私たちは、四方を海で囲まれ、波を子守の歌と聞く国民でありながら、あまり海のことをよくは知らない。
むろん、生活の場としての海とのつきあいはあるものの、海の生きものを眺めるためだけに海に出るという習慣はなかったのである。
これは日本に限らず、人類の海とのつきあいがそうであった。 だから日本人がクジラを見るために海に出るようになって、つまりホエールワッチングを始めて未だ十年に満たないのである。
目の前に広がるあの広大な塩水の溜まり≠フ表面から数千bの底地まで、間違いなく存在する無数の生命を感じるために、海に出る。これがホエールワッチングである。
昼頃、座間味に到着すると、まず波止場の食堂でソウキそばと旧交を温めた。 腹ごしらえが出来たところで宮平寿夫さんの船。 阿嘉島との海峡を抜け、左に迂りしばし海面に目を凝らすも、クジラの姿はおろか、ブロー(潮吹き)も見られない。 「ハイドロホン入れてみませんか」 「入れてみますか」 寿夫さんは揺れる船の上で船倉に顔を突っ込み、真新しいハイドロホンを取り出して海中にドッボーン。
ハイドロホンは、水中にいるクジラの声を聴く水中マイクで、バードウォッチャーの双眼鏡のようなものである。
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手前は望月昭伸カメラマン
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座間味で見られるザトウクジラは、素敵な歌を謡うことが大好きなクジラだから、その歌声を聴かないのは、マドンナのコンサートに耳栓をして行くのに等しい ザトウクジラが歌うことを世界で最初に発見したロジャーペイン博士によると、地球上の生物の内で作曲するのは、ザトウクジラと人類だけだそうである韻を踏み、息つくところも決まっていて、途中で間違えると最初からやり直すのだ、と博士から聞いたことがある。
それほど、歌にこだわっているクジラなのだから、この愛の歌、カンツオーネを一度は聞いてみたい、誰もがそう思わずにはいられない。
海中に投げ込まれたハイドロホンは、暗闇の海中で密かに活きるあらゆる生きものの、僅かな動きはおろか、その呼吸までをも聞き逃すまいとして、振動板が微かな動きを電気信号に変換して船上のラジカセに送りつけている。
うぉー、んーん、うおおーーーん=@「いるねぇ」 「いるいる」 姿こそ見えねどこの海のどこかで彼女のために愛の歌を歌っている男クジラがいるのだった。 ということは、その歌を目を細めて密かに聴いている豊満な女性クジラがいる可能性もある「ちょっと外れているけど、彼の小節がいいのよねぇ」なーんて呟いている彼女がいるかも知れないのである クジラを見る側、つまり、ホエールウォッチャーにとっては、その姿さえ見られればいいわけで、粋な歌謡いだろうが、豊満な彼女だろがどっちだって構わない。 「結構遠いねぇ寿夫さんが言った。歌は聞こえるものの音量はそう高くはない。
「どこだろう?」 「渡名喜曽根だね」 曽根というのは、海底の暗礁のような言わば盛り上がりで、渡名喜曽根は、平らに盛り上がったよくザトウクジラが歌を唄う舞台である 船は、そのシンガーの姿を見るべく、一時間ほど離れた渡名喜曽根に向かった。
こう言う時、つまり、フィールドに何かを見に行こうとしている時、懸命に「見られる見られると念じたり、本当に見たいものがある時は、つき≠蓄えて出かけたりするものである。
言うならば「見られるぞ、見られるぞ」の、マインドコントロールだが、それでもだいたいが「棒ほど願って針ほど叶う」ものでしかない。だから針の数億倍もあるクジラを見ようと願うとオーストラリア大陸ほどでっかく願わなくてはならないので、エネルギーがいる。 このクジラを探している一見無駄な一時がたまらなくいい。年末ジャンボ宝くじの当選発表などよりはるかに確率が高いのだから、すくそこに喜びがありそうな予感が素晴らしいのである。
船は、シャボシャボと波を蹴立てながら渡名喜曽根に向かっている。横から来るうねりに船の片側は飛沫がかかり、ズボンの裾を濡らすが、クジラは年中濡れてるのだ、と思うと同じ塩水を共有していることが妙に嬉しい。 と、彼方にいきなり飛び魚の集団が15.6匹飛び上がった。尻尾から滴が白い一筋の線となって連なり、それが背景の青い海にコントラストとなって、夜空に開く花火のように広がって再びゆーっくり海中に帰っていった。
こんな飛び魚の姿は初めてだ。いつものように水平に飛ばずに、放物線を描いて水中に没した。私の計測で最長は18秒の飛行記録がある飛び魚もいたが、今、目の前で見たのは、時間も短い。それに飛び魚は空中に出る寸前まで海中で横に振っていた尻尾を、そのまま空中でも振り続けるので水滴は振り払われて伴わないのである。
水滴で白く美しい放物線を描きながら飛ぶなんて、なんという美意識を持った飛び魚だろう。 「今の見た?」 「トゥビイチャだろ」 「え?」 「トビイカ」 横からカメラマンの望月昭伸さんが言った。 イカであった。 イカが飛ぶことは知っていたが、日本で見られるとは思いも寄らなかったから嬉しかった。 トビイカという種は、南方のイカで、沖縄は分布域になっている。 「このシーズンなら見られる?」「ああ、2.3.4月にはいつも飛んでるよ」なんと嬉しいことに、座間味ではクジラにこんな豪華なおまけが付いているのである。
ややあってまた飛んだ。 私はこのトゥビイャの飛翔にすっかり魅了されてしまっていた。こんな状況を人はイカれたと言うのだが、一瞬クジラのことを失念するほどであった。この集中力の一瞬の乱れが後に災いするのだ。
船はやがて渡名喜曽根に到着した。曽根、つまり舞台の真上からハイドロホンを降ろしてみると、「うぉー、うううおー」と、かぶり付きで和田あき子を聞いているようなボリュームがあった。ライブである。すぐ足の下に巨体がいる実感に大脳前頭葉がゾクゾクする。 あとは歌が終わるのを待ってさえいれば、彼が呼吸のために水面に現れるのを見ることが出来る。
長ーい時間が経った。 しかし、この日はよほどいい気分だかったのか、クジラはいつまでも歌い続け、我々はいつまでも待ち続けるのであった。つまり、私たちは、日没近くなるまで待ってクジラに振られたのだ。オーストラリア大陸ほど願ったからといって、クジラが見られないことだってある。あのトビイチャへの一瞬の浮気がいけなかったのだ。嗚呼、デスパレート! こんな時は、花を買い来て妻、いや酒を買い来て鯨人(とも)と親しむ、しかない。
世界中のクジラを見る場所、つまりホエールワッチングポイントでは、必ず先駆けとなった人が存在する。言うならばクジラの魔力に憑かれ、離れられなくなったクジラの信奉者がいるのである。そしてその人たちがホエールワッチングを始め、育てて来たのであった。 座間味にもそんな人たちがいる。 まず先述の宮平寿夫さんと宮村幸文さんで、宮村さんがマリンバスの運転をしていた1987年、2−3回クジラを見たことで、ふたりはともに座間味にクジラが帰ってきたことを知り、その興奮がダイビングショップの経営へと繋がって現在に至っている。
もうひとり座間味村会の事務局長大城章さんは、行政の立場で当初からホエールウォッチングをバックアップしてきた。それも本人がクジラの魅力に嵌まったからだといってもいいだろう。89年宮村さんと共に小笠原を見に行ったり、昨年は座間味で国際ホエールウォッチングフェスタを開催したりと忙しい毎日を送っている。役場にいない時は、船でクジラを見に行っているんだと、日焼けした顔をほころばせる。
かくして1990年、ホエールウォッチング協会が発足した。 この三羽鴉の他にもう一人、高月のおじさん≠フ愛称で親しまれている民宿経営の宮平秀幸さんは、1月から5月まで山の見張り場に陣取って、毎日ずっと双眼鏡でクジラを探し続けている。海洋生物調査センターの依頼による調査だが、この高月のおじさん≠フ情報がリアルタイムでホエールウォッチングボートに伝わって効率を高めているのである。
「もうちょっと右、船の後ろにいるぞ」とか「子連れのクジラだそれ以上近づくな」などと細かい指図を出しているのである。 以上が座間味村の代表的な鯨人であり、この「3人+1人」抜きで、座間味のクジラを語ることは出来ないのである。 座間味が他所のホエールウォッチングポイントと異なって特筆すべきは、「3+1」の彼らがホエールワッチングを事業として捉えるよりも国際機関への調査協力や、保護にウエイトを置いて始められたことである。
一頭一頭尻尾の模様が異なるザトウクジラの写真を撮り、歌を録音して、WWFを通じて研究者に送った。そのことでハワイのクジラと座間味のクジラが行き来していることが判明するなど、生態研究に多くの貢献をしてきたのである。 座間味の場合、現在のようなホエールワッチング事業の経済効果は、これに付随してきた結果であり、このフィロソフィは、現在でも変わっていない。
それを象徴するのが、ダイビング客にクジラと共に泳ぐことを禁止しているばかりでなく、マスメディアにまでクジラの水中撮影を禁止していることである。ダイビングの島だから、そのリスクは決して少なくないだろうが、クジラへのダメージ回避を優先しているのである。これは、現在世界規模で説かれているの「自然にダメージを与えない」という思想を先取りして来たことに他ならない。
夜、民宿「浜」に鯨人が集まった。 鯨人が集まると、終始クジラの話で盛り上がるのが常である。過去に見たクジラの行動とか、どんな客がいたとか、ホエールワッチングのあり方など、話は尽きることがない。
「ねぇハワイのラハイナのように、土産屋が軒を連ねるようになると島の経済もさらによくなるんじゃない?」と、ホエールワッチャーがクジラを見た後、喜びで何か記念品が欲しくなる話や、ホエールワッチングをベースに島の人が様々な形で参画して利益を享受している例を話すと、寿夫さんの兄、民宿「浜」の宮平さんは、言下に「その必要はありません」と否定する。みんなもうんうんと頷く。 「行政の立場では、そういう支援をするべきじゃない?」と大城章さんに水を向けると「この島は恵まれてるから」とこれまた否定。またみんなも頷いた。
日本中が、村おこし、島おこしで血眼になっている最中なのだから、私は、このセリフに耳を疑った。
「岸壁を降りると土産屋が並び、世界中のクジラグッズが見られるのもいいんじゃない?」と今度は宿泊客に矛先を変えたら、客はウインブルドンテニスの観客のように揃って首を左右に振って笑った。ノンノンノンである。 実は、各地で村おこし、町おこしと意気込んだ結果、客が「昔はよかった」という恐怖のセリフを吐いて去っていった話をたくさん知っている。昨年も外国の研究者から、ホエールワッチング客を取り過ぎて、膨れ上がった町がゴーストタウンになっている話を聞いたばかりでもある。
もともと自然が人間にもたらす利益は、そうダイナミックなものではない。しかし、人間や周囲の生きものが確実に生きていけるだけのものは供給してくれる。それが自然の恵みである。
座間味を訪れるザトウクジラを一頭捕ると数千万円、全部捕ったら数億の金にはなる。が、それで全て終わり。先が無い。しかし、彼らが普通に生き、毎年島を訪れるだけで、生活できる収入は得られるのである。なにより次の世代にそれだけの財産を渡すことが出来ることが素晴らしい。 元来、ウチナンチュは、そういう生き方をして来たのだ。
この島では、ウミガメを食べると鮫に襲われると言われてきたと高月のおじさん≠ゥら聞いた。八重山でもオオコウモリの百頭に一頭毒のある奴がいるという話を石垣金星さんから聞いたことがある。このような話で乱獲を戒めてきたのだ。その考え方が、本島からRACでわずか10分そこそこの座間味に今尚豊かな海が残っている所以なのだろう。
鯨人たちのクジラにまつわる話は、さらに酒をともなって続く。
クジラを見ると、誰もが嬌声を発するものである。普段冷静な年輩者でも妙なうなり声を発したりするものである。中でも女性の声は凄い。まるでキムタクのファンである。やがて静かになると、ツーッと頬を伝わるものがある。私は各地で何度も目撃した。キムタクを見て同じように涙する者もいるかも知れない。しかし、キムタクとクジラの決定的な相違は、クジラを見ると人生観を変えてしまうほどの衝撃を受ける者がいることである。 もしキムタクを見て人生観を変えるような娘だと私はガッカリする。それが自分の娘なら自殺したくなるに違いない。 これがクジラである。 「そうですよ」宮村さんが話を繋ぐ。「うちのバイトの子なんか、しょっちゅうクジラを見ているのに、毎回泣くんだから、お前プロなんだから泣くなって言うんだけどねぇー」 絶え間ない波の音を遠くに、女性はクジラを見てなぜ涙するかという遠大なテーマについていつまでも話は尽きない。 夜は深々と更けて行くのであった。
翌日、宮村さんの船に乗る。 昨日のことがあるので、今日はトウビイチャが出ても目をつむって決して見ないと心に誓い、再び棒ほど、いやオーストラリア大陸ほど願って船に乗ったのであった。 船は、高月のおじさん≠ェ山の見張り場から誘導してくれる指示に従って進む。ややあって、船の近くで千人のシンクロナイズドスイマーが一斉に息を吐いたかと思われるようなブオーッという巨大な音がすると、突然海面に黒く光るザトウクジラの上顎が現れた。
上顎には感覚器官だといわれているコブコブがピンポン玉のように並んでテカテカ光っている。ザトウクジラが、その大きな顔全体を現したのである。 地球最大のデカイ面である。 ただ声もなく仰天していると、そのデカイ面の盛り上がった一カ所に、突然サッカーボールが入るかと思われる巨大な穴が開いた。と思う間もなく、再びブオーッという音と共にブローしたのたのだからたまらない。 いやその凄まじさときたら朝霧のような飛沫が船全体を覆ってしまうのであった。
船上の誰もが、霧のような飛沫を全身に被ったのだが、その嬉しそうな顔、顔、顔。考えてみれば、今クジラの鼻の穴から出たばかりの鼻水混じりの飛沫を被って喜んでいるのだから世話ぁない。 でも嬉しいのだ。出来ることならこのまま着ているものを洗濯せずコレクションにしたい。生涯風呂に入らずにクジラの体液を共有したいくらいである。
「わぁー久しぶりにブローを被ったぁ」と後ろでアルバイとのお嬢さんが嬉しそうに弾んだ声で叫んだ。ブローを被るとは、手の届くような近くでクジラを見たという、最大級の喜び用語である。
振り返ると、ブローの飛沫で光る彼女の顔は、眼にも大粒のブローの粒が光っているのであった。
この頃、座間味を訪れる女性は、みんな座間味に泣きに来るのである。
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