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えねまの音楽史
by えねま

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 私の音楽初体験はカーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」ではないけれど、カー・ラジオから流れる洋楽でした。我が家が初めて自動車を買ったのが1965年ですから、私の音楽(洋楽)体験はこの当たりから始まるのです。といっても、記憶に残っているのは翌1966年の曲からなんですけれどね。
 ローリング・ストーンズの「黒くぬれ」、ニュー・ボードビル・バンドの「ウィンチェスターの鐘」、ホリーズの「バスストップ」、ナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッドの「サマー・ワイン」、ボビー・ヘブの「サニー」といったヒット曲が何も知らない無垢な私の耳の中にそして心の中に入りこんでいったのです。

 余談ですが、私は以前から「音楽刷り込み」説というのを持っていまして、それはどういうことかといいますと、「、思春期以前に意識的無意識にかかわらず)耳にしていた音楽が、深層心理の奥深くに刷り込まれ、後の音楽嗜好を決定する。」というものです。私と同じような世代で若い頃ロックを聴いていた人の中には歳をとるにしたがって「やっぱり演歌が良いよ」と変わって来る人がいますが、そういう人は、きっと「演歌」が刷り込まれているんですよ。いや、そうでもないと、私の1967年前後の音楽に対する偏愛を説明できないんですよね(^^;)

 しかし、私の洋楽嗜好を決定付けるバンドが1966年の後半にデビューをするのですが、それはまた次回に....

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前回書き忘れてしまったのですが,父が転勤族だったため,私は幼稚園の頃から転校の連続でした。ですから,私の場合は音楽の記憶と土地の記憶がリンクしていることが多いんですよね。ちなみに,私が音楽に(半分無意識に)耳を傾けるようになった1966年当時は小学校3年生で,7月までは静岡市に,それ以後は仙台市に住んでいました。

 当時,通学路の途中にあるレコード屋の店先に4人組のバンドの大きなポスターが張られていましたが,それがモンキーズだったのです。
 私だけではなく私と同年代の少年少女の心に洋楽の種を植え付けたモンキーズですが,彼等の存在を印象づけたのは,なんといっても1967年10月からTBS系列で放送されたTVシリーズ「モンキーズ・ショウ」ですね。子供にもわかりやすい単純なコメディーと,それに挿入されるいわばMTVの先駆けのような音楽場面の格好良さで,モンキーズはお年頃の女の子達だけではなく,小学生の間でも一躍人気者となったのです
 ちょうどその頃私は札幌市に引っ越したのですが,転校した先の小学校でも「モンキーズ・ショウ」はTVアニメと同様に子供達にとっての重要な話題のひとつでした。もっとも,音楽面の話はほとんど出なかったんですが...(^^;)。
 ともあれ,この時モンキーズはしっかりと私の深層心理に深く刻み込まれ,今でも特別な思いがあります。LD10枚BOXも買っちゃったしね。

 さて,札幌時代(1967〜1968年)に印象に残っている曲といえば,ダントツの1位はドイツのバンド,レインボウズの『バラバラ』ですね。なんたって英語がわからない小学生でも歌えましたからねぇ(^_^)。その他はシーカーズの『ジョージー・ガール』,ビートルズの『ペニー・レーン』,アンディ・ウィリアムスの『恋はリズムにのせて』,ディヴ・ディー・グループの『オーケイ』,ポール・モーリアの『恋は水色』,モンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』『恋の合い言葉』,スコット・マッケンジーの『花のサンフランシスコ』といったところでしょうか?

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cover

 1968年10月,今度は東京の池袋に引っ越すことになりました。引っ越し先は今のサンシャイン・ビルの辺りです。
 当時はまだGS人気の時代ですが,池袋にはドラムというジャス喫茶(今でいうライブ・ハウスですね)がありまして,店の前に当日出演するGSの名前が書かれていたのを覚えています。もちろん見に行ったわけではありませんが(^^;)。
 GSの時代が終焉となった1970年4月,無事に地元の中学校に入学したのですが,6月に腎臓病を患い入院。結局半年以上も入院生活を送ることとなり,中学1年にして留年の道を選ばされてしまいました。ですから,ビートルズの『レット・イット・ビー』,サイモンとガーファンクルの『明日に架ける橋』,エジソン・ライトハウスの『恋のほのお』といった曲は,病院のベッドで聴いたことになりますね。

 翌1971年初頭,初めてレコードを買いました(遅すぎるという話も(^^;)。それはビートルズの『レット・イット・ビー』です。続いて買ったのがジョージ・ハリスンの『マイ・スイート・ロード』,そして,初めて買ったLPがモンキーズの『ゴールデン・アルバム』でした。まだ解散して間が無いのに,レコード店にはほとんどモンキーズのレコードが無かったことを覚えています。
 当時聴いていたラジオ番組で一番記憶に残っているのは『日立ミュージック・イン・ハイフォニック』ですね。

 余談ですが,この頃一番興味があったのは宇宙です。なかなか外に出られない生活だったが故に星に憧れを抱いていたのかもしれませんね。

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cover

 1971年4月,長崎県佐世保市の中学校に再入学。つまり,1年生からやり直しということです。(中学校の入学式を2回経験した人って少ないと思うぞ。もっとも何の自慢にもならないけれどね。)
 ところが,数ヶ月も通わないうちに腎臓病が再発。またしても入院生活を送るはめになりました。
 ベッドの上で寝ながらできることといえば,本を読むこととラジオを聴くことぐらいです。ラジオはもっぱらFENを聴いていました。もっぱら佐世保には米軍基地があったので,FENの受信状況が良かったんですよね。言葉はわからないけれど,ウルフマン・ジャックの番組などは,あの声もあってとても印象的でした。
 初めてレコード・プレイヤーを買って貰ったのは病院を退院した頃....この年の暮れだったと思います。
プレイヤーがあれば当然レコードも欲しくなり,この頃から小遣いを貯めてはレコードを買うようになりました。もちろん,LPは高くてそう簡単に買うことはできず,もっぱらビートルズやサイモン&ガーファンクル等のシングル盤またはEP盤を買っていましたね。

 1972年1月,本屋で1冊の雑誌を見つけました。その雑誌とは「ミュージック・ライフ」です。表紙はロッド・スチュワートでした。そこにはそれまで自分が知らなかったロックの世界が満載で,「こんな素晴らしい雑誌があったんだ!」と感動しちゃいましたね。
 また,この頃からラジオのヒット・チャート番組にも興味を持つようになり,「オール・ジャパン・ポップ20」のチャートと,地元NBC放送のチャートをノートに付けるようになりました。今見ると,曲名やミュージシャン名を間違えて書いていることも多くて笑ってしまいますけれどね。しかし,全国放送の前者とローカル・放送の後者では微妙に順位が違うんですよね。これってやはり地域差なんでしょうか?ちなみに私がチャートを付け始めた頃にヒットしていたのはレッド・ツェッペリンの『ブラック・ドッグ』,バッドフィンガーの『デイ・アフター・デイ』,ビョルン&ベニーの『木枯らしの少女』といった曲です。

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 1970年代初期,九州の片田舎に住んでいた中学生にとって音楽(洋楽)の情報を入手できるのはラジオ(主としてFMとFEN)と雑誌(Music Life等)だけであり,Liveに限らずミュージシャンが動く姿を見ることなんぞ,UFOを見るくらいにかなわぬ夢だったのです。そんな時代(環境)ですから,NHKで年に何度か放送されていた「Young Music Show」は本当にありがたい存在でした。放送日がわかると,何日も前からワクワクドキドキしながら放送日を待っていたものです。
 
そして,1972年5月7日,私はアレを見てしまったのです。そう,『クリーム・ラスト・コンサート』を。
 衝撃的でした。いやもう,世の中にこんなにカッコイイものがあったんだ!と,感動しちゃいました。特に,歌いながらベースを弾くジャック・ブルースの姿にしびれてしまい(死語だな(^^;),そして,その時決意したんですよね,「ベースを弾きながら歌いたい」って....もっとも,この頃はベースとギターの違いすらあまりわかっていなかったのですが...

 その他中学時代に聴くようになったものとしては,グラム・ロックとプログレッシヴ・ロックがあります。
 グラム・ロックの人気者といえばマーク・ボランとデヴィッド・ボウイですが,彼等がギンギンにメイクをしている写真をMusic Lifeで見ては,「何だか知らないけれど凄いなぁ....」と思っていました。私が後にステージでメイクをするようになったのは,ここにルーツがあるんですね,きっと。
 プログレの初体験は....やはり「Young Music Show」で見たピンク・フロイドの「ポンペイ・ライブ」もしくはリバイバル・ヒットしたムーディ・ブルースの「サテンの夜」あたりだと思います。でも,初めて買ったプログレのアルバムはキング・クリムゾンの「アイランド」なんですよね....

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