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Kの音楽史
by Kuni

ジャケットをクリックでアルバム詳細が見れます。

 

(1)

 私が3歳位の時の8ミリの映写機で両親が撮ってくれたモノの中にTVの画面の前で母親のペチコートを着て踊っているのがあり画面に映っているのはザ・ピーナッツでありました。アノ当時(昭和30年代後半)は和製ポップスが全盛期でありましてとくに「シャボン玉ホリデー」とか、かなり初期の頃から見ていた記憶があります。「スターダスト」は「シャボン玉ホリデー」で初めて聴いたことになると思います。あと、ミッチ・ミラー楽団が出てた「ミッチと歌おう」なんかも見ていました。洋楽嗜好はもう、この頃からだったのかもしれませんね!あと忘れてはいけないのが「ザ・ヒットパレード」です。スマイリー小原さんの独特のスタイルと、やはりザ・ピーナッツさんの存在は強烈でした。そして、アメリカからこの番組にザ・ウォーカー・ブラザースという3人組が出まして初めてカッコイイと思った外タレさん達でした。生まれて初めて買ったシングル盤は、「孤独の太陽」と「ダンス天国」でした。今でも手元にありますが「ビートルズはもう古い!全米ヒット・パレードを驀進するウォーカー・ブラザース!!」とジャケットには書いてあります。大好きなスコットが私と誕生日が同じということもお気に入りになった、ひとつでもありました。1966年、秋、私が小学3年の頃のコトでございました。(多分!!)そうそう、ライチャス・ブラザースと同じで本当の兄弟でないグループでございました。

(2)

 「ウォーカー・ブラザースをもっと知りたかったので早くもMLを購入(小3)した」と、書きたいトコなんですが、それはその小学生だったんでMLというものがあること自体も知りませんでした。(まだ「りぼん」とか「なかよし」買ってました。)その当時はまだラジオは聴いていなくてテレビが音楽を知る全てでした。ウチの父親はあたらしモノ好きで1966年か1967年(早いのか遅いのか解らない)にカラーTVを購入しましたので、なんといっても「ザ・モンキーズ」のTV放映は衝撃的でした。クチパクとは露しらずでしたが・・・・(しかし、シングル盤買うまでには好きでは無かったです)また邦楽で言うと当時TBS系列でやっていた「歌のグランプリ」は毎週見ていました。いわゆる、ベストテン物の元祖といってもイイくらいの質の高い番組でした。私のお気に入りは加山裕三の「君といつまでも」と荒木一郎の「愛しのマックス」でありました。「君と・・・」はなんといってもあの有名なセリフと「愛しの・・」はアノ独特な歌い回しの「ゴウ〜」という部分がミョウーに気に入りました。あと、当時の小学生の女子がGSを好きになったように私もタイガースとスパイダースが好きでしたね。味覚糖提供で西野バレエ団の由美かおるや奈美悦子とジュディ・オングやいしだあゆみがいろんなGSと共演していたTBS系列の番組も毎週みてました。それと学校行く前の朝の時間、これもTBS系列なんですが「ヤング720」というのをタマに見てました。いまでもはっきり覚えていることは、この番組で初めてローリング・ストーンズを知ったコトです。もちろん、ビートルズも名前は流石に知っていましたがその両雄を深く知ることとなるのは中学へ入ってからなんです。(のちのち書きます)ビートルズで思い出しましたがフジ系列で土曜日の午後(3時か4時?)にやっていた大橋巨泉や星加ルミ子が司会をしてた「ビートポップス」もはずせません!1968年の頃でビートルズの「ヘイ・ジュード」はこの番組のオカゲで知りました。
長いこと1位でしたぁ〜!!

(3)

 

1969年は小6でして、なぜかソフトボール部に入って体育会系少女してましたので
音楽の想い出は、浮かばないんですが夏休みにアポロ11号が人類初めて月に行き、一歩を残したって言うニュースをソフトボールの練習中に聞いたというのが小6の一番の想い出であります。TVは、何見てたんだろうか・・・「ゲバゲバ90分」とか「お笑い花月劇場」とか「コント55号」モノにしっかりとハマっておりましたね。
この年の8月の15〜17日に行われた「ウッドストック」のことは、ぜんぜ〜ん知らない6年生でしたぁ・・そして明けて1970年、卒業間近の3月、「人類の進歩と調和」を唱えた「日本万国博覧会」が開催されました。(音楽のハナシに、ならなくてゴメン)

(4)

1970年、4月に中学生になると同時に回りの友達は「深夜放送を聞きながら勉強をする」ってことを知り、愛知県に住む私は森本レオの「ミッドナイト東海」や「ビップヤング」(すいません、ローカル番組です)を聞き洋楽のヒットチャートを頼りに好きな物をチョイスしてました。と言っても当時の中学生にはLPはまだ買えず、なんか男っぽいのが好きだったのか知らないけど、チャールズ・ブロンソンのマンダムのCMでお馴染みの「マンダム〜男の世界」なるシングル買ってます。当時のジャケにしては珍しく2枚重ねで1枚目が「マンダム〜・・・」とモニュメントヴァレーをバックに立つブロンソンのお姿と二枚目がモニュメントヴァレーの風景のみで「ジェリー・ウォレスが歌う鮮烈なる
男のフィーリング!!」と説明付きの「男の世界」となっております。なんで買ったんだろね?あと何故か「モータウン」レーベルからエドウィン・スターの「黒い戦争 WAR」を多分この年に買っています。シングルのジャケのタイトルの前に「★戦争への怒りをこめて・・・・・・」と書いてありました。(今手元にあり、見て書いてます。)
今もう一度聴いてみるとタイムリーかもね・・・
この年、ビートルズが正式解散したんだよね、確か!(違ってたら誰かつっこんでくださいよ!)1970年、12月やっとLPを買うんですがマイ・ファーストLPはビートルズの「4人はアイドル(HELP!)」でやっとスタートに立ったという年末を迎えておりました。<この昭和45年12月から結婚する年の昭和57年まで「LPレコード購入ノート」(タイトル、アーティストはもちろん買った順に日付&レコード店名まで記述)を書いていました。>

(5)

中学に入って(某付属中)その当時流行っていた「アタックNO.1」の影響かバレーボール部(身長166pあります)に入っていましたが1年ちょっとでソレもヤメ、勉強も余りしなくなり、ラジオでロックばかり聴いておりました。
よく聴いていたのがFMの日曜お昼にやっていた神太郎の「東芝サンデーミュージック」であります。ラジオはナショナルの「ワールドボーイ」という機種を使っていました。
中一の当初は、まだラジカセは持っていなくてナショナルのオープンリールのテープレコーダーでラジオ番組からロックなんぞを録って学生カバンに入る大きさだったので学校まで持っていき友達(女の子はいなかったと思う)に聴かせたりしてましたね。
あと、みのもんた&乾みづえの「カム・トュゲザー」なんかもラジオで聴いていました。その後パイオニアのステレオセットを買って貰い(1970年の年末にはありました!)(4)でかいた「ヘルプ」はソレで聴くことが出来ました。

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