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Heavylistenerの趣味の部屋(別荘)

Hの音楽史U

by ヘヴィ

ジャケットをクリックでアルバム詳細が見れます。

(7)遅れてきたビートルズとの出会い〜1977〜

 さて無事に高校へと進んだ私は、そこで思いもよらない環境にビックリしてしまいます。それはクラスのほとんどが洋楽愛好家であるということなんです。あれだけ中学校では勢いがあったフォーク愛好家は、ほとんどいませんでした。相変わらず全米トップ40への熱は冷めるどころか熱くなる一方で、トップ40マニアの方は数いれど、「翌週のチャートを勝手に予想する」ここまでお馬鹿な人は私ぐらいでしょう(笑)。このときクラスの一人に「ホワイト・アルバム」を借りたことから、私の遅れてきたビートルズ追求が始まります。全米トップ40の洗礼を受けて、様々なポップ&ロックに触れていた私は、ビートルズのシングル以外の曲に、衝撃を受けます。またこれは偶然か神の仕業か(笑)、FM東京の土曜日深夜に「ビートルズ全曲紹介」(タイトルは覚えていません(^^ゞ)という番組が始まります。なにしろ2時間番組X4週間〜5週間で、すべての曲をかけてしまうというその当時金の無い私にはまさに至高のプログラムでした。(この2年後に今度はストーンズで同様の企画をやりました)

さてこの1977年という年は私のHNでの引用にもなっているように、私にとって特別の年でもあります。トップ40をすべて記録し始めたのがこの年ですし、私にとってエバーグリーン的アルバム、フリー・トゥッドマックの「噂」がリリースされたのもこの年なんです。「噂」はこの年アルバム・チャートのNo.1を独走し、なんと31週も1位に留まるといった大記録を残しています。

(8)リッチーとの出会い〜1978(1)〜

 さて高校二年生になりクラス替えがあると、そこのクラスは1年のとき以上に音楽に関してはすごいメンバーが集まっていたクラスでした。私の音楽指向はこのクラスメート達によって決まったといっても過言じゃありません。新学期が始まってすぐの頃、誰かがラジカセを教室に持ち込んで、そこに*藤君がテープを持ってきました。そのテープとはDeep Purpleの「Live In Japan」でした。休み時間のたびにその中の超有名曲「Smoke On The Water」が流れるといったとんでもないクラスでした。それまでいわゆるハード・ロックには興味が無かった私は、ただの食わず嫌いでして嵌っていくのにそう時間はかかりませんでした。最初に聴いたのが「In Rock」で、この中の「Child In Time」には衝撃を受けましたねえ。それから*藤君から色々教えてもらい、Deep Purple、Rainbowと嵌っていくのでした。
 当時リッチー・ブラックモアはそのギター・プレイが神の域に達したと言わんばかりのプレイを繰り広げており、ちょうど「バビロンの城門」のツアーで日本に来ることになりました。当然私は一緒に武道館まで行くことになり、これが私の洋楽ライブ初体験となります。(本当のライブ初体験はアリスでした(^^ゞ)なおこのときに見たリッチーのアンコールでのステージ・パフォーマンスが2年後私に悲劇となって襲ってくるのでありました(笑)(自業自得と言う説もある)

(9)ストーンズに出会ってしまう〜1978(2)

 ハード・ロックに傾倒しながらも、「全米トップ40」とは相変わらずの付き合いで、週末の夜10時になるとラジオの前から離れられない生活は続いていました。そんなある日ある曲に、衝撃を受けてしまいます。その曲とはストーンズの「Miss You」でした。ストーンズに関してはこの曲以前より「Fool To Cry」などがチャートインしていたり、「Satisfaction」などの有名曲は知っていましたが、今から思えば何故「Miss You」がストーンズに嵌っていく原因になったのかよく分りません(笑)。速攻でアルバム「Some Girls」を購入し、聴いてみるともう一気にのめり込んでいく自分がそこにはありました。2曲目の「When The Whip Comes Down」がさらに追い討ちをかけたのを今でも覚えています。

さてほぼ同時期にストーンズに嵌ったのが*口君でして、それからは二人で争うようにアルバムを購入していくわけです。もう既に時効ですので暴露しますが(笑)、レコードを買うために消えていった参考書代、模擬試験代はいくらだったのでしょうか?(爆)全く同じ時期に「全米トップ40」のようなポップ、ハード・ロック、ストーンズの三種類の音楽を聴いていた私は、やはりその頃から雑食だったんでしょうね(笑)。

(10)初めて聴いた洋楽がTHE WHO?〜1978(3)〜

同じクラスの中に洋楽というものだけでこれだけ個人差があるクラスも珍しいでしょう。
その中でも際立っていたのが*野君でした。彼はクラスの中でも非常におとなしい人物だったのですが、芸術の授業のとき(彼や私は音楽を選択していました)自分が好きなレコードをかけても良いという日があって、そのとき彼がかけたのが「Layla」でした。
これをきっかけに彼と色々話をするようになったのですが、なんと彼が最初に聴いた洋楽がTHE WHOだったのです。

THE WHOの「Kids Are Alright」というビデオをご覧になった方は分ると思いますが、その中の「My Generation」のプロモーション・フィルムを小学校高学年のときに見て感動したそうです。(全員で破壊活動を行うものです(笑))その彼が私に貸してくれたテープが「TOMMY」だったのです。彼は一応私に気を使ってくれたようで、オリジナルじゃなくてサントラ盤のほうでした。その後飯田橋のギンレイホールで「TOMMY」と「WOODSTOCK」が上映されることを知り、「模擬試験を受ける」と親を騙して(笑)、見に行ったのです。もし彼との出会いが無ければ、私がTHE WHOを知るにはあと5年以上は後になったと思います。(”WHO ARE YOU”という妙な歌を演奏するバンドと思っていたでしょうね)

さらに彼はTHE WHOとともにクラプトンの信者でもありました。ただ今はどうかは分りませんが、「461 Ocean Boulevard」までしか好きじゃなかったようです。後年彼の住んでいたアパートの部屋でしみじみと「Bellbottom Blues」を弾いてくれたのは良い想い出です。

(11)身近にいた「全米トップ40」マニア〜1978(4)〜

この頃から1年のときから同じクラスの*本君と学校の帰りに同じバスに乗るようになります。というのもサッカー小僧であった彼が足の怪我もあって、サッカー部を辞めるというのが原因です。
彼とはそれなりに仲が良かったのですが、ある日偶然音楽の話をするようになり、彼も「全米トップ40」のマニアであることが分りました。彼の場合一貫しているのが”ミーハーな洋楽ファン”(笑)ということで、特にスティーヴィー・ニックスにはぞっこんでした。(まあ、これは私も同じですが(^^ゞ)
この頃の彼の一番のお気に入りはELOでして、まだ私が嵌る前からかなりのめり込んでいたようです。実際、「A New World Record」「Out Of The Blue」は彼から借りて聴いたものです。またBOSTONとかBilly Joelにも嵌っていましたね。
BOSTONといえば、ちょうどこの頃新作である「Don't Look Back」がリリースされたのですが、日本での発売はかなり遅れ(確か輸入盤は8月末には売られていましたが、日本盤は10月に入ってからでした)、そのため待ちきれない私は輸入盤を買い求めました。
そのレコードがなんとエラー・レコードだったんですねえ!
レコードの中心部のラベルがA面とB面が逆に貼られていたんです。この価値について当時は何の認識も無く、当たり前のように石丸電気に行って取り替えてもらいました。
(石丸電気はこのようなトラブルには当時交通費も弁償してくれるという、太っ腹な店でした)
後日そのようなレコードは異常なほど高く値がつくことを知り、非常に悔しい思いをしたことを今でも覚えています。

(12)勝手にシンドバッド〜1978(5)〜

この頃になると邦楽は完全に疎い世界でありまして、知っているのがピンクレディくらいだったでしょうか?そんな中ラジオからとんでもないぶっ飛んだ歌が流れてきます。
「砂まじりの茅ケ崎、人も波も消えて〜♪」
「今何時?そうね、大体ね。今何時?チョット待ってて。今何時?まだ早い。不思議なものねあんたを見れば、胸騒ぎの腰つき〜♪」
なんじゃ、こりゃ?そうです、従来の歌謡曲とかフォークなんかぶっ飛んでしまうほどの衝撃でした。その歌を歌っているのがサザンオールスターズというバンドであるというのが分るのはそう時間はかかりませんでした。

彼らがきっかけで、巷で当時騒がれていた「ザ・ベストテン」という歌番組を見ることになります。案の定、彼らは他の連中とは違っていました。
当時世良正則とツイストという演歌を発展させたようなロック・バンドが活躍していましたが、彼らはいたって正統派でして、やっぱりサザンはどこかおかしいのです。
その後クラスでも数少ない邦楽愛好家の*浦君から、彼らのファースト・アルバム「熱い胸騒ぎ」を聴かされることになります。
彼曰く、「サザンはコミック・バンドじゃないぜ」確かにそうでした。まだ未完成ながら彼らの音楽には洋楽のテイストを十分に含んだ、それでいて妙に郷愁をそそるものを感じてしまいました。
予想は翌年的中しあの「いとしのエリー」というヒットを生み、個人的に大好きなアルバムの1枚である「ステレオ太陽族」とつながるわけです。

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