*ストーンズご一行、ゼップの皆さん、リトルフィートの衆、ポールMさんその他英国の音楽屋多数が「出たな。」「ああ、出たんだってよ。」と噂が噂を生んだとお話に聞いておりますのがこのワイルド・チュピテュラス。ニュオリンズ・ファンクの傑盤として後世にまで語り告げられてる一品であります。とは言え外国の民含め皆さまに聴いていただくためにこんな数々な不利な点を抱えた盤は無し。まず持ってジャケにびびる。インディアンの扮装をした黒人さんご一行。そして大体バンド名をどう読んだら言いかわからんとゆう。困ったもんだ。このチッピーズ、正体はミーターズ&ネヴィル・ブラザースそして親戚がものしたものであります。ミーターズと言えば70’sニューオリンズ音楽シーンの牽引車としてぐんぐん引っ張った屋台骨バンド、その類稀なるグルーブはアメリカ南部のみならず世界中のノリノリ野郎を虜にして先の英国ミュージシャン達に有形無形のモチベを与えました。そのミーターズの中心人物がアート・ネビルさん。そのアートさんのお母さんのお葬式の際、兄弟親戚が大集合、そのお母さんの兄さんジョージ・ランドリー氏が率いるブラック・インディアンのトライブ、ワイルド・チュピテュラスのアルバムを皆で結束して作ろうとなったのがこのアルバムが世に出た由来でござる。そもそもそのブラック・インディアンなるものは何か。ちゅうとニュー・オリンズのお祭と言えば謝肉祭をフランス語にしたマルディ・グラ(彼の地はフランスの植民地でありました)。そのお祭で山車と言いますかグループを作って練り歩きますのがその地域の仲間達で作ったトライブと呼ばれる集団だとゆうことで。リオのカーニバルなんかにも同種のものがござる。で、なぜインディアンかとゆうと別に混血とかゆうわけでは無いらしく、その昔、アメリカに奴隷として連れて来られたアフリカ黒人達。彼らが自由を求めて買主の手から逃亡した時にかくまってくれたり逃亡の手引きをしてくれたのが地場のネイティブ・アメリカン、インディアンたちだったそうなのです。その行為に敬意と感謝を込めての名称、扮装と言う訳で。とまあ歴史的背景はずどーんとしたものありますが、このレコード自体はお祭ものですからそりゃ楽しいもので。しかも「うえー」とか「うおー」とか部族てなやつは、まあ少しはあるけれど、まるで無し。コンテンポラリーな旬のファンクてんこ盛りでござる。何しろ最強メンバーですから。結束強い家族物つうてもさあさあ旅のお方、恥ずかしがって無いでこっちへ来て酒のまんかい、さ、さ踊って踊ってって気さくさと何とも言えぬのんびりさが嬉しいす。なもんで初めてニューオリンズものに触れようとする方にも安心してご推薦させていただけるぞい。さてプロデューサーとしてクレジットされているのがこれまたニュオリンズ・ファンクの重鎮アラン・トゥーサン氏。だけど実際お仕事はなーんもしなかったらしく、ミーターズの時もしばらく名前だけでなーんもしなかった彼についにこの時参加メンバーはぶち切れ。翌77年にミーターズ解散、ネビル・ブラザース結成となったいわく付の盤でもあるそう。偉大なるアランさんの音楽にとろとろとなってるこちとらには寂しい話でありますが。 (マスター)04.11.1 |
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