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ままきん

マスターの音楽史
by マスター

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(1)目覚め編

 始まりはアイワのラジカセ(←当時流行り始めてました)を買ってもらった時。中学一年夏だったか。値段は9000円くらいの一番安いやつ。1973年の夏だったか。次の日日曜の朝、ニッポン放送、カメさんのポップス・ベスト10で洋楽に初めて遭遇。何せ言葉がわからんのでちんぷんかんぷん。でもカーペンターズはわかりました。メロディが(笑)。歌謡曲とは違うなあって。新しいラジオの魅力とあいまってたちまち夢中になりましたとさ。

(2)手探り編

 で、当時チャートインしてて想い出に残っているのは「シェリーに口づけ/ミッシェル・ポルナレフ」、「アンジー/ローリング・ストーンズ」、「想い出のフォトグラフ/リンゴ・スター」、「マインド・ゲームス/ジョン・レノン」、「ディンドン/ジョージ・ハリソン」、「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード/エルトン・ジョン」そしてカーペンターズです。おうソロ・ビートルズの何て幸福な時代。ビートルズがどんなものかどころか何語で歌ってるのかさえ(爆)何もわからぬまましばらく日本のチャートものを聴き続けました。まだチャートをメモったりはしてません。

−ちなみにそれまでは何に夢中になっていたかとゆうと。それは男の子ですから「プラモデル」。それも戦車中心。小遣いの全てをはたいて入手してました。数多く買いたいので値段の安い1/78ばかり。長谷川とかの。一個200円くらいで買えたと思う。日本のを買い尽くして英国のもの(これも以外と安かった)を手に入れるために横浜弘明寺のプラモ専門店に行ってました。店の人にとっては随分生意気なガキだったろうなあ。このへんは後のレコードの集め方の基礎とすでになっています。(←微妙に手に入りにくい物欲しがるとことか)。モデル・アートとかホビージャパンとか雑誌で情報を得てそりゃはまってました。とわゆうものの中学になるとかなり買い進めていた状態で少し新しい物を求めていました。でラジオにとゆうこと。−

 そして運命の番組ラジオ関東「全米トップ40」との出会い。それは確か冬の気配が強くなって来たころだっと思います。

ままきん(3)全米トップ40っていったい

1973年の暮れ、年間チャート発表の頃聴き出したと思います。まだ英語がちんぷんかんぷんでしたからほとんど曲名もアーティスト名もわかりません。今思い出して強烈に印象に残ってるのは「夜汽車よジョージアへ/グラディス・ナイト&ピップス」。何せあの歌い方ですから子供には毒が強すぎます(笑)。でも聴けば聴くほどはまる名曲でしたなあ。いまだに感動しますもん。
 聴き出して割と早い時期からチャートをメモることは始めていたと思うんですが、本格的にはまるのは年が明けて中学2年の1974年からなのです。
 クラス替えで出会ったのは、帰国子男のk君とその仲間、同じく全米トップ40を聴いていたo君。彼らのおかげで洋楽熱はぐーんとヒートアップしていきます。

ままきん(4)ハジレコ

 と、その前にハジレコ(初めて買ったレコード)のお話しをせねば。何せプラモと違って値が張る物ですからおいそれと買う訳にはいきません。記憶が定かでは無いのですが、74年の正月にお年玉でLPを買ったように思われます。それは、ジャジャーン「黄昏のレンガ路/エルトン・ジョン」。ハジレコがなんと2枚組み。3600円くらいだったかなあ。プラモだったら15個は買えるぜ。それからと言えばそればっかり昔ソノシートをかけていた子供用の電蓄で1日4回も5回も。次にLPを買えるのは74年の春の「アビーロード」までですから聴きまくりました。実に聴き応えのあるアルバムであんだけ聴いたにもかかわらず未だに飽きていないとゆう。冒頭の長いインストでびっくり、「キャンドル・イン・ザ・ウインド」でしっとり、「ベニー・アンド・ジェッツ」でエルトン・ソウルにひたり、「グレイシール」「スイート・ペインテッド・レディ」「グッバイ・イエロー」大好き。そして「サタデイ・ナイト」でぶんぶんベースで乗りに乗ってっと捨て曲一曲も無し。1枚目のアルバムで大当たりしたこともあってもう心はエルトンそして洋楽にべったりとなったのであります。

ままきん(5)ビートルズ80

 てな訳で中学2年になります。相変わらずラジオとグッバイ・イエローで洋楽に慣れて行ったわけですが、中学2年になり出会った北*君によって、ビートルズと遭遇いたします。と言っても彼の歌う歌によってですが(笑)。彼は休み時間になると窓から外に向かってビートルズを歌うのです。小学校の時からの知り合いだったのでいつしかその仲間に。歌詞などわからなかったので大枚(980円位だったか)はたいてシンコ−・ミュージックのビートルズ80とゆう楽譜集買って歌いました。彼は「オールディーズ」と「ラバー・ソウル」持ってたんでその中の曲を中心に。でもその他の曲はどうやって知ったんだろう、彼は、謎だ。なかなか音痴な人で知らない曲はメロディを把握するのが大変でした。その本がセロハン・テープでツギハギになるほど歌って、今でも空で歌える曲がけっこうあります。ただし合ってるかは定かではない。「ウエナイ・ワズ・やんがそーまっち・やんがざんとぅデーイ、アネバにーでっどえにばーでへるそーメニーウエイ」てな風に書き込んでいたものです。

ままきん(6)1974中二で成長停止

男子中二成長停止説(男の精神年齢は14歳で成長が完了するとゆー説)をかねがね唱えてる私ですが(人類江戸時代成長停止説とゆーのもある)、見事止まってしまいます。全米トップ40の聴き取りにもだいぶ慣れてチャートをノートに付けるようになりました。と言っても貧弱な英語力。バリー・マニロウをばにー・まにろうなどと書いていたのは言うまでもありません。今見てもこの年のチャートは凄いなあ(ヘヴィさんのページのおかげで再体験。ありがとー。私のノートは見つからん。しくしく)。想い出が書ききれんほどじゃ。ブルー・スエードの「ウガチャカ」はびっくりしたなあ。テリー・ジャックス「シーズン・イン・ザ・サン」好きで好きで。まあこの辺は書いても書ききれんので「ロック&ポップ」の方で全部書きます。まだこの頃はソウルは一部を除いてチンプンかんぷんだったような気がする。凄いの入ってるのに記憶が定かではないもんね。とにかくカセットテープがまだ高かったせいもあり、録音もままならず、一瞬の聴き取りに命を掛けていたそんな時期でありました。下位の曲なんてひどい時は40秒くらいで終わってたもんなあ。

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