古い文献には、第二水準の漢字にない字があります。
作字をしても、他のマシンでは読めないことなど、これはインターネットの泣き所です。
そんな表示不可能な字は、やむを得ず「○」で伏せ字にしてあるか、訳のあるものは
ひらいてあります。

「宮本武蔵巨鯨を刺す図」  国芳

1848年〜51年(嘉永4年江戸後期)頃の作
大判錦絵三枚続



7−9世紀頃のオホーツク文化の貝塚出土品「捕鯨の図」



・・・・・・・此の時、歌いたまはく、
宇陀の 高城に(高地にある狩り場) 鴫罠張る 吾が待つや 鴫は障(さや)らず(かからずの意)
 いすくはし(鯨の枕詞)鯨障る(鴫がかからずなんと大物の鯨がかかったー大敵の比喩) 前妻(こなみ)が 
肴乞はさば 立ちそば(にしききの古名)の 実の無けくを こきし ひゑね 後妻が 肴乞はさば いちさかき
 実の多けくを こきだひゑね ええ しやこしや 此のいのごふぞ ああ しやこしや 此は嘲咲ふそ
・・・・・・
                                 完訳日本の古典「古事記」小学館より




六国史の一。奈良時代に完成したわが国最古の勅撰の正史。
神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。
三○巻。七二○年(養老四)舎人()親王らの撰。日本紀。

日本書紀 一三允恭
十一年の・・・・・・・衣通郎姫(そとほしのいらつめ)、歌よみして曰く、

とこしへに 君も会へやも いさな取り 海の浜藻の 寄る時時を

訳・すっかり安心して、いつも変わらずに、あなたにお逢いできるのではございません。海の浜藻の、波のまにまに岸辺に近寄り漂うように稀にしか、お逢いいたしておりません。 

「いさな」は鯨魚で、海にかかる枕詞                        岩波文庫「日本書紀」より
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冠事考 二 伊
伊佐奈は鯨をほめたる辭にて、且海つ物の中に、かの魚王の鯨とるをもて、大海の称言(たたえこと)
として冠らせしなるべし、(魚を那と云うは古きことなり)さてその海とつづくるより轉て、濱ともいふは冠辭の例なり





892(寛平4年平安前期) 僧昌住による日本最古の字書です
もちろん分類は魚であり、此の時代にすでに鯢の字は女久知良つまり雌のクジラとなっているようです。

新撰字鏡 魚
鯢(五○反 平 女久知良)







931〜937年(承平7年平安中期) 醍醐天皇の皇女勤子内親王のの命により源順の手によって作られたもの

類聚名義抄 鯨 
今或正、巨京反、クヂラ、ヲクヂラ、雄曰鯨   鯢 俗正、音○、クヂラ、メクヂラ、雌曰鯢








下學集 上気形 
鯨鯨(ケイゲイ) 二字義也、魚之至大者也、鼓浪成雷、噴沫成雨霧其長千里也、或開口呑舟者也、四足之魚也、鯨雄鯢雌也、






本草書。一二巻。人見必大(さだすぐ)著。
1697年(元禄10)刊。
明の李時珍著「本草綱目」にならって、食用・薬用になる
本草について漢文体で記した書。






寺島良安著。著者については医者であること以外、よく判っていないようです。
江戸時代の代表的図説百科辞典です。
一○五巻(実数は八一巻)。
明の王圻の「三才図会」に倣って、和漢古今にわたる種々の事物を
天文・地理・動植物・人物・器具などに部分けし図を挙げて漢文で解説したもの。
ともかくなんでもある
巻首に正徳二年(1712)の自序、翌年の林鳳岡などの序があります。
正式には「倭漢三才図会略」

鯨についての正確な情報を持っていたらしく、非常に詳しい。
後の古式捕鯨と合わせてみていただくと判りやすいと思います。
それにしても中国本家の「三才図絵」の鯨は憶測で書いていると
非難しているのだからその自信がうかがえます。

復刻版

下は、平凡社の現代訳によります

音はケイ
海鰌(かいしゆう) 勇魚(いさな)「万葉集に伊佐奈と訓んでいる。古は魚のことをみな奈と呼んでいた」
雄を鯨といい、雌を鯢という。和名は久知良。

「三才図絵」に「鯨は海中の大魚である。大きくて海に横たわり船を呑む。海底の穴に住んでいる。鯨が穴から出ると海水は溢れる。これを鯨潮という。あるいは鯨が穴から出るときは潮が下がり、入るときは潮が上がる。その出入りは時間的に決まっている。鯨の大きなものは長さ千里もあり、小さなもので数丈。一回に数万の子を産む。五、六月に岸にたどり着いて子を産み、七、八月になると子を導いて大海に還る。波を鼓って雷のような音を出し、沫を吐いて雨を降らす。水中の生き物はこれに驚畏して敢てはむかおうとするものもない。死ぬと彗星がこれに反応をあらわす」「雄は鯨といい雌は鯢という」「あるひとのいうことには、沙上で死んでいる鯨をしらべるとみな目がない。と。俗にその目は変化して明月珠になるという」とある。
「古今詩話」に次のようにいう。海岸に蒲牢(ほろう)という獣がいる。声は鐘のようで鯨を畏れる性質がある。鯨が躍れば鐘の鳴るようになく。それで鐘を鋳造するときは(鐘がよく鳴るように)蒲牢の形をした飾りを鐘の上につくり、その上に鯨の形をした飾りものをつける、と。
 潮ふく鯨のいきとみゆるかな沖にむら立つ(ひとむら)夕立の雲

 その状はほぼ鰌(どじょう)に似ている。それで海鰌ともいう。肥えて円く、長さは周囲と等しい。色は蒼黒で鱗はない。鼻の上の骨は高く隆起し、項の上、首の前に潮を吹く穴がある。口はひろく下唇は上唇より長くて、あぎとの前に出ている。舌もまた長く廣い。大きい鯨は三十三尋の長さがある。一般に長さ千里というが、それは大変な妄言である。

歯 大きくて下駄の歯のとがったのに似ている。
眼 ほそくて口吻に近く寄って下がっている。烏珠(ひとみ)は磨いた水精のようで軟らかである。

鬚 口中の両辺から出ている。数は三百六茎・純黒でおさという。削り磨くと美しく潤い、長さは三、四尺から一丈余りに至る。広さは五、六寸。厚さは五、六分。工匠はこれで笄(かんざし)や尺秤の類をつくる。


鰭 外は黒く内は白色で達波という。長さは八、九尺から一丈余ほどもある。広さは四、五尺である。
骨 肉に近い円い骨を法師骨という。これからも漁家は油を採る。

筋 赤黄色で太径は三寸ぼかり。これを細かく割き破り柑水(米のとぎ汁)に浸して油気を取り去り、これでいま木綿を打つのに用いる唐弓の絃をつくる。

大小腸 長さ五十丈はかり、それで百尋と名づける。 これを煮て食べれぼ久泄(せつ)(慢性下痢)を治すことができる。

陰茎 多計里という。大きなもので一丈。雌は陰戸および乳房を兼備してる。

尾 岐(また)がある。黒色。尾の上の円く肥えた処を尾脛(おはばき)という。味は極めて美(よ)く、言葉につくせない。             ・
糞 黒・白がある。白いものは希である。水上にうかぶ白泡のようで、採取して晒乾(さらしほ)すと蛇骨に似ている。痘瘡の紫黒下陥(痘瘡の痕)を治すには、これを焼いてその煙で薫す。効験がある。

皮 黒皮と赤肉との交に白い脂がある。これを炒ると油が最も多くとれる。およそ三寸四方で厚さ一尺の皮から油一升を得ることができる。

大体、鯨には六種ある。鰮を喜んで食べ、諸魚と敵対しない。船舶がその尾鰭に触れると必ず船舶を覆(ひっくりかえ)す。冬は北から南へ行き、春は南から北に行ぐ。肥前の五島・平戸の辺りでは節分前後に盛んとなり、紀州の能野浦では仲冬が盛んとなる。
 これを捕えるには森と呼ぶ鯨鉾で刺く。樫木で柄を作り、鉢の頭に縄をつけ、その端を船柱に繋ぐ。鉾が鯨にあたれば柄から脱けて肉に入り、鯨の動作につれて深く肉中に入って抜けなくなる。鉾の柄は脱けても縄はつけたままなので、見失うこはない(これ以外にも、森のつくり方には数種ある)。
 鯨船の進退を掌る人を羽指という。長い袖、短いひとえ着て、さながら軍配のようである。近頃は遠くまで出て、大縄の綱をあらかじめ繋いでおいて森をうつ。 だから百に一つも失敗することはない。

世美 六種ある鯨のうち最上のものである。大きなもので十余丈。その子鯨で二、三丈ぐらいである。大抵は十三尋(一尋は成人男子が両手を左右にのばした長さ)のものである。 一体全部から油を取ると二百石(180l)がとれる。七尋のもので油は四十石とれる。ただ八尋のものは油が少なく十石ぐらいである。

座頭 大きなもので四、五丈にすぎない。背鰭の長さは一丈ばかり、一片は黒く一片は白い。肚皮は層々として畦をなし、竹を編んだようである。簀子皮と呼んでいる。背に二尺四方ばかりの疣鰭があって、琵琶の形に似ており、ごぜ(盲目の女旅芸人)が琵琶を背に負っている形を彷彿させる。それで座頭という。盲魚ではない。その他については世美と同じである。森鉾にあたってもよく遁げ去る。ただし子持ち鯨は捕獲しやすい。まず児鯨を攻めて半死の目に合わすと母鯨は去るに忍びず、身をもって子をかばい掩う。そのときに殺すことができ、そのあと子鯨も捕える。しかし今の大綱を用いれば座頭といえどもよく遁げ去ることはできない。

長須 形色ともに世美に似ている。これも背に疣鰭がある。大きなもので十丈ばかり。常に水底に沈んでいて、浮かび上っているものは稀である。だから捕獲しにくい。
鰮鯨 いつも鰮を逐ってやってくる。大きなものでも二、三文にすぎない。肉は薄く脂は少ない。それで漁人はすすんでこれを殺すようなことはしない。

真甲 子牛の角のような大きな牙がある。これもまた好んで鰮を逐ってくる。脂は少ない。
 だからすすんで殺すようなことはしない。西海にも希にいるが、紀・勢、総・常の海にいる。その牙は象牙・猪牙に似でいる。切磋(きりみがく)して器につくったり、人の牙歯に造って入れ歯にしたりする。

小鯨 淡黒または灰白色で、鬚は白い。長さ一尺五、六寸。広さ三寸ぱかり、厚さ二、三分、白鬚と呼ぶ。各々その大鯨に類似している。大きなものでも一、二丈にすぎない。
 魚虎(しゃちほこ)というのがある。歯鰭は剣鉾のようである。(有鱗魚の項に詳しい)。数十といつも鯨の口の傍に群れて、鯨の頬・鰓をつつく。その声は外に聞こえる。これがいつまでも続くと鯨は困惑してロを開く。すると魚虎は鯨の口中に入ってその舌根を噛み切り、喰いつくして出て行く。鯨は死ぬ。これを魚虎切(しゃちぎり)という。たまたまこうして死んだ鯨を浦人が捕獲した。海中で無双の大魚もわずかの小魚のために命を絶たれるのである。
 およそ鯨を裁る刀は生鉄のものがょい。鋼鉄のものはかえって佳くない。そもそも鯨は全体を食べることができ、油を取ることができ、歯・鬚・鰭は器につくることができる。まことにこれこそわが国の宝貨の類というべきであろう。中華にもいるが日本のように多くはいず、見ることも希である。それで鯨は諸本草に載せていない。「三才図会」には載ってはいるが、その説は憶測によったものにすぎない。



貝原益軒 元禄13年江戸中期 1700年 
これは語源辞書で、中国の「釈名」にならって
書いたと言われるが、内容は、どうも駄洒落の
ようで、いまひとつ信頼しかねる気がしいます。
いや本当はこれで正しいのかも知れませんが・・・

日本釈名 中魚 
海鰌(くじら) 黒白也、其皮黒く其肉白し、順和名抄にはくぢらとあり、しとちと通ず、






(「日東の爾雅」の意)語学書。二○巻。新井白石著。1719年(享保4)成る。
中国の「爾雅」などにならって、物名についてその語源的解釈をした分類体語源辞書。

東雅 十九鱗介 鯨クヂラ 
クヂラの義不詳 古語に黒色をクといひ、白色をシラといひけり、シ又転じてチといひしも多かり、クジラとは、クヂラといふ語の転ぜしにて、此魚皮肉之間、黒白相層りて、極めて分明なるを云ひしと見えたり、





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