*ブロンディ、金髪ちゃん、ニューヨーク・パンクの女性硬派代表がパティ・スミス嬢なら軟派代表がここ人達です。パンクで軟派ってのもあれですけど(^0^)。マイアミ生まれのデボラ・ハリーさん、60’s末にNYにやって来て働きながらフォーク歌手活動、74年になってブロンディの元となるバンドに合流、ライブハウス、マクシス・カンサス・シティでのウエイトレス・ギグが評判になって76年にアルバムデビューとゆう次第。パンク勃興期に乗じて出現とはゆうものの既に艱難辛苦の道のり、これが後の方向につながるのだわさ。確かにデビュー時はパンキッシュでありました。その頃のライブ音源を聴いたことありますがこれがまた凶悪。それはそれで充分魅力的でありましたが続けていたらNYアングラの☆で終わっていたかもしれん。いかん大都会にやってきたからには何とか成功せねば。出したアルバムが売上げかんばしくなく、さてどうしようかと。そしたらびっくり海を渡った英国で火が付いた。2ndアルバムからのデニスを皮切りに出す曲出す曲押しなべて大ヒット。よっしゃんならそっちで爆発目指すぞと次の「恋の平行線」でお頼みしたプロデューサーがマイク・チャップマン氏でありました。マイクさんと言えば英国70’s初頭中旬にスイート、スージー・クワトロを初め数々のグラム・ポップ・スターを生み出したプロデューサー、ソングライターチーム、チャップマン=チンの片割れ。ちょうど女の子を追いかけてアメリカに移住した時だったんで渡りにフネと、フネです、やって貰ったのだ。そしたらまー、その女の子にしっかり教育されたかチャップマン氏アメリカでの仕事が押しなべて大成功、すっかりアメリカンしてた時で、その勢いをブロンディにも持ち込みイギリスばかりかアメリカでも大成功、ひいては世界的成功とやっと苦労が実を結んだ万歳ブロンディとついにやったね。英国でまず火が付いたのには訳大有り。あそこの連中はもう目茶目茶オールディーズ好きです。金髪ちゃんイメージでデニース、デニースなんて歌われたらもういちころ。パンクの連中を超えた支持が一挙に集まっちゃう。さらにサンデイ・ガールなんかフランス語でヴゥーだもん。アダムス・ファミリーの父ちゃんじゃ無いけどツボ突きまくりでござる。そしてテクノまでさらりと乗っちゃって「態度はでかい」ではジョン・ホルトの歌謡レゲエ、とどめ差されちゃう。アメリカではラプチャアで出たてのラップやっちゃったりするところが、いやらしく米国人がコンプレックス有るフランス語でラップしちゃったり、節操無いようでセンスありあり手練手管ありあり、やられちゃうわな。この辺チャップマンさんの資質ともばっちりシンクロしちゃって、はいもちろん私だって両国民共々ノックアウトです。魅力の真髄はワン・ウエイ・オア・アナザーのげちゃげちゃげちゃげちゃの部分に凝縮と見た。しかも口を横にぎゅいーんと横延ばし。じゅらくよー。それをしてるのがけっこうガサツそうででクールなデボラさんつうのが。 (マスター)2004.10.16 |
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