更新 20060407

ウメ(豊後)



      
 年(2003)、梅肉エキスというものを高知の日曜市で手に入れて、なんだこいつぁ子供の頃、祖父が作っていたものだ、腹が痛くなったら「梅肉エキスのんじょけ」と言われたあの家庭薬じゃねぇか、と、いつも軟式トイレの私としては、試してみるべい、ということになり、試してみると、これがいいんですねぇ。
 抗生剤がない時の腹痛にはわずか耳かきいっぱいでピタッと止まるのだから驚くじゃねぇかお立ち会い。
 そういうわけで、梅肉エキス作りに挑戦したのでありました。
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ューソク流正しい梅肉エキスの作り方 
先んずTVビショップでもやってる井戸の汲み上げポンプみたいな果物絞り器で梅をガツンとやる。トンカチでもいいだろうね。
 すると、種が果肉から取れる。
 種なしの梅肉(果肉)をジューサーミキサーに入れてウィーン。
 ここで梅だけだと、果肉が堅いためミキサーの刃が空回りすることがあるので、その時は水を入れる。
 水を入れても、どうせ蒸発させるのだから問題ないけど、後で蒸発させる時間が掛かるのでなるべく少ない方がいいですな。
 次にウィーンした梅を、木綿の布巾で絞る。
 つまり汁と絞り粕に分けるわけですね。
 これらの操作には金属製のモノを使用しないことだって。
(錆びるせいなのか、それとも酸と何かが化学反応でも起こすのかは知らない)
 梅肉エキスには使わない絞り粕は、蜂蜜と砂糖でジャムを作ったのですが、柚の方が美味いですね。

 絞り汁の方は土鍋に入れて沸騰させる。
 いよいよ梅肉エキスへの道が近づいてきている感じがする一瞬ですぞ。
 これからが梅肉エキスのコツでありエキスなのでありますな。
 土鍋の絞り汁はどうせ煮詰めるのだから、汁が5〜7分の一ぐらいに減るまでは強火でダイジョブ。 ま、吹きこぼれだけを気にかけながら本でも読んでいるといいですね。 混ぜたりする必要はありません。この作業はひたすら水分を蒸発させているだけですから・・・・
 一番大事なのは最後の最後の一秒なのであります。
 混ぜヘラから糸が一本引くようになったらOKと書いてありますが、だんだん色が濃くなってきて、(この頃になると本は畳んで、ヘラで
混ぜ続けませう)まだ糸を引かない、まだ引かないと注視してて「あっ、引いたっ」とばかり火を止めると、なんと土鍋ってやっはいつまでも熱が残っていてグツグツと煮立ち続けるのです。
 で、熱いうちはちょうどいい按配の梅肉エキスが出来た、と喜ぶのですが鍋が冷えたら、カチカチの飴になっちゃってハンマーでたたき割らないと食べられなくなっちゃうのであります。
 つまり、失敗なのです。

 
論は、「土鍋は冷めたら絞り汁のエキスは粘度が上がる」これ格言のこと。皆疑うイケナイのことね。
 飴になってもお湯を入れてもう一度火にかけると柔らかくはなりますが、それがマトモな梅肉エキスかどうかは判りません。なにせ焦げちゃってるんだから・・・

 火を止めるタイミングは「糸引き前、一秒」これ決定的秘訣のことね。
 感じはポタッ、・・ポタッ、・・・・・・ポタッ・・・・・・・・・・「あっ引きそう、引きそう」・・・ここで止める。(男の人は判りますなこの感じ)もちろん混ぜながらです。
 これが判ったらあなたはもう「梅肉エキスシェフ」というか「梅肉エキスの親方」と呼べる秘術を会得したことになるのであります。

 これが冷めるとなんとあの黒くて輝かしく、強い粘度のある、効きそうでウッフン(じゃなかった、これはそちらには効かないけど癌とかいろいろ言われていますが-他所のサイトで見て下さい-私奴はただ下痢腹痛に用いているのであります。非常に良く効きます)ができあがるのであります。
 かくして我らがいい塩梅(あんばい)の「梅肉エキス」の誕生とあいなるのであります。

2004年、30年育ててきたこの梅の木が枯れた。
原因は、肥料に鶏糞をやりすぎたこと。
春には花を愛で、初夏には実を味わった「花も実もある」木だったのに、
不注意で死なせたことは、己が許し難い。
翌年何とか、幹から芽が出てくれないかと祈ったが駄目だった。






ウメにいた昆虫たち
アブラムシ
卵はこのアブラムシのものでしょうか?

どなたか教えて下さいませんか?
コクワヨコバイ

ハムシダマシ






0308

030818

実はなるけど、「美味い」と思った
ことはただの一度もない。
早稲の柿はこんな物かとあきらめ
ていたでした。

そこで、2003 ばっさり切った。
ばっさり切って、ガボッと肥を
施した。

2004秋、 昨年の大胆な剪定と施肥の甲斐あって
今年の実は大きいし、美味かった。
これを毎年持続しなくっちゃね。




2006春
高知の美味い柿で有名な、いの町八田で柿作りをしている同級生、常光彰さんから
柿の苗二本を送っていただいた。上記のように不味いとぼやいていたからだ。
と言うわけで、狭い庭に柿の木が三本、まるで夢のような柿贅沢な庭になっちゃったのでありました。