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ペット&サウンズのお部屋

Sの音楽史

by 島田@青梅

ジャケットをクリックでアルバム詳細が見れます。

(1)〜幼少のボク、お試しでハマるの巻〜  

 本格的に音楽活動(?)したのは(笑)、幼少時代。家が電器屋だったので、家にはカセットテープレコーダーがいくつも転がっていた。そこで、幼少のボク、父親に録音というものを教わる。最初に自分で吹き込んだのはTVドラマだ。
 最初の録音作品は、大場久美子のコメットさんのオープニングテーマだ!何も知らないボクは、ケーブルを使わず、テープレコーダをじかにTVの前に置き、そのまま吹き込んで楽しんでいた。ポップスやましてやビートルズ、ビーチボーイズなど、その頃はつゆしらず、熱心にTVドラマをテープレコーダに吹き込み、魔法の機械を子供ながら楽しんでいたのだった・・・。

(2)〜日本の歌謡曲ってスキだな〜

 カセットテープレコーダに完全にのめり込んでいた島田@青梅少年は、TVからの録音を年がら年中楽しんでいた。テーマソング・・・。楽曲本来の魅力よりも音が記録されることの不思議さに惹かれていたのだ。そして、年月は過ぎ、小学生になった少年は、相変わらずレコーディング作業(笑)をひたすらおこなう。TVドラマのテーマソングだけでなく、CMソングをひたすら録ったりもした。
 そして歌番組の録音へ。当時は今より歌謡曲が主流だったので、いっぱいやっていたのだ。もちろんレコ大、紅白歌合戦は、かかさず録音。じょじょに歌謡曲の魅力に惹かれていくのだった。そう、メロディアスな曲調が好きなのは今と変わらないな。だからすぐ影響を受けた。
 レコード大賞でシクラメンのかほりが受賞したときは、しばらく布施あきらが忘れられなくなったりもした(笑)。フィンガー5とかも。青い三角定規ってこの頃だっけか?それからいしだあゆみのブルーライト横浜とか、天地まりしゃんとか・・・。今でも当時の曲を聴くと、ノスタルジックになるのだ。良いモノは良かった時代だ・・・。そんなものをレコーディングしては楽しんでいた。音がキレイとか汚いとかは、別だったな。そんな時代・・・。

(3)〜レコードプレイヤーに魅せられて〜

 歌謡曲に夢中だった小学生の島田@青梅少年は、いつの日かとなりの叔母さんの家にあったステレオレコードプレイヤーを発見した。まだ録音機能のない、ケーブルの差せない、ただ聴くだけの年代モンのやつ。手とり足とり、叔母さんにレコードについてご教示を受け、叔母さんのコレクションをかけてもらう。そして、例のレコーディングだ!もちろんケーブルが差せないので、スピーカーの前にテープレコーダーを置き、録ることになる。家の前が道路だったので、車が走ることもある。騒音がかぶっても、それでもお構いなしの少年なのだ。聴ければ良かったのだろうなその頃は。
 ステレオレコードプレイヤ−から、おばさん所有の歌謡曲のレコードを録音していたある日、叔母さんが自分の宝物を見せてくれた。なんか4人の外人さんが映っているレコードの数々だった。「知ってる?よっちゃん(僕の名)。いいのよ、これ!すごく!これ聴くときは、踊らなきゃ!!!」(と言ったかどうかは定かじゃないが)、といわれ、とりあえず、このレコードをかけながら一緒に踊らされた。レコードをかけながらだぜ!
おお、この曲いいなあ!こりゃ楽しい!その時の感想です。・・・・

(4)〜ビートルズでモンキーダンス〜

 「知ってる?よっちゃん(僕の名)。いいのよ、これ!すごく!これ聴くときは、踊らなきゃ!!!」・・・確かモンキーダンスっぽいやつだったか。おお、この曲いいなあ!こりゃ楽しい!ダンスの効果もあり、その曲に惹かれた。その曲は「ロックンロールミュージック」だった。そう、ビートルズ。少年の聴いた初めてのビートルズ。そして「ロックンロールミュージック」で、はまったのだ。モンキーダンスの相乗効果付き(笑)。
 その後、色々聴かせてもらう(ねだったのかも知れない。)「ラバーソウル」を聴いたのもその日。小学校5年生の頃かな。「ピピッピピッ〜て、クラクションを表現してるのよお〜(DRIVE MY CARのこと)」とか、「このチチチ・・・って面白いでしょお〜?(GIRLのこと)」とか、いろいろ叔母さんから教わった、そこから少年がビートルズにどっぷりハマるのである。少年の心は、その日からビートルズに惹かれていく・・・。

(5)〜少年、ビートルズがすべて〜

オールディーズ探したんだけど無いのね

 ブライアンウィルソンほどではないが、「ラバーソウル」を初めて聴き、感動してしまった少年は、以降、おばさんのコレクションをいろいろと聴かせてもらう。まだ芸術性云々は理解できない。ただただ楽しい、そして刺激的なのだった。少年まだ小学校6年生の頃の出来事だ。みんなにも親しまれた「イエスタデイ」や「Sgt.」そして今ではマイベストアルバムである「リヴォルヴァー」だけは当時は好きになれなかった。「シー・ラヴズ・ユー」や「抱きしめたい」とかの楽しい曲がお気に入りだったのだ。
 確か当時の子供番組(ポンキッキとか)にビートルズの歌がフレーズだけ流れていた。その影響もあったのかな。とりあえず、ビートルズの初期の頃の曲が、特にお気に入りだったのだ。
 そして、その後、少年は親にレコードプレイヤを買ってもらう。テントウ虫型ではないが、そのタイプの小さいチャチなやつ。それでも少年は満足だった。
そしてその後、”ビートルズに対抗するもの達”が出現する・・・。

(6)〜和製ロック黄金期〜

 ちゃっちいモノラルレコードプレイヤーを買ってもらった小学校6年生の少年は、当たり前のようにレコードが欲しくなります。叔母さんの宝物のビートルズのレコードなど、貸してもらえるはずないし、ましてやLPなど買ってもらえないし。
 ある日母親から一枚のシングル盤を買ってもらいました。少年が初めて買ってもらったレコード・・・それは「およげたいやきくん」でした。その後、ことあるごとにシングル盤を親にねだる毎日でした。
そして、この頃、日本では和製ロックなるものがTVをにぎわせてました。サザン、ツイストいろいろ。少年は、ビートルズに飽きたのか(失礼!)、和製ロックの魅力を知り、ハマります。そして、自分のお小遣いで一枚のレコードを購入します。少年が生まれて初めて買ったレコード・・・それはツイストの「ひきがね」でした。記念すべき一枚とはツイストなのだった。和製ロックを好きになってしまった少年は、歌番組、ラジオにかじりつき、気に入ったのがあると、レコードを買っていたのだった。
 当時から好きだったサザンは、すべて自分お小遣いで買ったものだ。サザンのデビューアルバムもそうだ。洋楽よりも、邦楽ロックにとりつかれていたのだ。ビートルズは
少年の頭から、当分の間忘れ去られた・・・(なんというやつ!)。

(7)〜ヒットチャートを追いかけて!〜

 和製ロックにはまった少年、レコードとラジオ番組に明け暮れる毎日だった。
念願のラジカセも買ってもらった少年は、土日になると朝早く起きて、ラジオのヒットチャート番組にかじりついた。・・・そう、ヘヴィさんの言っていたロイジェームスの不二屋歌謡ベストテンや、ダイアトーンポップスベストテンなどだ。(記憶が定かでないが、時間帯が続いていたと思う)その番組で毎日チャートをチェックしていた。
もちろんTVのベストテンなども欠かさず見ていた。
 ビルボード紙の社長やヘヴィさんと同様にその頃は、毎日ラジオのチャートをチェックし、自分だけのノートに毎週ひたすら順位を書き込んでいた。そのノートを見ると、順位の推移がわかるので、色々予想できて楽しかった。それと並べて、自分の好きな曲の順位も書き、比較して喜んでいたと思う。たとえば、1位:異邦人、2位:SACHIKO、3位:君の瞳は10000ボルト・・・・などなど(時代的に違うかもしれないです。記憶が定かでない・・・)。
 といったように、ヘヴィさんのように、自分でチャートを書き込んで、本を作っては楽しんでいました。

(8)〜エアチェックの山に囲まれるう〜

 1980年〜。中学生になった少年は、相変わらずレコードとラジオ番組に明け暮れる毎日。その頃、クラスにビートルズ、チープトリック好きの少年が転向してきた。名字が同じで、そしてまた家が近いということもあり、二人はすぐ打ち解けあった(今何してるかなあ?)。彼の影響で、またビートルズや、その他洋楽を聴きだすようになるのだ。なんとも心変わりの激しい、人に左右されやすい単純な少年だった。彼もまたサザンが好きで、お互いビートルズ、サザンなどのアルバムを貸し借りしあってもいたな。
 この頃、エアチェックがみんなの間で流行しつつあった。私もFMファンやらレコパルやらを買い、エアチェックに夢中になる。その頃は、今よりも多種多彩でいろんな種類の音楽がFMの電波にあふれていた。友達の間での話題がエアチェックばかりだったので、少年も手当たり次第にカセットに録音しては、みんなとの会話を楽しんだ。良い時代でした。もちろん良い曲があると、シングル盤やアルバムを購入するようになった。
確か当時は、トムトムクラブの「おしゃべり魔女」とか、Jガイルズバンドの「墜ちた天使」とか、ポリス、エアーサプライなどが好きでよく聴いていたような気がするな。
 ま、今と違って、浅く広く・・・洋楽すべてに夢中な時期でした。あ、ベストヒットUSAを見始めたのもその頃だな。浅く広くだったので、特定のアーティストを研究していたわけではないのだな。ま、その日が来るまで後、10年は待たなければならなかった。

(9)〜テクノポップに心奪われる!〜

 エアチェックに夢中だった少年。洋楽中心だった彼でしたが、もちろん邦楽探求の日々は続く。もちろん歌謡ベストテンや、TVのザ・ベストテン、トップテン等もチェック。
洋楽、邦楽問わず。良い曲はこよなく愛した。そして、あいかわらずチャートを追いかけていた。そして、一曲ずつ録音する毎日、テープはたまる一方だ。
 ある日、夜のヒットスタジオで、変な集団を目にする少年。なんか宇宙人みたいな集団だった。そうそれがYMOだった。神秘的な印象を受けたのは、ボクだけじゃないはず。初めて聴いたテクノポップは少年には衝撃的だった。「テクノポリス」だ。もちろんこの番組を見た友達は、ほとんどYMOの虜になった。不思議なことだが、この頃のクラスの話題はYMO一色だった(これマジな話し)。私もこの頃からYMOのアルバムをかかさず買うようになる。テクノの魅力に支配された少年である。ロックからテクノへ路線変更の時期だ。もちろんクラフトワークもアルバムをまとめ買いしていた(いとこの影響もあった)。この頃はテクノ一色だった。そして、YMOも改革の時期を迎え、「BGM」、「テクノデリック」をリリース。この二枚はその頃の私の心を大きく揺さぶった。今でもこの二枚はお気に入りだ。
 そして少年は、叔母さんにキーボードを買ってもらった。YMOのスコアを買っては家で練習する。学校で音楽の授業の前にYMOの曲をクラスメイトを注文され、ピアノで弾いたこともあった。かなり評判は良かったと思う。

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