前日のWANTED rocks  home back    



日本盤

*洋楽聴き始めの頃出会ったバンド・オン・ザ・ラン、ビ−トルズとは別なところでポールはこれだが染み付いています。いつもどこかでジェットとバンド〜が鳴っているような気がする。後になってわかったこのアルバム製作にまつわる悲喜こもごもの顛末。いやあ音楽って不思議なもんだとつくづく。前作レッドローズからのシングル、マイラブがヒット、007死ぬのは奴らだもヒットでやっと名実とも軌道に乗ったウイングス、ポールちゃんも73年のツアー後には次のアルバム用の曲をすっかり書き上げ絶好調、では休暇をかねて外国でレコ−ディングすんべえとEMIに候補地を聞きました。そのリストを見たポールちゃん、ラゴスとゆう字が目に止まりアフリカ、自然、浜辺で日光浴、うふふとゆう光景が頭に。じゃあ行くべえと即決でバンドの皆さんに声をかけたのよ。そしたら前から文句言いだったヘンリー・マッカロウさんが俺やめますだと。ドラムのデニー・シーウェルさんもおらアフリカはイヤだと脱退とゆうあっとゆうまにバンド解体だ。あーあやめちまったもんはしょうがない俺がやるよドラムもギターもってんでナイジェリアはラゴスに飛びました。しっかしここに至るまでろくに現地調査をせんのがポールちゃんらしいところ、あーたナイジェリアちゅうたらずっと内戦ばかりでそりゃもう恐ろしいとこなの。デニーさんも教えただろうに、聞きませんこの坊やは一旦決めると。で、到着するとやっぱし悲惨。まず天気が悪い。雨それも豪雨ばかりで日光浴の夢はぶっ飛び。そして肝心のEMIスタジオは...。何と準備中。一緒に無理やりついて行かせたビートルズ以来の旧友エンジニア、ジェフ・エメリックさんは泣きながら機材を揃えたとゆう。一枚ある防音扉の向こうはレコード・プレス工場、どったんがっしゃん。さらに無用心にもリンダはんと二人だけでドライブ中強盗に襲われ、デモが入ったテープまで盗まれて全部書き直すはめに。さらにさらにレコーディング中、空気が悪いとポールさん昏倒。リンダさんおろおろ。さらにさらにさらに現地のスーパースター、フェラ・クティのライブを見に行って感動して涙したのは良いんだけど、そのフェラさんにアフリカの音楽を盗みに来たんだべえな白人有名人とスタジオに殴り込みをかけられておろおろと、まあよくもここまで悪い事が重なるもんじゃて。で、レコーディング、当然ボロボロになったであろうかとゆうとこれが不思議、ポール、リンダ、デニー・レインの3人組、負けてたまるかと驚異の気合充満、8トラックしかないマルチに一挙に音楽をぶちこんだのだ。途中お付き合いで「ピカソの遺言」を現地にある元クリームのジンジャー・ベイカー老のスタジオに行って老のバコポンブコパンのリズム踊りを見ながら録音した後、やったぜいと帰国。仕上げをジョージ・マーティンのAIRスタジオで。サックス、オーバー・ダブ。そして今をときめくトニー・ビスコンティを招聘してあの素晴らしいバンド・オン・ザ・ランのオーケストレーション、ジェットのラッパ軍団をやってもらってさあ、ジャケの撮影です。続く。〜なことは詳しく日本盤のライナーに書いてありますが輸入盤を買った人のためにあの娘におせっかい(^0^)はしょって要約しましたん。でまだ来週に続く。かまいませんか?

*バンド・オン・ザ・ラン2週目です。
さてアルバムの音を完成させたポールさん、仕上げはジャケットの撮影でござる。密かに暖めてたアイデアを実践すべく集められたモデルは9人。ジャケ左から右に向かってジャーナリストのマイケル・パーキンソン(知らん)、タレントのケニー・リンチ(知らん)、ポール、ジェイムス・コバーン(ポールさん荒野の七人の頃からファンだったそう。おー電撃フリント。たまたまこの時イギリスにいたそうで)、リンダ(男に変装させられてます。この旦那を持ってしまったのだからあきらめなさい)、クレメント・フロイド(後に政治家、知らん)、ミスター・ドラキュラ・クリストファー・リー(呼ばれて嬉しかったんだって。グレムリンでの彼は最高だったなあ)、デニー・レイン、ボクサーのジョン・コンティ(知らん)。1973年10月28日、まずイタリアン・レストランに全員集合、そしてヒースロー空港に程近いオスタリー・パークで撮影。レンガの塀がぴったしだったそうで。元はリンダさんのどうせだったら知ってる顔の人を集めてジャケにしたら良いんじゃないの一言がポールちゃんのいたづら心を誘発、こんなことになりました。どんな写真を撮るか知らされてなかった皆さん、ぎゃあぎゃあしゃべり合って全然まとまりの無い中、そこで全員が囚人服に着替えさせられました。服のサイズがあってなかったそうで(^0^)。で、何だーかんだーとばしばしばしと大量に撮影。この模様は映画にも撮られて75年〜76年のワールド・ツアーで使われたそう。ステージバックでジャケだと思ってた写真がいきなり動く出す。わーぞくぞくする見て見たかったなあ。
とゆうことで中身の感激はまた来週。ひっぱります。_<(_ _)>_。


*バンド・オン・ザ・ラン3週目です。
このアルバムの魅力、それは呑気だーバカだアホだーと言われようともこれで良いのだのポール小唄がバッチリ詰まってるとこではないかと。しかも災い転じて福となすの気合充満で。気合バカは無敵です。1曲目タイトル曲、OO7死ぬのは奴らだで導入の映画手法、1曲でアビーロードB面技炸裂のキラーシングル。これで気分はバンドは遁走モードにご入場。実際は3人だけど(^0^)。音楽はなりきりが勝負だなあ。昔アップルの会議でジョージさんが「If I Ever Get Out Of Here」と言ったのを思い出して作ったそうです。やっぱウイングスの曲中トップクラスに好きな曲だぞ。2曲目、ジェット。私が洋楽聴き始めに刷り込まれてしまった必殺シングル。責任は重いです。ポール屈指の気合ロックナンバーさなあ。ジェットとはポールちゃんが飼っていた犬の名前だそう。歌詞に出て来る「婦人参政権運動」てのは語呂が良いから入れたんだって。わたしゃあんたのその音楽優先のイイカゲンさが好きです。ボーナスディスクに入ってる凶暴バージョンも素敵。でもこれはやっぱトニ・ビスコンティさんのラッパが効いてる。キャピトルの宣伝マンのアル・クーリーさんの強烈な勧めでシングルとなったそう。わしでも他の出そうとしたら止めてこれにします。貴方もですね?「もちろん!」3.ブルーバード。巨大ヒット2つの後に来るにはこれしかないだろうって。するーっと入ってくる小さな曲。コーラスも生きて、アルバムの中の曲として最高のものだわ。本能の緩急がさすがです。4.ヴァンデビルド婦人。ほっへいほがとんねるずぽい(^0^)。アフリカって言ったらそうなのかー。サビに入るとやっぱり甘美な世界で。5.レット・ミー・ロール・イット。何が非難されるってこの曲みたいなのがポールちあん。もう呑気です。面白いのはこの曲がジョン・レノンぽいと言われてるとこ。確かにそぎ落とした感はそうかも。逆に違いがそそり立って面白かー。6.マムーニア。こちらは好きな人間にはたまらんポール小唄世界。アフリカのラゴスは天気が悪いなあ、うんざりだなあって歌ってます。しかしこのベース。ぼんぼん。これやらせたら最強。7.ノー・ワーズ。盤唯一のデニー・レインとの共作。トニーさんのオーケストラが効いてドラマティック甘美。もう入り込んじゃう美しさです。8.愛しのヘレン。米盤のみ収録の先行シングル。ポールばかロックの名作だ。ツアーバスの名前だそうで、道案内ソング。ぎゃはは。好きで好きで。良いよなあこのアホ声。ポ−ルさんドラムお見事!。9.ピカソの遺言。タイトル通りピカソの死をきっかけに生まれた曲ですね。深刻にならずに思い入れをたっぷりと。サージェント思い出してしまう、どうしても。ダスティン・ホフマンがネタ提供するよとピカソの話をしたらその前で即座に作曲、演奏してうるうるさせたと。そりゃするわなあ。後半のリプライズ部分がまた泣かせます。10.西暦1985年。オーウェルの小説1984年を意識したんでしょうか。似合わねー題材ですが(^0^)。引っくり返して物凄い個人的な恋の歌にしちまうとこがいかしてます。どんなに世界が変わっても変わらぬものはそこだぞと。でっかいサウンドと対照的なのがまた素敵だ。最後ちょこっとバンド・オン・ザ・ランして終わる。あー凄いの出来ちゃった。そんな風に思っただろうなあ。はい、そう思います。

(マスター)2004.2.7、2.14、2.21

みなさんオピニオン
*仰るとおり当時の雑誌の評は理屈の言えないアルバムにはきつかったですよねー。だいたい3つ星とか80点とかだったもんなあ。いまだに洋楽ってその傾向ひきづってるかも。つらいすわし。(マスター)

name : ROCK-AVENUE
comment : 確か、発売当時は日本のロック雑誌での評判はあまり良くなかったと記憶しています。
今では名盤。当時のロック雑誌の評価は今思うと全然当てになりません(笑)。







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