日本の古式捕鯨(網取り式捕鯨)

日本の古式捕鯨は、あみとり式捕鯨とも云われていて、
見晴らしのいい山に、「山見(やまみ)」という見張り場所を設け、
そこからクジラを見張ります。クジラを見付けると狼煙(のろし)や、旗で
クジラの種類や方角を報らせます。
知らせを受けると勢子船(せこぶね)、網船、持双船が漕ぎ出され、
網船は、クジラの行く先に網を降ろし、勢子船でその網にクジラを
追い込みます。
網に絡まったクジラに銛を投げ、弱ったところに、「羽指(はざし)」と
呼ばれる職種の男が口に小刀をくわえて海に飛び込み、刺さった銛を
手がかりにクジラによじ登り、両の鼻の穴に切り込みを入れて、ロープを
通すのです、そのロープを二艘の持双船に渡して、クジラを挟み込み、
陸まで運び解体するのです。
大洋で捕獲し、母船で解体したアメリカ式捕鯨と、時代を同じくするのですが
やり方は異なります。
この漁法は、和歌山県太地が発祥の地で、後に高知県室戸に伝わります。



鯨図巻 ザトウクジラとセミクジラ



               

山見からの合図です。海上で待機している船は、これを見て漕ぎ出します  
           コククジラ  ザトウクジラ  セミクジラ の旗       左上からコククジラ ザトウクジラ ナガスクジラ セミクジラ
                                                         下中マッコウクジラ 右がイワシクジラの標識




山見の合図で一斉に船を出します。
舳先の尖った長いのが勢子船で、木造手こぎ船では世界最速だといわれています。
後ろ半分の船は、網船で、名の通り網を乗せて海の中に張ります。
そこに勢子船がクジラを追い込むのです。






網に追い込まれたクジラは、のたうち回ります。


かわだ

土佐藩絵師河田小龍(欧米版メルビルとジョン万を参照)による古式捕鯨図(部分)
これは、金比羅さんに奉納する絵馬のための下絵。本画は金比羅宮にあります。
他にもデッサンがあって、それには勢子船に乗った河田小龍自身が描かれています。




クジラは、苦しみ、苦しみ、苦しんで、やがて溺死します。
その沈む寸前に「羽指」が背中に乗り移ります。
和歌山県太地の記録を見ると、C.W.ニコルが書いているような
暴れ回るクジラに乗るわけではなく、動かなくなったクジラに乗ったようです。
必ずしも勇猛果敢な命しらずの姿というより、
安全に捕鯨という事業をしている姿が浮かび上がります。


クジラに乗り移った「羽指」は両の鼻の穴に小刀を刺して穴をあけ
ロープを通します。
クジラは苦しみ、最後の力を振り絞ってもがきます。羽指は無論のこと、
文字通りあたり一面血の海となります。
その時、数百頭の牛が一斉に鳴くがごとくに吠え、おもわず耳をふさがずに
いられない。さながら修羅地獄である。たとえ仕事のためとはいえ、思わず
念仏を唱えた。と故老は書いています。




クジラを持双船の間に縛り付け岸まで曳いて行きます。
みんな誇らしげにたいまつを持ち、力強く漕いでいる様が描かれています。





岸では、解体です。クジラ一頭獲ると七浦潤うと云われてきました。
海ではクジラの家族七頭が忌中でしょうな。

このころから伝わる伝統芸能が現在も残っていて、観光資源として一役買っています。
中にはすっかりアレンジされて、見たくないってものもあります。
ことに太鼓は日本中どこにでもある、伝承とは無縁のニュードラムで、
うんざりしてしまいます。どうやら日本中が「御太鼓」現象のようです。
ここに掲載したものは、そんな軽薄なものと違い、心打たれる素晴らしいものです。
当時は、田植え唄や踊り、収穫祭と同じ労働の歌であり、踊りであったのです。

  
鯨舟の唄(土佐・室戸浮津)

高知県室戸の古式捕鯨は、浮津と津呂という所が組織して行われていました。
なかなか聞き取りにくい唄ですが、長岡友久さんも子供の頃から口ずさんできた
唄だそうで、よく聞いていると「判る」そうです。
板の間に、序列順に輪になって、酒を飲みながら歌うのが、いかにも土佐らしくていいです。
現在も、当時の雰囲気が色濃く残っている素晴らしいものです。



鯨突き唄(静岡県・戸田村)
静岡県戸田は捕鯨をしていたというワケではありません。
他所の捕鯨基地から来た舟が駿河湾で漁をしていたため、
彼らが歌っていたものが時代を経て変化しながら戸田に残っている
のだと云われています。
銛を投げる所作があったり、これもまた趣のある伝統芸能です。



通鯨唄(山口県・長門市)
長州の通鯨唄(かよいくじらうた)は、見るからに、聞くからに漁師の
労働唄であり、祝唄だという印象の強い伝統芸能です。
所作で手を叩かず、もみ手をするのは鯨に対する憐れみと感謝の気持ちからだと
云われているそうで、こういう日本人のメンタリティは、とても耳障りのいいものです。
だから、よく捕鯨のキャンペーンに使われるのですが、もみ手をしようが、
唾を吐こうが、一頭死ぬことには変わりありません。
日本人の美点と云ってもいい、このメンタリティは、国際社会の中で
一部商人のために「現在」鯨を捕っていいという、免罪符にはなり得ないでしょう。
まったく別のものなんですよね。


     

人形にクジラのヒゲか使われている人形浄瑠璃


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