*スリー・ドッグ・ナイト。言わずと知れた70’s前半米大陸チャートを荒らしまわった汗のヒット・メイカーです。自作自演のSSWの波がどわっと押し寄せた時代に音楽は愛されてなんぼヒット命のカバー街道。取り上げた曲の絶妙さ、アレンジの秀逸さで元曲の地味ーな連中をも引き上げたとゆう偉ーいお方達。結成は67年、3人のヴォーカリスト、ソウル塊コリー・ウエルズ(ジャケ左多分)、繊細なまず髭チャック・ネグロン(中央)、朴訥さんダニー・ハットン(左)がまず集いダニーさんのマネージャーがビーチボーイズのブラザー・レコードの代表を兼ねていた縁でブリアン・ウイルソン氏のプロデュースでレッドウッドとゆう名前でレコーディング。しかしレーベル内部の混乱でオシャカになってしまい仕切り直しヒット製造レーベル、ダンヒルと契約、その際にやたら派手な演奏をする楽団4人と合体してスリー・ドッグ・ナイトとしてデビューいたしました。しかしまた三犬夜とはなんぞや。聞く所によりますとオーストラリアの原住民アポリジニの風習のことで寒い夜に3匹の犬と寝ることを言うんですって。暖かーいのねこれが。へーへーへーへー。で、68年にデビューして以来最初のブレークは69年のワン、最高位5位、ニルソンさんの曲です。それからはもう出す曲出す曲もう大ヒット、初のナンバー1は70年のママ・トールド・ミー。ランディ・ニューマン氏の曲。これなんか原曲の意匠とどめておりませぬ。はっきり言ってお犬様達の方がポップ・ソングとしては魅力大で、しかしまーあの地味地味なやつをよくもこんなキャッチーぼかんに変身させたもんだと。そして71年の「喜びの世界」で駄目押しの大爆発、さらに「オールド・ファションド・ラブソング」でポール”ファントム”ウイリアムスの曲を、あの妖しい声のまんまじゃこれとて地味ジミイなものをストレートにしかもいやらしく無くやっておくれで、ブラック&ホワイトなんてゆうスカ、ロック・ステディの名曲にも挑戦、見事これも1位に。その後は中ヒット続いて最後の爆発は英国のレオ”ピエロちゃん”セイヤーのショー・マスト・ゴー・オン。イントロの衝撃的サーカス・メリーゴーラウンド音から始まってレオさんの泣き声歌にさらに逞しさと筋肉をプラスしたシャウト泣き声で歌の中心をどかーんと貫きました。そのファッションの物凄さともどもけっしてかっこいい人達で無く音楽も洗練なんて言葉とは程遠いけどこれがいずれもPOP。そんなこと普通は不可能なんですが(^0^)。楽屋の机の木の臭いがしそうないずれの曲もだからこそこっちのハートを鷲づかみするのかなあと思ったりして。その生々しさ、あまりにものアメリカンな風情で英国ではさっぱしだったのも何か納得。あちらの国は音楽はあくまでも異世界の世界に徹してるようなとこありますから。音楽くらいは夢を見させておくれって。しかし実生活の中に生々しく入ってくるスリー・ドッグ・ナイトの音楽だってもちろん大いに有りです。こちとら海の彼方両方行けちゃうポンニチですからその利を生かしてたっぷし満喫しちゃうよ。今の綺麗な音パンパンの音楽で育った人達にはどう聴こえるか想像でけんけど、新横浜ラーメン博物館とかウケてるとこみるとこれは人類共通のホッとする空間かもしれん。ぶっ潰して初めてわかる古い商店街アーケードの味わいなのですきっと。バンドの方は次第にわしが前で歌うわしが前で歌うの争いが激化して76年に一旦は解散、各人ソロでやったもののパッとせず、ダニーさんだけはヴァン・ダイク・パークス博士のジャンプでの名唱ありましたが、81年にバックメンバーは変動するも再結成、きっと今でも全米各地をジョイ・トゥ・ザ・ワールドしてる。持ち味はがんがん残しているに違いない気がいたしますので是非見たいぞ。来日しないものでしょうか。紹介させてもらったのは83年に出たベスト、オリジナル・アルバムには買うのにはばかれるすげージャケのやつのもありますし、何つっても基本はヒット・シングルな人達ですからベストが万歳です。一緒にリンクしてるのは2004年、今年になって出た最新ベスト、これはジャケはうーんなやつながら時代順のヒット登場でこれから買うならこちらの方がいいかなあって物です。いずれにしよ心の中で確実に一角占めてる大切な人達だなあ。 (マスター)2004.11.3
スリー・ドッグ・ナイトの全米シングル・ヒット |
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