にじゅうごにんめ
ホキ徳田さん
2007.12.23
2007.12.20 銀座
まのまりのままりりの


にじゅうよにんめ
灰谷健次郎さん
2006.12.1
灰谷さんの沖縄自宅で・・・・・
06年、11月23日、灰谷さんが亡くなった。
灰谷さんも、漫画集団の馬場のぼるさん、前川かずおさん、多田ヒロシさんたちと交流のある方で、よく四ツ谷のバーで飲んでいた、とご本人や馬場さんから聞いていた。
馬場さんは、「前川君は、灰谷さんによくぞんざいな口の利き方するけど、世の中で認められている人なんだからそんな口の利き方するもんじゃない、というんだけどなぁ」と言っていたから、皆んなそれほどに親しかったのだろう。
 一方灰谷さんは、「漫画家は、安く売りすぎるんじゃないですか? 僕は、100万以下の講演は、受けないですよ」とある秘訣というか、ものの考え方を開陳してくれたものだった。
 しかし、僕は、灰谷さんが5万円ほどの謝礼で、講演していることも知っている。それは灰谷さんが心を許し目的に共感する人たちが集まった時などのことなのだった。
 沖縄に家を建てた時の作戦話とか、自分の美意識が明確で、それに忠実に生きた人なのかもしれない。


にじゅうさんにんめ

林家木久蔵師匠

2005.12.4

 11月(05)25日、銀座ライオンでの漫画集団忘年会で、久しぶりに林家木久蔵さんに逢いました。
 師匠と、漫画集団とのつきあいは結構長くて、木久蔵師匠は、元々漫画家志望で漫画集団の清水崑さんの内弟子に入ったそうです。
 以前師匠から聞いた話によると、「いや清水先生とこは人使いが荒くて、噺家の内弟子に換わってほっとしたよ」なんて笑っていましたが、漫画家に内弟子がいた話も初めてで、驚いたものでした。確か田川水泡さんも内弟子を取っていたと聞いたことがありますが、他にはいなかったんじゃないかと思いますね。
 実は師匠と私には、もう一つの顔があって、師匠は捕鯨賛成、私は捕鯨反対論者として、何度か新聞や雑誌で対論したりしたことがあります。そう言うときは、まずふたりとも無意識に読者を喜ばそうと言う意識が働くもので、勿論口には出さないけど、互いに笑いを商売にしている者同士の呼吸がそうさせてしまうのでありましたね。つまり「そんなことでガチンコになるなんてみっともない」というところでしょうか。
 この日も、チラッとそんな話にもなった宵でした。 


にじゅうににんめ

トイレットペーパーとテープをくれた人

2004.10.20


 これは日劇(現有楽町マリオン)、日本で最も有名で、最大の劇場でした。
 戦前だか戦中だかに、李香蘭(山口淑子)がショウをしたとき、七回り半の客が並んだとか、ウエスタンカーニバルではどうだったとか、時代時代を彩った劇場でありましたねぇ。
 何度か改修をしていますが、たしか、マリリン・モンローの取材の帰りだったかに、酔っぱらった我が先輩、漫画集団員が工事中の日劇に落ちて亡くなってもいます。
 写真は、徳間書店が「文化人歌謡大会」とか銘打って毎年の暮れに日劇を借り切ってやっていたイベントの時のものです。
 結構本格的で、一週間ほど前に別のスタジオに行って音合わせをし、本番ではオーケストラと日劇ダンシングチームのバックダンサーがついているというそれは「気持ちいい」演出でありましたね。
 客は、通りがかりの人、ファンと銀座のホステス、それに気の向いた担当者、編集者てなところでしょうか。
 舞台では、歌っている人の他に、片隅に椅子とテーブルが設えてあって、酒も用意してあり、順番の次の人から二三人がこのテーブルで、談笑しながら自分の番を待っているのでした。
 この時は、福地泡介さん、黒田征太郎さん、安藤昇さんと一緒に待っていて、自分の番になって歌ったのは覚えているけれど、写真のトイレットペーパーとテープをくれた人がどうしても思い出せないのであります。 
 後でもらった額入りの金属製レコードは今でもあります。以前にプレーヤーに掛けたことがあったけど、聞いたことのない音楽が録音されていましたね。で、誰かに問いただしたら、あれは逆回転で入れてあるんです。と言ってたような記憶があります。



にじゅういちにんめ

1986年、手書きのTシャツで左から松浦章さん、
TBSのディレクターさん、中野獨王亭さん、
僕、長井弘勝さんの順。
下は、17年使用後の今年(03年)で、並びはその逆順

おじさん達の鳥見隊(とりみたい)
 かつて日本野鳥の会が、まだ自然保護団体と思われていたころの1986年、第一回バードソン(バードマラソン)というものが行なわれた。
 北海道、阿寒にタンチョウのための土地を「購入」するのが目的で、数人のグループが決められた時間内に何種の鳥を見るか、サポーターはあらかじめ一種につきいくら、(例えば10円とか)と登録しておき、見た種の数に応じて寄付するイベント型のチャリティである。
 その一つのグループが「おじさん達の鳥見隊」であった。
 全日空キャプテン(当時)の松浦さん、折り紙作家の中野さん、ダイヤモンド社編集者(当時)の長井さん、と自然保護に一家言持つ個性派グループのおじさん達は、見た鳥の数は少なかったけれど、他のグループより歳食ってる分、知己が多く、友人知人に助けられて、集金額は並み居るグループの内でトップであった。
 これで野鳥の会は阿寒にタンチョウのための不動産が取得できると喜んだのは束の間で、会は「購入」を「借地」に変更した。
 おじさん達は、これでは羊頭狗肉、金を出してくれた人たちに対する詐欺行為だとへそを曲げて翌年からのバードソンからオンリしたのであった。
 今年、17年ぶりにそんな四人が集まって鳥を見に行こうと言うことになり、富士山にフクロウを見に行ったのだった。
 事もあろうに飼育下にあるフクロウをである。 
 それというのも世界のフクロウが富士国際花園というところで飼育、展示されていて、日本建築の土間にガラスを張って(網ではない)の展示は清潔で妙な趣があってこれがいいんだなあ。なにより糞一つ落ちてない清潔な土の床が全てを許してしまう。
 ガイドのお嬢さんたちを見ていると、フクロウに無関心だが観光会社にガイドとして就職したのと違い、本当にフクロウ好きの人であることがよくわかるのも安心できていい。
 説明も、ユーモアがあっていい脚本に仕上がっているうえ、ショーを見せるガイドも実に上手い。あの脚本誰が書いたのかしら?ホエールウォッチングやバードウォッチングの事業者にも参考になるから、一度機会があったら是非見てみることを勧めたいと思ったものであった。
 シンガポールのバードパークのシヨーみたいに客席からお金をくわえて飛ぶなんていうもっと複雑なことがフクロウに出来たら、世界に知れ渡るに違いないとも思ったのだった。
  というわけで、かくして長年野鳥の飼育に批判的だったおじさん達は、一言の文句も言わず飼育されているフクロウたちをあーでもないこーでもないと、味わい尽くしちゃったのであった。




にじゅうにんめ


横山隆一さん 2001.11.12
 この写真は、漫画集団が長野県白馬村で一夏「漫画王国」をやったときの国王横山隆一と環境庁長官の僕です。
 「横山さん王様ですから」というと、「うん、わかったよ、衣装は持ってるから」
 オープニングの当日、こんな服装で登場しました。自前でこんな衣装を持っているんですよねえ。横山さんという方は。胸の勲章は、バッヂ。
 この時、胸弾ませながら王国に来た長野県の少年が、NHK高知のアナウンサー(現松江放送局の山田康弘さん)になっているんだから、随分昔の話です。
 横山さんという方は、実にお茶目な方で、文化功労者のパーティでは、仲間の工藤恒美さんの腹話術で、人形のフクちゃんに扮し、口をパクパクしたり、まあ、とてもじゃないけど、並の文化功労者じゃなかったですね。