料理もわからないような若い男の子。
私の抗議に目が点・・・・。
ビックリ大慌てでご飯とお椀を下げ、逃げるように引っ込んだ。
新卒の子なのかなあ。。初仕事だったのかなあ、、。
それにしても、その給仕の男の子より、それを持たせた方に責任があるよね。

前日は、ちょっと狭い部屋での食事だったけど、
こちらの食事の進み具合を見て、火をつけたり、次のものを持ってきてくれたりしたのに。
でも、二日目だって、部屋は広かったけどお客の数はそんなにいなかったんだから、
忙しくて目が届かないなんてことはなかったハズ。
しかもオマケがあって、お腹が一杯になったのでデザートはいらないと断ったら、
お部屋にお持ちしますので、是非、と言う。
ならば、と両親の部屋にだけ届けてくれと頼んだところ、
デザートが届いたのは、レストランを退出してから1時間もたってからで、義父はとっくに眠っていた。
そんなことなら、届けない方がまし。
二日目のサービスしか知らなかったら、最低のホテルと思っただろう。

でもまあ、両親はホームから2時間ほどで行けるし、
貸し切りのお風呂も使えたし、で、結構気に入ったらしい。
なので、これからホテル支配人宛に厳しい文句のメールを入れて(爆)、
よりよいサービスをしてもらって、また両親に楽しんでもらいたいと思う。

なかなかないからねえ。。。
バリアフリーのところって。
いい情報があったら、是非教えてください。
Date: 2005/04/11(月)


息子の引越し(3)
夫に言われるまでもなく、過保護かもなあ、、と思う。
先回りして、これがいるんじゃないか、こうしたらいいんじゃないかと、揃えてあげたり、意見したり。

電車で2時間半、車なら道が空いていれば高速を使って1時間ちょっと。
すぐ近くにいるんだし、そんなに心配してもしょうがない。
だけど、私よりずっと大きくなった息子を見ても、
私の中にはつねに、生まれたての○平、
幼稚園の、小学生の、中学生の○平、
笑っていた○平、泣いていた○平、、
常にそういうものが重なってしまう。
自分はもう、今現在の自分、ただ年をとっていく自分しかないと思うのに、
○平は、なぜか過去もずっと重なっているのだ。

チラリと見えた一瞬の心細い表情が、
初めて幼稚園の門で別れた時の○平の泣き顔と重なるのだ(笑)。
そんなことないのにね。
何があっても、実際は私なんかよりずっとちゃんと対応できるんだろうけどね。


はあ。
息子の親離れより、私の子離れが先だなあ。
でも、これで息子の結婚式で泣かなくてすむか!(爆)
Date: 2005/04/05(火)


息子の引越し(2)
さて冷蔵庫事件はあったものの、引越し作業は順調に進んだ。
居室のほうはシステムベッド(?)が功を奏し、思ったよりずっとスッキリ片付きそうだし、
玄関脇に作り付けのロッカーは、あらかじめ寸法を教えてもらっていたので
サイズを合わせて買っておいた引き出し型の衣装ケースをいくつか入れ、
もともとそれほど衣装持ちではない息子には十分以上の収納力。

が、台所はダメ。
そもそもは、学生は自炊なんかしないという前提なのかな?
ガス台が1つ。幅が30センチ位の調理台(?)部分と、40センチ位の幅の流し。
流しの上には小さな小さな作り付け食器棚。
洗剤やスポンジを置くスペースもなきゃ、調味料を置いておくスペースなんか当然のごとくない。
流し台の下の空間は水道のパイプがまん中でくねっており、
ほとんど使いようもない。
ガス台の下はまあ、ガス漏れ警報機があるものの、空間は確保されているけど、
それにしてもスペースなさすぎ。

それと、お風呂場。
一人暮らし用としては狭過ぎるということはないと思うが、
タオル賭けとか、ちょっとした小物棚とか、普通ありそうなものがなくい。

いずれも、賃貸なので、
壁面や作り付けの家具などには、穴を開けたり粘着テープなどを張り付けたりするわけにはいかない。
吸盤タイプが付けばまあ問題ないのだけど、微妙・・・。

でも、ここで何とかちょっとでも使いやすいようにしてあげなければ、、と頭をひねる。
冷蔵庫が来ていれば(怒)マグネット式のものが使えるんだが。

ともかく、夫はおろか、当の息子でさえ、
私が「こりゃあ困ったねえ」と言えば、
どの位実感しているのかわからないけど「うん、困ったねえ」と言うばかりで、
ちっともどうしたらいいかということを考えていない(ようだった)。
まあねえ、、、しょうがないと言えばしょうがないかもしれないんだけど。
今まで使いやすい台所とか、料理する時何が手許にないと不便かなんてことは、一切考えないで生活していたんだから。
だいたい、日々食事の用意をするには、
基本的に何が必要なのかということさえわかってないだろう。

で、家から持って来たものが大体どうなりそうか目処のついたところで昼食に出て、
ついでにそのまま徒歩で近所のスーパーに下見件買い出しに出た。
幸いスーパーに巨大な百円ショップも入っていて、結構いろんなものがあったので、手で持てるものは買って帰ろうと買い物をし一旦帰宅。
伸縮性の物干竿があって、私はそれを持って帰ったのだが
夫が「鬼婆に金棒だ!」とまた余計なことで爆笑していた。
私がセッセと片づけをしている間、夫はヒマでしょうがないので(午前中は荷物を運んでからは昼寝と近隣の散歩で時間を潰していた(爆))
息子に運転の練習をさせるから、と息子を連れ出してしまった。
まあいいさ。一人のほうがラクチンで。。。 (-_-;)

で、いよいよ台所しか残らない状況となって、台所のあちこちの寸法を計りメモし、
帰ってきた夫と息子にもう一度スーパーに行くよ!と宣言。
その日は、私たちはちょっと離れたビジネスホテルに泊まることになっていたので、
買い物だけして、そのままホテルへ向かい、荷物は翌日家に入れようということになった。
(息子は電車でアパートへ戻ってくる)

ついでに食料品も買ってあげようと、まずは食料品売り場へ。
お米10キロ。パスタ。
味噌、醤油、油等々の調味料の類いあれこれ。
インスタントラーメン、レトルトカレー、缶詰め、カップスープなど、何はなくともすぐにお腹に入れられるもの。
息子の好きな発砲酒(500ml)ひとケース(爆)。
冷蔵庫がないので冷凍食品、生物などは買わなかったものの、
しめて2万円弱の食料品。
夫と息子が一旦それを車に入れに行き、その間に私は台所の収納をなんとかできないかと生活用品を見て回る。
結局は、よくあるスチ−ル製の折り畳み式ラック(?)や
プラスティックの密封できるケースやトレーを組み合わせたりすることにした。

そこでの買い物が全部終わって、すでに6時半。
疲れてホテルへ向かったが、道は夕方の渋滞の上に、土地カンのないところ。
今回はナビがあるにも関わらず、さんざん道に迷い(爆)
なんとかホテルに着いたのはもう8時に近い頃。
それからまた土地カンのない場所を歩いて食事の場所を捜し、ようやく落ち着いて、乾杯!

息子と別れてから、夫は二次会に行こうと言ったけど、
明日もあるからとホテルに戻り、部屋で缶ビールを飲んでいるうちに眠くなり2人とも撃沈。

翌朝息子のところへ行って、息子とともに前日の買い物を部屋へ運び込み
いよいよ台所の片づけに着手。
若干の計算違いはあったものの、
どうしようもないと思われた台所もなんとか使える感じになって
それには息子も大感激。
あとは冷蔵庫が来たら、こうしなさい、ああしなさいと指示。
台所の片づけの前にセットしていた洗濯も終わり(これも息子にはほとんど初めての経験)
さあ、干しなさいと見ていると、
どうしてワザワザそういうふうに干すかなあ、、とビックリするようなやり方。
「あのね、、」といちいち指示してやり直しをさせ、
さあ、帰るか、と部屋を見回した。

すっきり片付いて、勉強もはかどるでしょう(笑)。
ここがすっかり自分に馴染んで、心地よくなったら、家になんか帰ってこなくなるんだろうなあ、、。
ま、それもしょうがないか。
Date: 2005/04/05(火)


息子の引越し(1)
四月最初の週末、息子の引越しとなった。
この1年間、毎日往復5時間かけて通学し、
サークル活動をしたり、サークルのない日は帰宅してからバイトをしたり、
土曜日は高校時代の部活動のOBとして、高校やホールに手伝いに行ったり。
そうしながら一生懸命勉強もしていたようで、
学内の選抜試験をパスし、夏の北京への留学もほぼ手中におさめたらしい。
この春休みはバイトとサークル活動の合間を縫って免許を取りに教習所へも通った。
まあ、親が見ていても「よくやるわぃ」という感じで、
なんだか、どんどん痩せていくのよね(笑)。
親は肥える一方なのに、、、σ( ̄ー ̄;;

で、こんだけ真面目に生活している息子なんだから、
身体がキツいといえば、そうだよねと言うしかなく、
この春からの大学近くでの一人暮らしを認めることになったわけなのだ。

今の時代は当たり前なのか、学生のアパートとかマンションといえば、
みな、室内にトイレがあり、お風呂がある。贅沢!
(私が上京して最初に入ったアパートは、トイレは外廊下の共同で、お風呂は当然のことながら銭湯だったのに。)
息子が入ることになったのは、グレード的には中の上?って感じなのかな?
4階建てのオートロックの、管理人さんがいるワンルームマンション。
7畳ちょっとの居室に、独立したお風呂とトイレ。
玄関の脇には片側に洗濯機置き場、反対側には天上まである靴入れとロッカー。
そして、ガス台ひとつと小さな流しのついた可愛いすぎる台所。
ベランダも普通の大きさ、、というか、結構広く見える。

引越しの日に、家電製品や必要な家具が届くように手配し、
それ以外の衣類や布団やその他の息子の持ち物を、数日に分けて息子とともに車に積み込み、
(ミニバンにしたので、かなりの荷物が入った)
息子は金曜日に不動産屋さんで鍵を受け取り、そのまま友人宅で一泊。
土曜日の朝、私と夫は息子の荷物を乗せた車で出発。

9時ちょっと過ぎに現地に着いて、
先にきていた息子とともに早速段ボール箱などをエッチラオッチラと4階まで運んでいると(エレベーターがない!)
すぐに家具屋さんがやってきて、ベッドなどの組み立てを始めた。
私は一度4階まで荷物を運んだだけで息切れしてしまい(爆)
家具屋さんもいるし、これから電器屋さんもくるし、ということで荷物運びはやめて、部屋で片づけを始める。
息子のベッドはロフト型というのか、上にベッドがあって、その下が1枚板の机になっているタイプ。
つまりすっごく大きな机、ってこと。
通販では日にち指定もできないので、普通の家具屋さんで買ったため、
当初の予算よりとても高くなってしまったけど、やっぱりとてもよいもので(しかもプロが組み立ててくれたし)、
息子は想像以上の立派さに、しばし唖然としていた。
机の上の収納スペースが十分すぎて(笑)、別に用意した本棚には何も入れるものがなくなってしまった。

順調に進んでいた引っ越し作業だったのだが、ひとつ大きなアクシデントが発生した。
電器屋から配送された冷蔵庫が破損していたのである。
運送業者は、電器屋から連絡が来ますから、と言って帰っていったが、待てど暮らせど連絡はこない。
しびれを切らして電気屋に電話を入れ、どうなってるのか?と聞くと、
「今、業者に確認を取ってますから」と言う。
ちょっとその言い方にカチンときて、ダメなんだろうと思いつつも
「代わりのものは、今日届けてくれるんですよね?」と聞いた。
すると、
「はあ?今日の今日じゃムリですよ」と当然のように言うではないか。
「じゃあ、いつになるんですか?」
「それはわかりませんねえ、、この時期ですからねえ、、」
あまりの横柄さにカチンときたので、強く言うことにした。
「あのですね!
冷蔵庫が破損していたのは、そちらの責任であって、こちらの責任じゃないでしょう?」と。
「まあ、おっしゃる通りなんですが、、」
「なんのために、1月も前に、日にち指定をして配送を頼んだと思ってるんですか?
今日届けるのが、そちらの責任でしょう!
ともかく、こちらはそのつもりでいるんですから、絶対今日届けてくださいね!
手配ができたら連絡してください!」
・・・で、ガチャっと切ったワケです。

それを聞いていた息子、、、
「こ、、こぇ〜〜〜〜(@_@;) 」

でもね、そもそも冷蔵庫が破損していたと運送業者から連絡があった時点で、
何はともあれ、顧客にお詫びの電話を一本入れるのが筋でしょう。
それもなく、業を煮やした客からの電話に、ああいう物言いはないでしょう。
しかも、しかも、冷蔵庫だけでなく、息子の新生活に必要な電化製品の全部をまとめてそこで買っているのに!
これがね、以前、ここで誉めまくった○ジマ電気の対応だったの!(怒)
でも、店鋪は違う。
○ジマ電気でも、店鋪によって、販売員によって、全然対応が違うってことが、よーくわかったので、
私はもう絶対、○ジマ電気の△上店では買い物しない!
・・・・血管切れそう、、 (-_-#)

で、しばらくしたら「担当者」という人が電話をかけてきて、
よほど「すげえオバさんが怒りまくってる」と申し送りがあったのか、
「周辺の店鋪すべてに連絡をしたのですが、在庫がなくて、、」とオドオドとした感じで言ってきた。
「じゃあ、いつになったら入るんですかっっっっ?」
「え〜〜〜〜、、、5日にはなんとか、、、」
「5日にはもう、大学が始まってるんですよ!(嘘)
 時間の指定はできるんでしょうね?!」
「は、はい。それはもう、こういう事情ですから、
 お客さまのご都合に極力合わせさせていただきます」
「じゃあ、息子にスケジュールを調べさせて、かけ直させますから」

そして、息子が電話をして、夕方5時に、と言ったところ、
怯えた店員は
「5時丁度というのは難しいかもしれないので、
 5時から1時間ほどの幅をみていただけないでしょうか?」と言ったそうである。
勿論、大人しい息子は「はい、それでお願いします」と言ったけど。。。。(爆)

夫が息子に
「何かあったら、ウチの鬼婆に言い付けるぞ!と脅せばいいね」と爆笑していた。

笑い事じゃな〜〜〜〜〜い!


・・・で、疲れてしまったので、続きはまた後で(笑)。
Date: 2005/04/04(月)


それって?
最近文句ばっかり言ってる気がする。(^-^;)
でも、「それってどーゆーことなの?」と思うことばっかりなんだからしょうがない。
今日もとりあえず、、、二つ。

まず地震について。
首都圏に大規模な地震がくると脅かされてすでに随分長いことたつ。
大学に進学する時に親に「地震に気をつけるように」と言われた覚えがあるから、もうウン十ウン年も前のこと。
それから、多少大きな地震はあったものの、東京では地震による被害が出ることもなく過ぎて、
全く予想されていなかった阪神での大震災があり、近いところでは新潟、そして先日の福岡でも大きな被害があった。
で。
政府の地震調査委員会が今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確立というのを予測した地図を発表したのだが、
これによると、ここ最近大きな地震災害にあった地域はいずれも低い予想となっている。
まさか、一度大きな地震が来たばかりだから、次はうんと先ですよ、ってわけじゃないだろうけど。。。
ニュ−ス解説によれば、危険度の低い地域でも、今回の福岡の地震のようにまだ見つかっていなかった活断層などがあれば、この予想は当てはまらないので、
それぞれの自治体や個人で気をつけてください、ということだった。
‥‥‥‥‥ちょっと、それじゃ、なんのための予想なの?
結局はどこにいつ大地震が来るのか全くわからないってことと同じじゃないの?
なんかさ〜〜〜、いたずらに不安感だけ煽って、あとは皆さんで考えてね、って、
それはあんまりじゃあないですか?


次、またまたライブ●ア関係になっちゃうかな。
今日新たな動きがあったみたいで、どうなるのか私なんかには予想もつかないのだけど、
その前の時点、今朝の朝刊、朝のニュースの論調ね。
つまり、ほりえ(ライブ●ア)さんが高裁でも勝利してしまったことに関すること。
以前からよく聞かれていた論調なんだけどね
「メディアの最大の資本は『人的資本』」というもの。
それって、なんですか?
メディアに限らず、どんな会社も組織も、最大の資本は人的資本じゃないのですか?
メディアだけが特別と思う選民思想にはもうウンザリ。
特別な能力のある人(たち)は、自分達が特別であるなんて絶対言わない。
どこで働こうと、どこにいようと、その人(たち)は絶対だから。
「我々は特別だ」と言いたい人たちって、結局は組織に守られ、その世界に守られ、お山の大将になっている人ばかりじゃないのか。

似たようなことだと思うのだけど、
私の周囲には時々自分のことや誰かを評して「芸術家だから」と言う人がいる。
つまり「芸術家だから、普通の人のようにはできない」「常識的なことで縛られない」「社会的なことに疎い」エトセトラ。
常識的なことを知らなくてもしょうがないなあ、と思えるほどの天才的芸術家なんて、そんなにゴロゴロいるものではない。
そして、やはりそういう人は自分を「凡人とは違う芸術家」なんて絶対言わない。
むしろ、スポットライトを浴びた時、あるいは何かを生み出す時にのみ物凄いオーラを出して、
普通の時は、普通の人以上に普通の人だと思う。

どこにいても偽オーラを発していたい人たち、私は嫌い。
そして、鼻息荒く、「公共の電波」を使って「ほりえさんは放送文化を愛していない」と自分こそが放送界をしょって立ってるような殺気立った発言をする人たちも、私は嫌い。
街頭でインタビューを受けたサラリーマンや主婦じゃないんだから、
井戸端会議みたいな「好き嫌い」論は止めて。
ちゃんと勉強して、私たちが「なるほどね〜」と思えるような話をしてください。
Date: 2005/03/24(木)


現行ログ/ [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
キーワードスペースで区切って複数指定可能 OR  AND
008359
[TOP]
shiromuku(u2)DIARY version 2.62