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想ひ出LIVE

・・みなさんの見た忘れられないライブ。ここに記しましょう・・

ご投稿はこちらまで

*ルール*
1.記憶のみで報告します。原則的に調べちゃダメ。
2.したがって、幻聴、幻視、幻想、誇張、間違い有りです。
3.間違いの指摘は絶対に禁止です。

 

(1)スペシャルズ (2)リトル・フィート (3)ボブ・ディラン (4)エアロスミス (5)バン・ヘイレン
(6)EL&P,フリー (7)クイーン (8)ジェリー・ガルシア (9)EL&Pとジャーニー (10)10CC
(11)ジャパン (12)ピンク・フロイド (13)ロビン・トロワー (14)イーストランド (15)レインボー
(16)ブラックサバス (17)シン・リジィ (18)エルトン・ジョン (19)メンフィス・インメイ (20)Gパーカー
(21)マディ・ウォーターズ (22)ジョニー・ウインター (23)ニュー・オーダー (24)三連発 (25)ザ・バンド
(26)ビリー・ジョエル (27)スリー・ドッグ・ナイト (28)テンプテイションズ (29)シカゴ (30)ビーチボーイズ
(31)ダリル・ホール (32)ロッド・スチュアート (33)レッド・ツェッペリン    

<NO1>スペシャルズ初来日!

 
198*年*月*日、1ST アルバムがとってもいかしていたスペシャルズ、来日とゆうことで中野サンプラザに向かったのです。ところがどっこい、前日の公演中になにやら大暴れしたらしく、サンプラ使用中止にされたらしいのです。参ったなーと思いながら、やつらにはサンプラ似合わねえなあと感じてたのでしょうがねえとも思い。そんなわけで急遽都内某デイスコで1日2回公演だとさ。
 これぞ私の嫌いな立錐の余地も無い空間。大根も洗う状態で始まるともう大変。曲が始まるとだんだん加速して行って最後は必ず猛スピードになるんです。おまけにPAには乗るは、その辺ぶっとぶは。さ、さ、最高。音質からして違う。ロンドン下町のくっさーい匂いが充満(行ったことないけどさ)。そんな中、クールにきめる、重鎮リコ・ロドリゲス(トロンボーン)。あっとゆうまに時間がたち、呆然とする中、終わったのでありました。やっぱりバンドは旬の時見るもんだねえ。

↑こんな感じでお願いします。みなさんが歴史の証人になる!?

(マスター)

<NO2>リトル・フィート初来日!

 197*年*月*日、ウエイティング・フォー・コロンブス発表と時を同じくして来日した彼らを、中野サンプラザに見に行く。演奏が始まりスライドを弾き出したローウェル・ジョージの姿に思わず鳥肌が立つ。「おお」と会場全体からの声。聴けばすぐわかる特徴のあるドラムとグルーブの塊ベースが心地よい。私はこの時期に見れたこのライブを一生忘れない。

(マスター)

<NO3>ボブ・ディラン コンサート

 あれは、確か1980年頃だったと思います。ボブ・ディラン先生と御一行様コンサートに行きました。実は私はディランの熱狂的ファンと言うわけではなくきっと、歴史の証人になる(笑)ようなつもりで武道館に出かけて行きました。なにしろ客席には、美空ひばりも来ているような状況で大いに盛り上がっていました。ところが、私の席は北側でステージのほとんど真後ろ!距離的にはかなり近いものの、後ろ姿ばかりで顔はほとんど見えないんですよね!大好きなミック・ロンソンも横顔が時々見えるくらいで(衣装はカッコよかったぞ)。ウーン、もっと早くチケットを買うべきだったなあ・・・としみじみ思ったのでした(でも当時はお金なかったからしかたないけどねえ。チケットぴあもなかったよね?)でもやっぱり見てよかったです。ディランの歌を生で聴けたのは貴重な経験ですね。 完。

(みみちん)

<NO4>エアロスミス、初名古屋公演!

 名盤、「ロックス」をだした翌年の1977年の2月初頭、名古屋市公会堂で観ました。前から、4,5列目の
右寄りでその時、私、小さなテレコを隠しもって入り、カセットに録音しました。(探してみます)
オープニングはその時流行っていた映画<ジョーズのテーマ曲→ドッド、ドッド、ドッド、・・・っていうやつが
会場に流れ始め周りは女の子の黄色い歓声が凄かった!それが、数分続き、突然<チャララーン、チャラララーン・・・>と、トッカータとフーガに曲が変わり、すぐに
一曲目の<Mama Kin>に突入して行ったのを今でも鮮明に覚えています・・・!<トレイン・ケプト・ア・ローリン>には興奮しました。あれからもう24年も経ってしまったというのにエアロスミスは見た目も変わらない!エライ!
私も24も歳とったけどまだまだ、頑張ろうと思いました 。

(kuni)さん

<NO5>VAN HALEN,初名古屋公演!

 1979年、季節は忘れたが彼らを名古屋市公会堂で観ました。前年の1978年に初来日してるんですが、名古屋飛ばしでありました。これも4,5列目の右寄りで観た記憶があります。それと忘れようとしても忘れられないのは、デビット・リー・ロスがなんと袴姿で出てきたということ!(横から、なんか見えそうでありました!!)
途中で着替えたと思うんだけど、袴姿っていうことだけが今も頭の中に残ってます。う〜ん、あとは申し訳ない記憶がありません。その時買ったワールド・ツアー・Tシャツ今でも着てますです。

(kuni)さん

<NO6>EL&P,FREE後楽園ライブ

 調子こいて弾みで書くよん!時は1972年、7月私が中3の夏休み東京の叔母の家に遊びに行くので(ホントはライブ観るのが目的)行って来ました。しかも、母同伴で私、初めての外タレライブでありました。名盤「展覧会の絵」をだしてからの来日でしたので、良かったです。あとFREEですがポール・コゾフもアンディ・フレーザーのいないFREEでしたのであまり期待もせず観たのですがおもったよりポール・ロジャースのギターがうまかったので感心した覚えがあります。テツやラビットやサイモン・カークの記憶というか印象なし・・・その夜、テレビ東京でライブの模様をOAしてましたので、子供心に東京は地方と違う、スゴイと思った記憶はあります。

(kuni)さん

<NO7>クイーン、初名古屋公演!

 1975年、高3になったばかりの4月のある日、友だち3人とウソついて早退し、いったん家に帰って着替えて、名古屋の愛知県体育館でクイーンの初来日公演に行って来ました。その頃の、フレディーを筆頭とする4人は今で言うビジュアル系で確か「ロック界の貴公子」といわれてたんですよ!ゲイのゲの字もその当時のフレディーには感じられませんでした。圧倒的に女の子のファンだらけでした。華麗なステージでありました。夢のようなひとときでした。確か、その次の年の1976年には、名盤「オペラ座の夜」を発表後、2度目の来日も果たし、同じ愛知県体育館で見ました。その時にフレディーがボーイフレンドを連れて来ているのを知りましたが、将来そういったコトから彼がエイズで死ぬとはつゆ知らずでありました。
生ボヘミアン・ラプソディはよかったなあ・・・・・
その後、カミングアウトでもしたかのような、変貌ぶり&ヒゲ面には、乙女心?も傷つきクイーンどうでもよくなっちゃいました。

(kuni)さん

<NO8>ジェリー・ガルシアを・・・・

 1977年、7月末〜8月末までの約1か月間当時19歳だった私は(短大生でした)その頃ハヤリであった、ミニ留学「カリフォルニア大学バークレー校ミニ留学&サンフランシスコ&ハワイ」というのに出かけました。主人(結婚前)と初めてこの年アメリカにいきました。バークレー校近くにある、キーストーンというお店でガルシアのライブに行って来ました。デッドのアルバムの時期で言うと「テラピン・ステーション」が出た頃のガルシアでそのアルバムに参加していた女性メンバーも一緒で、<ジェリー・ガルシア・バンド>として出てました。何を演ったかこれも記憶にないですが、POTが回って来たりして、初××してしまいました。臭いも店中すごかったです。トリップとはコノコトを言うんだと初めて知りました。ヤバイ、ヤバイ・・・グレートフル・デットついに来日もせず、ガルシアはパストアウェイされてしまわれまして本当に残念であります。

(kuni)さん

<NO9>EL&Pとジャーニーを・・・・・

 これも1977年、8月頭にバークレーからちょっと離れたオークランドのオークランドコロシアムでたしか「ワークス」を出した後のEL&Pを偶然にも5年ぶりに観るコトが出来ました。この頃はあんまりファンじゃあなくなっていましたので(他の所ではオーケストラと共演なんてこともしてたらしいですが・・・)後楽園で観た(旬でした)感動はありませんでした。席が悪かったのもあるかもしれませんでしたが・・・前座は、スティーブ・ペリー加入前のジャーニーでした。ボーカルはキーボード兼のグレック・ローリーやエンズリー・ダンバーがいた頃でブレイク前(私の中では)のメンバーなのでコレまた印象薄くて後は何にも記憶なし・・・その後スティーブ・ペリー加入後の活躍は凄かった。(日本公演のことはそのうち思いだします。)

(kuni)さん

<NO10>10CC来日公演

 分裂後、トロピカル・ラブ(うー、なんて邦題)を出したころだったか前だったか、中野サンプラザへ10ccを見に行く。好きな二人はもういないものの、元パイロットのキーボードがいたりするとゆーことなので結構期待して行きました。あー、凄く演奏がうまい。イギリスのバンドは凄いテクニックとゆう感じはしないけど実にしっかりと演奏しますわ。それとグールドマン氏のベース、こんなにうまいとは思いませんでした。リッケンバッカーの魅力満載の音質でとても印象に残る。歌もハーモニーもとても安定してます。圧倒されっぱなしで最後の「アイム・ナット・イン・ラブ」ではもうとろとろ。人生最良の時を過ごせました。

(マスター)

<NO11>ジャパン初来日公演

1979年、ジャパンの初来日公演、武道館で観ました。2枚目のアルバムが出てすぐのライブでした。アリーナの後ろの方か2階席の前の方でしたがメンバーの顔は残念ながら良くみえなかった・・・。日本のバンドが前座で演奏したんですがそれがA・R・Bというバンドで私はまったく知らない!その後人気が出たみたいですが・・・。ステージの後ろにイメージビデオか又はスライドが写っていました。ルックスのことで色々言われていましたが、演奏はとても上手かったです!とくにリズム隊が良かった!スティーブ・ジャンセンはあの若さでメチャ上手かった!ミック・カーンも地味だったけどベース上手かったです。アンコールは「ハート・ブレイカー」ストーンズの曲でデビッドの声に以外とあっていました。あの頃、日本で大人気だったんですよね、女の子の歓声がすごかった(私も叫んだかも・・・笑)

(みみちん)

<NO12>ピンク・フロイド来日公演

 1990年頃でしょうか? 場所は大阪城ホール。ロジャー・ウォーターズ抜きの新生フロイドが新譜を出した頃です。アリーナ席で前から22番目ぐらいだから、かなり良い席。オープニングの「狂ったダイヤモンド」のシンセストリングスが流れてきた時の感動は、今でも忘れられません。観てない方でも、フロイドファンなら想像つくと思います。ステージはかなり凝っていて視覚的にも楽しめました。前半は新曲、途中休憩時間をはさんでの、後半は昔の曲。前半では、「ドンドン」と大きな音のなるイントロの曲があるんですが、音厚が身体に伝わる凄い音でした。腹に響くどころじゃなかったと思います。後半は「吹けよ風、呼べよ嵐」「タイム」等、泣く子も黙るお馴染みの曲のオンパレード。前半よりこっちの方が楽しめたかな。そして、エンディング(アンコール前)の曲「コンフォタブリーナム」最後の延々と演奏されるギルモアの泣きのギターソロと見事にシンクロされた不思議なミラーボールの演出効果で、今まで誰一人立ってなかった観客がアリーナ席の前の方から次々と立ち上がる光景は、集団催眠にかかった信者の様。みんな心の中で泣いてたと思います。オープニングの「狂ったダイヤモンド」以上に感動しました。
今まで数々のライブを体験して、ノリノリで良かったりカッコよくて感動して泣いてしまったこともあるけど、ピンク・フロイドのライブだけは別格です。きっと未だに催眠術が解けてないんでしょうね。

(TWANG)さん

 

<NO13>ロビン・トロワー来日ライブ

 素晴らしいアルバム「LIVE」を発表した直後だったか、ロビン・トロワー来日。渋谷公会堂に見に行く。普通に券買ったのに、何故かステージかぶりつき、向かって右側のすごい場所。お目当てのあのサウンドが堪能できる。客席はほぼ満員。それに答えてバンドも熱いサウンド。やっぱりワウワウに合わせて口がもごもごゆうのねえ。このバンドの素晴らしさの一つにベース弾きのボーカルの素晴らしさがある。意外といないポール・ロジャース直系のスタイルで、弾きながら歌う為か、実に実直に歌うのが好感が持てる。手数の多いドラム、骨太なベース、広がりのあるギター、そしてあの唄とバランスが最高なバンドだ。残念だったのは時々リズムが乱れることがあったこと。お疲れだったのかな。
 その後ミュ−ジックライフのインタビューでトロワーが自分の音楽はブルースが全てとか、ああひどく古臭いことを言う人だなあと思ったが、音楽が結構モダーンなのが不思議である。本人の意図に反してブルース臭さがあまりないのである。そしてそこが魅力なのが音楽の面白さだよなあ。

(マスター)

 

<NO14>イーストランド

 確か、1975年の今頃に愛知県体育館でワールド・ロックフェステバル、「イーストランド」というのが内田裕也プレゼンツで開かれたのを思いだしました。ニューヨーク・ドールズやジェフ・ベックグループやフェリックス・パパラルディ(合掌←奥様に殺されるなんてねぇ・怖いねえぇ)とかと日本からはクリエイションや外道やウエストロードブルースバンドやジョー山中(&パパラルディと組んでたような記憶がかすかにあります。)が出てました。午後2時ぐらいから夜9時ぐらいまで開かれていたと思います。
今年の名古屋地方の暑さはホントに参ってしまっていますがかすかな記憶の糸をひっぱりだしてきたらイーストランドのこと思い出せました。あの日も確か暑かった!

(kuni)さん

 

<NO15>レインボー

 何を隠そう初めて行ったコンサートはこれなのです。武道館で2階の一番前。わくわくしたなあ。でもおぼえてるのは、始まりが映画のオーバー・ザ・レインボーであったのと、マンのばしるばまうんてんのイントロとステージにあった虹のセットの継ぎ目と、最後のお約束ギターこわしはああきっとトムソンのギターに取り替えているのだなあと思ったことと、極め付きは2階の手摺の中で演奏中ねずみが動き回って暴れていたのにびっくりしたことなのでした。素晴らしい演奏だったと思いますです。

(マスター)

 

<NO16>ブラックサバス初来日

 マスターさんの「レインボー」に触発されて思い出したので、書きます!初来日といってもヴォーカルはオジーではなくロニー・ジェイムス・ディオでして時は確か1980年の秋だったと思います。ドラムもカーマイン・アピスの弟ビンセント(通称ビニー)でとてもブラック・サバスと言えるかどうか不安でしたが(結婚前でしたが)主人がメチャ、サバスファンでしたので、京都会館まで車で行き(東京と大阪と京都の3か所で名古屋飛ばしでした)大変だったという思いしかありません!ロニーのあの指サインをファンが、みんな掲げてのコンサートでありました。
トニーさんとジーザーさんはカッコよかった。あとキーボードに誰か、おったわ・・・・(思いだせない〜)

(kuni)さん

 

<NO17>シン・リジィ

 あれは確か「ブラック・ローズ」を出した年で、ゲイリー・ムーアが入ってスコット・ゴーハムとのからみが楽しみ!と思っていたら日本に来る前のアメリカンツアー中にゲイリーさん、とっとと脱退されてしまわれガックリした覚えがあります。自分が仕事を始めた次の年だったから1979年の秋頃で名古屋市公会堂で観ました。(会社から近くでここでのコンサート多かったので、私の青春が、いっぱい詰まった場所でもあります。)フィル・リノット、細くて足が長くて格好良くてベースも唄も良かった。(でも、顔は・・・・)早死され残念でした。(合掌)
女の子(当時、私も含め・・・)はほとんど、スコット・ゴーハムファンでしたねぇ・・・

(kuni)さん

 

<NO18>エルトン・ジョン ドジャースタジアム

 あれは1975年頃だったと思います。ちょうどアメリカへ留学したときにチケットを手に入れてドジャースタジアムのエルトン・ジョンを見に行きました。ちょっとしたロックフェスティバルみたいで昼間からエミー・ルー・ハリスやジョー・ウォルシュなどの前座がありました。バンドが一つ終わると機材を撤去し、また次のバンドの機材を設置するというくりかえしでその待ち時間の長いこと。夕方頃にはいささか疲れ果ていましたがステージ上にはエルトン・ジョンの機材がまだ並ばない。一体いつになるのやらと思っていたら突然エルトンのピアノが聞こえてくる。 するとステージ後方の幕が開いてそこにはもう一つの巨大なステージがぴかぴかのグランドピアノとバンドを乗せてゆっくりと前の方に転がりだした。 いやあ、当時こんなスケールのでかいステージを見るのは初めてで感動しました。
LAドジャーズのユニフォームを着てピカピカ光る野球帽をかぶったエルトンが印象的でした。 たしかステージ上には当時の女子テニス界で有名だったビリージーン・キング夫人もいました。Rock of the Westiesのアルバムの頃でIsland Girlだけがいまだに頭、というか耳に焼き付いています。

(Yasu)さん

 

<NO19>メンフィス・イン・メイ(1993年)

 なんか、とある所(笑)で想い出しましたので、書き残したいと思います。このフェスをなんで知ったかと言うと、その当時、メンフィスから約3時間離れたミシシッピのグリーンビルに住んでいまして、1〜2ヶ月に1度はメンフィスに「オリエンタルグローサリーストアー」(アジア系食料品店)に日本の食材を買いだしに行ってました。最初の頃は、勿体ないことに日帰りで行ってまして、「ビールストリート」なるものを確認してからは、1泊での買いだし&夜はライヴへ行く(今だから、ハナシますが3人の子供達には、絶対外へは出るな!と鬼のようなことを言い残してホテルを出て夜見に行ってました。アメリカでは(日本でも)あきらかに虐待行為でした。(反省してます&良かった、何もなくて・・・)ホント、今になって思うとよくあんなトコへ私一人で車運転していったわとか、色々思うとゾッとすることあります。前置き長くなりましたが、
なんやかんやで、メンフィスの音楽情報誌も購読するようになり、ランブギーカフェとかB・B・キング・ブルースクラブの観たい人の出る時にいってました。
ある時、「メンフィス・イン・メイ」(分かり易く言うと今のフジ・ロックみたいなもの)があることを知り、子供達の学校なんかも3日間休ませ、いつもよりレートの高いホテル(定宿はアウトでまた高い)に泊まり、子供達も連れて行きましたよ!4カ所位ステージがあって同時にそれぞれ始まるのでプログラムでまず、何時にドコで何を観るか決めないといけないので、つらいものもあるのですが
(ビールストリートから川ップチに歩いて行くんだけど、
5分位)私が観たかった1番は「アークエンジェルス」だったんだけど、ドイル(多分、当時薬中)が問題あったらしく、ステージの一番前まで「アーク・・・」のTシャツを着ていったのに、でてきたのは、レオン・ラッセルで残念(ファンの方々すいません、以前にレオンはランブギーで観てたので、落胆したんです、悪気ありません)に思ってしまいましたが、オールマンブラザースやデイブ・メイソンやジョン・ケイやマリア・アルダーやJ・Bやエドガー・ウインター&カーマイン・アピスやキンゼイ・リポートなどなど・・素晴らしかったです。しかし、なんと言っても想い出としてキョーレツにあるのは、ジョン・キャンベルです。知らない人多いかも知れませんが、ジョニー・ウインター張りの、細さとカッコよさとハウリン・ウルフ張りのヴォーカルとすさまじいスライドギター奏法・・・凄かったです!じつは、このメンフィス・イン・メイの前にニュー・オリンズであの有名なフェスが有り、
出られてるアーティストもダブるとこもあるんですが、私は絶対、メンフィスオススメです。なぜなら、日本のGWと重なる(でも飛行機代が高い!)し、ロック色も濃いしね・・・・宿はHPでメチャ早〜くとらんとムリかもしれない・・・え〜と、ハナシ戻して、そのジョン・キャンベルさん、ニューオリンズに出て、NHKで出てたのやったので、もしかしたら観られてる方いるかも知れません。(妹がアメリカまでビデオ送ってくれました。)しかし、彼はメンフィスのあとヨーロッパ公演に行き帰って間もなくNYの自宅で就寝中に心臓麻痺で亡くなられてしまったのです。彼のCDを聴くとソレを予期したかのようなモノもあって・・・・(合掌)メンフィスでは彼のステージ後、感激したので、サインを貰って少しハナシもしたんです・・・・「日本には、ブルース・ファンが沢山います、感激しました。日本に来られたことありますか?」な〜んてズケズケと聞いたら、「まだ、ないけどぜひ行きたい!」と答えてくれて、私の持っていたサインペンを他の人にも貸してあげて、ジョンから「サンキュー!クニ!」って言ってペンを返してもらい言葉を交わした日本人では私が最初で最後かぁなんて思ってしまっています・・・すいませんが・・これからって言うスゴイ才能は散ってしまわれました。それでは・・・長くてゴメンナサイ!!

(kuni)さん

 

<NO20>グラハム・パーカー&ルーモア

 あのすんばらしいライブ・アルバムを出したすぐ後だったと思う。期待して行ったのだ。中野サンプラザか、渋谷公会堂か新宿厚生年金か覚えてません。開演してびっくり。なんと豪華3人ホーン・セクション付。そりゃまー、演奏はタイトで凄いし、パーカーさんギラギラしててまさに旬。楽しかったなあ。ライブ・ベスト10に必ず入る素敵なコンサートでした。ブリンズレイ・シュワルツとか生で見れたなんて。

(マスター)

<NO21>マディ・ウォーターズ名古屋公演

私の好きなジョニー・ウインターのプロデュースした「ハードアゲイン」を出した後で、83年にマディは亡くなっているので来日時期を思い出してるんですが、名古屋でアタクシが仕事してて、その帰りに愛知勤労会館で観ましたので1980年のコトだと思います。その頃のマディさんは多分65歳位でステージ上ではバーカウンターにあるような小さい背もたれ付きの椅子に浅く腰を掛けての演奏でございました。当時の私はロバート・ジョンソンのことは聴いていましたが、やはりストーンズのバンド名にもなるような曲「ローリン’ストーン」を演っておられるのがマディ御大で知っている曲は「フーチークーチーマン」や邦題でいうと「ただ、ヤリタイだけ」や「モジョーウォーキン」や「シュガースィート」「クロース・トゥ・ユー」位しか、知らないままにコンサートに行きました。行ってみてビックリしたのは、ほとんど男の人ばっか・・一人で行ったもんだから、席の周りの男の人に「ブルースのコンサート、女の子来るの珍しいねぇ〜!」なんて言われて心の中では「なんか、悪いんか?」とカチンときつつも若かったので「え〜、好きなんでね〜、御大もお歳だし観ないと後悔すると思ってぇ〜!ロバート・ジョンソンも好きで、ロバート・ジョンソンの代わりにレコーディングしてデビューしたって言うのもつながりかなあ、な〜んて〜・・・・」バカみたい?(バカです)に喋ってたら「ロバート・ジョンソンまで聴く〜?(女なのに?とでも言いたげだった)」と珍しがられた時代でした、まだね!とのたまわって演奏をまっとりましたが、椅子に座るっての演奏だったと言うことだけで、ゴメンナサイ。なにがどうやったのか思い出せませんでした。ただ、「ジョニー・ウインターもくるかもしれない!」という噂が流れてまして、噂に終わってしまいましたが!!孫のような若い奥サマを伴ってのラブラブな来日で会ったと風の噂をあとで聞きました・・・・・!!

(kuni)さん

 

<NO22>ジョニー・ウインター

1994年2月、約3年間過ごしたミシシッピでの生活をあと2週間で終わらなければならないと覚悟したある日、
何かやり残したコトはナイかと考えたら「ジョニー・ウインターをアメリカにおるうちに観る!」ということが
叶えられていないことに改めて気付きブルース雑誌等で2月5日にアトランタのセンターステージと言うホールでライブがあることが分かったのです!1991年8月にアメリカに渡った時から「ジョニーを絶対観る」ということは
いつも思っていたのですが何せド南部のミシシッピの片田舎のグリーンビル市(でもデルタブルースフェスティバルは、この市で9月に一日だけ毎年あるんです。過去にはジョニーもレイヴォーンもB・Bもアルバート・キング出てます!)にはエンターティメントがほとんど飛ばしなんです!グリーンビルのコンベンションセンターに前出の前夜祭でグラディス・ナイトやジョニー・テイラーやボビー・ラッシュやココ・テイラーは観てますが・・・あと、町のライブハウスでリトル・ミルトンとチャーリー・マッスルホワイトは観ています。まあ、ブラックの圧倒的に多いある意味物騒なトコでしたのでメジャーな、まして白人のアーティストは全然いらっしゃらなかったです。ハナシを戻して、でもうこのアトランタのジョニーを見逃したら一生後悔すると考え・・・・となると3人の子供は連れていけないし・・・知り合いになっていた白人夫婦に預け(子供達も慣れていたし)1泊2日でクルマでミシシッピ、アラバマ抜けてアトランタに出かけたのです!チケットは前もって電話で頼んで買い1枚18ドルくらいでした。(安すぎ・・・)アトランタのピーチストリートのセンターステージという割と小さめの建物でした。行くともう中年の図体のデカイ男女が多く風貌は「ハーレーダビットソン乗ってます」という感じというか「オールマンブラザースも好きです風」の集まりで鼻タレ(ゴメン)10代は皆無の状態でありました。[hey,where's your brother?]を出した後でして曲はその中のモノが多かったと記憶してます。
ステージを中心に半円状に席が雛壇状に広がったわりとステージと接近している造りのホールで臨場感溢れるいいハコでしたぁ〜!!もうジョニーがスグ目の前で演奏をしているのを観られて興奮するかと自分でも想像してソノ場に行ったんですがもうソレも通りこして(行くまでの道中で興奮しすぎた)なんか反対に冷静に自分の目の前で起こっていることを「これは夢じゃないんだぁ〜」と言い聞かしている自分を感じておりました。ホントにカトンボのような細さ&年齢を考えると信じれないくらいのパワー全開でございました。ジョニーをR&Rギタリストかブルースギタリストかで時々、夫婦で議論するんですが・・・少なくとも近年はブルース色が濃いと思うンですが、どうでしょうかね・・とにかくその帰りの道中は夢心地であったせいかスピード違反を夫婦1回ずつやり切符を切られたんですがもう帰国寸前でしたので・・・・・・・ご想像におまかせします!!

(kuni)さん

 

<NO23>ニュー・オーダー

「暗黒レコード」にジョイ・ディヴィジョンがアップされたのを機に思い出しました。
もう日時も場所も定かではないのですが、たぶん84,5年あたり。たぶん新宿厚生年金か渋谷公会堂。
ヴォーカルはレコードそのままドヘタ。
ギターははヴィデオそのままクール。
私は思いっきり満足したのですが、なんかヴォーカルの彼が満足しなかったらしく、
幕が下りてからいきなり舞台に出てきて歌おうとして日本人スタッフに取り押さえられました。

もう会場は騒然。彼は羽交い絞めにされて、ベソかきながらも歌ってました。
意外だったのは、クールそうに見えた他のメンバーも出てきて淡々と演奏を始めたこと。
きっと彼を援護したい気持ちだったのでしょう。

固有名詞を一切忘れていてどうもすみません。
でも、あれってニューウェイブだった。
いいもの見たと思いました。

(ショコタコビッチ)さん

<NO24>W.Ash1961さん、3連発

『スザンヌ・ヴェガ』

 ショコタさんの“新宿厚生年金会館”で、思い出しました。まだLPを1、2枚出したばかりの新人の頃で、シングル・カットした曲の幼児虐待の歌詞内容が話題になってました。

 本人は小柄でキュートな感じだったのですが、いかんせんステージが地味過ぎました。平日のコンサートで仕事先から駆けつけたとはいえ、半分以上ぐっすり寝てしまいました。
 それまでギンギンのロック・コンサートでストレス発散〜!みたいな経験しかなかったので、寝てしまった自分自身にビックリ。ちなみに地方からチケット代より高い交通費かけて行ったのに〜。 (T_T)

 今でもスザンヌ・ヴェガのルカは、眠る時には、もってこいの曲だと思います。

『福岡のエリック・クラプトン』

 すいません、“寝たコンサート”で、また思い出しました。当時、子供の事故死(転落死)で暗〜い感じのジャズに傾倒していたクラプトン。

 あまりの退屈さに多少の怒りを覚えつつ、グースカ・ピー。はっと起きたら“レイラー!”で盛り上がってる最中。その後すぐ終演。

 何しに行ったやら…。一緒に行った知人には、今でもイヤミ言われちゃう。

『初めて行ったロック・コンサートはゴダイゴ』

 寝てばかりいたわけじゃないすよ〜。上に兄弟のいた私は、小学校から洋楽聞いていましたが、ライブ初体験はさすがに邦楽?のロック、ゴダイゴでした。

 ヘタにガンダーラが売れちゃって、間違った方向に行ってしまいましたが、初期の頃、新創世紀、とか、デッド・エンドの頃は、今のドリームシアターにも負けないカッチョイー、ハード・ロック・プログレやってたんですよ〜。なんてったって、ベースとキーボードはバークレー出身でしたから。

 ええ、一曲目から、まさに脳天ガッツーン!です。ライブの音もベースのスティーブ・フォックスが当時としては一流のサウンド・チェックをやってたようで、実にクリアでした。後に行った武道館でのキッスやチープ・トリックの方が、ライブの音はくぐもって良くなかったと記憶しています。

(W.Ash1961)さん

 

<NO25>ザ・バンド

199X年かもう少し前だったか忘れましたが新宿厚生年金会館大ホールで見ました。
全盛期から早四半世紀を過ぎてたのにチケットを
なんとかゲットするほどの人気に驚きました。
一階の一番最後列、後ろは壁という席は
いつの頃かにわか作りで一列設けたんでしょう、
かなり窮屈でした。
メンバーが登場するとメンバーの名前を呼ぶ男の野太い声が会場にこだましました。黄色い歓声に慣れてる耳には
ちょっと恐かったです。
ドラムでVO.のヘルムさんの隣にはサポートドラムが
付いてました。それにしてもヘルムさんて首を横に向けて
歌いながらドラムを叩くって苦しそうな姿勢だなー、とか
いやに痩せたなー、体は大丈夫だろうかとか、気になって
そんなことばかり考えながら見てました。
観客のお目当て『ウエイト』ではステージと観客が一体に
なる感動の時間でした。
手慣れた演奏になかなか手ごたえを感じたライブでした。

(みけいじ)さん

 

<NO26>ビリー・ジョエル

1979年だったと思います。初来日したビリーが日本武道館でライブをやりました。
会社の帰りでは開演時間に間に合わないから会社を休んじゃいました。なにしろ女子に真夜中まで残業をやらせる旅行業界には労働堂基準法も及ばなかった時代でした。
前年に『ストレンジャー』と『素顔のままで』が大ヒットした上り竜の勢いのビリーのライブは超満員大盛況でした。運良く一階東の前のほうの席だったのでピアノに向かって歌ってるとビリーは私の目の前でした。
当時のアルバムからの曲ばかりだったからほとんど知ってる曲だったので曲的にも位置的にもすごく満足しました。

(みけいじ)さん

 

<NO27>スリー・ドッグ・ナイト

60年代から70年代にかけて立て続けにビルボードにヒット曲を送り込むと同時にアイドル的にも人気爆発だった彼らでした。30年後の昨今、彼らは時折コマーシャルのバックミュージックに確認できるだけですが、ファンとしてはこれだけでも幸せなものです。
全盛期は大学生でしたが、来日には疎く見れませんでた。なんと1990年代に入り93年ごろだったか、唐突な来日公演がありました。ちけぴで知った私は絶対行こうと発売日の発売時間にチケを買ったおかけで中野サンプラザホールの一番前で見れました。
お歌の3人のうちチャック・ネグロンが脱退してるため
ツインボーカルでの演奏でした。
ツインボーカルの様子はビーチ・ボーイズのワイキキビーチでの25年記念ビデオで既に見てたので違和感は全くありませんでした。

次から次にヒット曲のオンパレードは、単に懐メロというより、今も旬なアメリカンスピリットを感じさせてくれる力強い歌声と演奏でした。感動するより感じてくれって、言われてるようでした。
ママトールドミー、イーライズカミングの二人の掛け合いの迫力は一人少ないThree Dog Nightだということすっかり忘れさせるものでした。
コリーとダニーで交代にソロを取りながら、ワン、オールドファッションドラブソング、ジョイツーザワールド、とまさにファンが望んでいるもの全てを披露してくれました。ファミリーオブマン、やピースオブエイプリル、も聞けてよかったなぁ。
終了後、楽屋出口で出待ちしてるファンが10人くらいいたので私も待ってみました。
なんとコリーとダニーが出てきてこちらに近付いてきました。熱狂的ファンはnext visitはいつ?とか質問してました。開演前に買ったライブLDをカバンから急いで出してサインしてもらっちゃいました(^^)
飾らないナイスガイな二人でした。

(みけいじ)さん

 

<NO28>テンプテイションズ

My GIRL マイ グァール、いい曲はいつ聴いてもいいものだ。テンプスが来るというので、生のソウルが聞ける。
期待は公演日が近付くにつれて高まるのでした。

199X年中野サンプラザに行きました。
生で見るテンプスはくたびれかけた白いタキシード姿で登場しました。バンマスがベース弾きの黒人のおばちゃんでした。なんとなくパンチが足りなく感じてはいけないと
自分に言い聞かせながらライブは進んでいきました。
時間が中ほどになると、あれっ?この曲2回目じゃん?と
気付きました。メンバーさんは自分でノラなきゃ誰がノルってくらいに気合が入りまくり、ステージから下り、
通路を歩き始めました。恐る恐る手を出す観客に握手攻め、かなりの押し売り(爆)。
彼らの思う壺なのか同じ曲を、もしかしたら3回きいたのもあるかもしれないくらいお気楽なライブでした。
それでも年齢層の高い観客はやさしかったです。
ホールはアナクロ漂うダンスホールとなり幕を下ろしました。
テンプスって、もっと曲あったはずだと、CDを買いました。帰宅後はLDで正統テンプスを観賞しました。
なにしろ今活躍中のテンプスは一番古い人でも三代目くらいらしいと後から知りました。

(みけいじ)さん

 

<NO29>シカゴ

中学生の頃、ビーチ・ボーイズ、ビートルズ、デーブクラーク5等等洋楽に夢中になり、雑誌、レコード、ラジオをチェックするもののライブ行くということは夢にも考えなかった。
シカゴを見に日本武道館に行ったのが外タレのライブ初体験になる。これも自分の意志というより妹がシカゴの大ファンで大学生だった私が高校生の保護者がわりで行ったのだ。当時、シカゴは急激に人気が出て何回か続けて来日したはずだ。そうそう、当時とはたぶん1970年代はじめころだったろう。何回行ったかもすっかり忘れてしまったが、はっきり覚えているのは、アリーナの中央4列目くらいの席の時、ピーター・セテラがこちらに何回も手をふったり合図を送ってきたことだ。実は、いつのまにか、妹は友人とシカゴの追っかけをしてたのだ。だから、プレスインタビューにももぐりこみ、ホテルのハウスフォンからピーターに電話したり、顔見知りになって、日武の席もいいところを手に入れていた。
ピーターはとてもいい人で、妹が毛糸で靴下を編んでファンレターとともに送ったとき、小さくて履けなかったけど、壁に飾ったよ、と返事をくれたことがあった。
ライブの思い出というより、シカゴとともに過ぎた青春を今でもシカゴの曲を聴くたび懐かしく思い出す。
Can this feeling that we have together suddenly exists between?.....

(みけいじ)さん

<NO30>ビーチボーイズ

ビーチボーイズとの出会いが音からかルックスからか全く覚えてないが、とにかく中学生時代は彼らに熱狂していた。彼らが出てるから買った音楽雑誌(TEEN BEAT )に日本公演の様子が出ていた。もう少し早くファンになっていれば行けたかもしれないと、かなりがっかりした。(絶対に行かせてくれるわけないけど)演奏シーンだけでなく、鬘をつけて殿様の衣装を着たメンバーのお茶目な写真も載ってた。わたしの目はいつもアル・ジャーディンに釘付けだった。
その後、ビーチボーイズが来日公演をしたのは1979年の夏、湘南海岸だったと思う。そのときも過ぎてから知ったタイミングの悪さだった。
いつかは生ビーチボーイズが見られるだろうと漠然と思っていた。
1991年、日本武道館で結成30年コンサートが行われると知り、嬉しくて、家族に30年待てば望みは叶うものだと、大げさに人生の極意を語ったりした。
いよいよ、当日、席は一階南、つまり真正面だった。顔は肉眼では見えなかった。メンバー、サポートメンバーそれに綺麗どころのダンサーが4,5人。バックの景色も色が変わるようになってて、まるでハワイのホテルのガーデンショーを見てるようだった。
アル・ジャーディンは額の面積が広くなったぶん髭で補うようになったけど、ヘルプミーロンダもクロコダイルロックも健在で可愛かったよ(^^)
後日、ライブの一部と滞在中のインタビューの特別番組がNHKで放送された。アルの歌がカットされたのが残念だった。


(みけいじ)さん

 

<NO31>ダリル・ホール

今年2002年に久しぶりに二人で来日公演を果たしたホール&オーツですが、このところダリルの単独ライブが続いてました。生で聞きたいから妥協して前々回のダリルを199X年NHKホールで見ました。
ライブ前にCDで予習をする人もあると思いますが、わたしは全く予習をしません。初聴きの曲だろうとタイトルを知らなくてもかまわないのです。ライブのノリがよければ満足なのです。だから一つでも興味を引くものがあれば一人でライブにも行ってしまいます。
と言うわけで、ダリルのソウルフルな声を聞くだけのために行ったNHKホールでは何を演奏してるか皆目わかりませんでした。あまりにも知らない曲ばかりで回りの熱狂するファンについていけませんでした。でも、まあまあ楽しめました。NHKホールは視界も音響も申し分なかったし、ラストではそれまで蚊帳の外だったことも忘れ一緒に盛り上がれましたから。Every time you go away, take a piece of me with you....なんちゃって(爆)。


(みけいじ)さん

<NO32>ロッド・スチュアートその1、その2

70年代最後に来たブームはロッドでした。いつのまにか、シカゴを卒業した妹はライブチケットを買ってました。1979年春に初めて単独来日の日本武道館に行きました。チケットのデザインが金髪美女が横たわってる姿を切り抜いたもので、これだけでスターなんだなと認識しました。何回かお色直しをするロッドのステージはほとんど記憶にありません(汗)が盛り上がったはずです。

ロッド、その2は次に来日した時です。日本武道館に2日続けて行きました。この時のチケットもかっこよくて黒地に赤の蝶ネクタイを切り抜いたものでした。
一日目はアリーナ最前真ん中でした。満員で盛り上がった勢いでステージを下りたロッドが目の前を歩いていきました。顔がでかい(爆)というのが、強烈な印象です。思ったほど背は高くないんですが、ヒップの位置が凡人とはちがい、足が細くて長い、その割りに尻がでかい(ひきしまってますよ)。歌は全く覚えてないんですが、ロッドの姿は20年以上たった今でも目に焼きついてます。
翌日は2階席から見たんですが、入りが悪く、ロッド様のご機嫌をそこねたのかあっという間に終了しました。わがままなところがスターだなぁ、と感心しました。

その後、十年以上もロックと無縁のお母さんと一緒のびっくりまんなセーラームーン生活を送ることになりました。


(みけいじ)さん

 

<NO32−2>ロッド・スチュアート’79

 高校生活も終わりに近づいた時だと記憶してるんですが79年春だとすると卒業のころか、とにかく高校の同級生と行きましたロッドの”ドゥ・ヤ・シンク・アイム・セクシー”ライブ。新バンドを率いてとのことで、何と3人ギター。実際は新バンドとゆうわけじゃなかったかな。その3人ギターの誰一人として名前覚えておりません[(^o^)]。何と行っても記憶鮮烈だったのはドラムのカーマイン・アピスさん。レインボウのコージーさんのライブ見たときを思い出すその豪腕ドタバタ力ドラム。ドラム・ソロはまさに肉食ってなきゃ出来ないプレイ。後はベースのフィル・チェンさん。おー中国人だあ(爆)。全体的にはちょっと大所帯すぎてロック・バンドって感覚が希薄だったような。当時ブラジルのジョルジ・ベンに夢中だった私は、「ドゥ・ヤ・シンク・アイム・セクシー」やった時、これは「タジ・マハール」の盗作なんだぜーって友達に話してけっこう腹立てたような記憶が。若くて恥ずかしいよう。
 メロウ・ロッドがかなり好きなんですけどその方面の曲の記憶が無いのは、武道館だからか、バンドが合って無かったのか、定かではありませんが残念じゃ。


(マスター)

<NO33>レッド・ツェッペリン

 忘れれもしない1971年10月武道館ホールにロック界の王者初来日でした。
ZEPはファーストLPから大好きで、初恋の人と初めてデイトするようなものですね。もう大興奮(笑)
ステージに登場した4人、、、、もうかっこよくて後光が差していました(笑)ロバート・プラントの金髪の髪が長くてまるでライオンの咆哮のようなカンジでした。
ジミ−・ペイジも痩せていてカッコいい。とにかく絵になる2人です。ジョン・ボーナムが出てきてドラムの第一音叩いた音は、それまで日本で体験したことが無いくらい爆音でした、、、特にバスドラ。ペイジのマーシャルから出てきた音、凄まじくでかくて腰が抜けそうになるくらいでした。まさしくワールド・ヘビー級チャンピョンといえる。
ブラック・ドッグ(確か)からスタートし、途中アコースティック・セット、ボンゾのドラム・ソロをはさみ最後メドレーのR&R大会で大爆発の2時間30分くらいでした。
特に良かったのが、「幻惑されて」のペイジのヴァイオリン・プレイが劇的でした。クールなマイナー・ブルース「シンスアイビーンラビングユー」のジョンジーのオルガンも良かった。「4th」アルバムがまだ発売前で、「天国への階段」は初めて聞きましたが、ジミ−の12弦ギター、プラントの絶叫、非常にドラマティックで全身総毛だつほど感動しました。そしてアンコールでガンガンにノッてきた彼等は、耳もつんざく大爆音でパワフルにぶっ飛びました。天井が吹き飛ぶくらいに爆発しましたね。
これほどの興奮、大熱演はその後のどんなバンドでも味わえないものとなりました。本人たちも2度とあの音はでない(笑)
家に帰っても、朝まで耳が聞こえなくなりました(笑)

ペイジ&プラント

あれは僕も行きました。オープニングの「ブレーク・オン・スルー」は良かったです。2人とも今ほど、ヘロヘロじゃなかった(笑)ハーディ・ガ−ディにはしびれたなぁ〜。あれで雰囲気が一変しましたものね。PAもよく、あの音響を使えば71年ZEPもモット凄い音になったことでしょう!!
71年は会場の中ではペイジのギターがでかすぎて、ジョンジーのベース音が聞こえませんでした、上に抜けちゃっって(笑)バランスが悪かった。
あれでマーシャルのボリューム2だそうです。てっきりフル・テンかと思っていた(笑)

1972年レッド・ツェッペリン

前年に続き2年連続で来襲の飛行船、またもや武道館に爆弾を落とすか?、、、、大期待で行きました。
オープニング「R&R」からジミ−・ペイジ、ノリノリの凄いアクションでレスポール引き倒す(笑)チト、無理ノリか?
ウ〜ム、プラント・イマイチ声が出ていない。2度目のせいか、冷静に見れてしまう(笑)なぜか衝撃が無いのだよう。
ジョン・ポール・ジョーンズのメロトロンは印象深い。
ボンゾのドラムソロはあったかどうか、忘れてしまった。

この頃は今ほどPAが良くなかったから、座席によっても聞こえてくる音が違って聞こえます。言われているほど悪いライブじゃないけど、困るんだよね並みのステージじゃ(笑)
圧倒的でないと〜(笑)それでも並みのバンドよりは良かったですよ。


(サキツミベイビー)さん

 

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