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執事音楽雑談へ

ちゃ(ら)んぽん音楽履歴
by deacon_blue

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=1=NHKから始まった歌謡曲リスナー人生揺籃期(^_^;)

☆1961年に生まれたせいか、TV放送の恩恵はかなり早い時期からありました。とはいえ物持ちの良かった我が家にカラーテレビが入ったのは1970年代に入った後でした。当時、地方都市の殆どはまずNHKありきで、我が家でもNHKの番組を中心に見ていました。小学生の頃は、TVを見る暇があれば外で(当時、社宅住まいだったので同年代の子供達の集団でやる野球が一番の娯楽でした)遊んでいるのが好きでした。

☆それでも子供心にインパクトの強い曲は何曲もありました。「恋の季節」「ブルーライト・ヨコハマ」等を筆頭に1960年代後半の代表的なヒット曲は、それなりに記憶の中に刷り込まれています。

☆この時代、洋楽を聞く環境にあったかどうかは家族(なかんずく父親)の嗜好によるところも少なくないと思います。現在40〜50代辺りまでのミュージシャンについても、そういう事はいえるように思います。家ではクラシックが流れていましたが、その頃から既に反抗期だった(爆笑)せいか、未だにクラシック音楽を好んで聴く事は殆どありません(^_^;)。。。というわけで、ショウビズの世界は、歌謡曲→GS、フォーク→アイドルポップスと自分好みの展開を遂げ、70年代初めに歌謡曲のヒットチャート番組を聞くようになり、そのついでに(当時は地方のラジオ局でもまだ洋楽の力は強く)洋楽のヒットチャートも聞き始めるようになりました。これが僕の洋楽事始め、ということになります。

=2= チャート食い尽し時代

☆ポピュラー音楽に親しむために自分に必要だった物は、ラジオでした。ラジオが「本質的に楽しいもの」であると気付いたのが、まさに思春期でした。我ながら幸運だったのか、不運だったのか未だに分りません(苦笑)。ラジオやカセット・テープレコーダーを入手するためには「英語の勉強のために必要だ」という口実が、当時は必要だったのですが(爆)、実際洋楽を聴いたおかげで、いいかげんではあるけど、何となく英語が分かったような気にはなれました(初級英語の時期には楽しかった)。

☆勿論、英語の勉強とは全く関係の無い「歌謡曲のヒットチャート番組」や「DJ番組」等を聞き耽る生活が始まったのですが、当時、福岡では幸運にもラジオ局に優秀な人がたくさんいました。(一例を挙げるとKBC九州朝日放送の岸川ディレクター。彼の引退時に山下達郎、浜田省吾、スターダスト・レビュー等錚々たるメンバーで記念ライブを行ったのは有名な話です)これらの人達は、ジャンルに拘る事無く音楽を紹介していきました。だから当時は歌謡曲のチャート番組の前後にポピュラーのチャート番組があったし、電話リクエスト(電リク)も洋楽/邦楽が混在していたり、或いは時間帯別に続けて放送したりしていました。

☆今のチャート番組にも、そういうスタイルのものはたくさんあると思いますが、アイドル全盛期にはポピュラーチャートは殆ど無くなってしまってましたから(逆に「全米TOP40」のようなチャートや「クロスオーバー・イレブン」みたいなフォーマットは多かったですが)、70年代の方が、そういう意味では洋楽に親しみやすかったです。

☆そういえば最近TOYOTAヴィッツのCMでジリオラ・チンクエッティの曲がかかっていますが、70年代半ばまではヨーロッパのポップスも結構入っていました。ミッシェル・ポルナレフを筆頭とするフレンチ・ポップスの新しいムーブメントもあったし、ジリオラにも関係のあるサン・レモ音楽祭。米国のチャートでもショッキング・ブルーの「ヴィーナス」等はそうですね。いろいろ聴こうと思えばチャンスは多かった。今はチャンネルが多すぎて(ワールド・ポップス)かえって絞りにくくなっている印象があります。

=3=アイドルとRadio Days

☆僕の中の音楽史は殆どの部分が1974〜88の足かけ15年に集中しており、その15年の記憶が錯綜しているので体系だって書くことが出来ず、ちゃらんぽらんな内容になってしまいます_m(・・)m_

☆1974年頃は、どっぷりと音楽に浸かっていました。中学に入った最初の一年はクラブ活動などをしていましたが、辞めてしまい(←オイオイ^_^;)塾に行き始めた(変な話ですが、塾に通ったのはこの時だけでした)ので、必然的に(?)学習の友ならぬ「ながら勉強の友」であるRadio_Daysが始まりました。当時は、積極的に全米チャートを聴いていたわけでなく、ご多分に漏れず歌謡曲やフォーク(まだ「ニュー・ミュージック」は、中村とうよう氏の「造語」に過ぎなかった)を、音の良し悪しに拘わらずAMラジオから学習用カセットテープにこっそり録音したのが、大事な音源でした。

☆ステレオもまだ、昔の一体型のもので(16rpm!とか、78rpmなんて設定がありました)レコードを聴くという感じではなかったです。音楽生活の中心はラジオのヒットチャート番組であり、テレビの歌謡番組(「ベスト30歌謡曲」「ゴールデン歌謡情報」)などがそれを補完していました。「ステージ101」や「ヤング・ミュージック・ショー」までは、気が回らなかったです(爆笑)。これで後年、ずいぶん損をしました。親に気兼ねなく歌謡番組やアイドルにうつつを抜かすには、優等生過ぎたのでしょう。。。

☆僕の中学時代は、日本の芸能界が今日に続くスタイルを確立した時期です。その時代にデビューしたアイドル歌手の殆どが、歌手としての活動を辞めていますが(今も現役で良いステージをしているのは、75年デビューの岩崎宏美さん位になってしまいました)、ショウビズの一般的なフォーマット(アイドルデビュー → アイドル歌手 → 役者・バラエティ・タレント)を大衆化させたのが、この時代だと思います。このビジネスモデルが強力かつ効果的であるが故に、その単純再生産が、数多くの才能を「消費財」に貶め(現在も無反省にそれを続けている)事について、個人的には怒りを覚えていますが、それほどこの国のエンターテインメントの発展は急激だったのかもしれません。

=3.1=アイドルとRadio Days(の続き)

☆1970年代半ばのラジオの番組(といってもナイターのオフシーズンだけの放送なわけですが)は、その当時少しずつアイドル系の番組(自主制作番組の多い福岡では、東京のようにネットされず、お正月等に気まぐれ的な放送があるだけ、といった感じの変てこりんな編成が殆どでした)などが始まっていましたが、人気があったのはやはり地元製作の深夜放送でした。まだパーソナリティという言葉も一般的でなかった時代でしたが、DJは自分の選曲センスとポピュラーヒットとのバランスをそれなりに意識していたのかもしれません。その当時聴いた曲で、後から全米チャートの記録を見ても、けっこうなヒット曲だったものは少なくないですので。。。

☆一方、ビートルズやカーペンターズのように当時最もファンの多かったミュージシャンについては、彼ら専用番組がありました(というか、ナイター・オフシーズンになると必ず出てきた)「○○ストーリー」みたいな履歴紹介(この掲示板みたい^_^;)なものか、毎週何かの特集とリクエストを組み合わせたものか、どちらかのパターンがありました。たぶん、こういうフォーマットにすれば固定ファンがつくのである程度の聴取率が期待出来るから、スポンサーがつきやすいという事情もあったのでしょう。確かに、当時は今とは違って「音楽ファン」というひとつの大きな括りがありました。その中が洋楽ファンだったりロックファンだったり、ビートルズのファンだったりするわけですが、そんな細かい区別はまるで無かった。シンプルな時代でした(苦笑)。