GUEST BOOK
03.09.14


殺すこと(生命について) 050810
 
 庭作りは、自分の好きな木や花を園芸店で購入したり、山や野原から移植したり、知人にもらったりするのが普通です。
 そうして育てる自分にとって大切な植物をここではとりあえず「贔屓(ひいき)植物」としましょうか。
 で、それ以外の植物は全ていつも雑草と呼んで引き抜いている不要な植物ですね。ここではそれを「ムネオ植物」としておきましょう。(北海道では必要としている人もいるようだけど我が家では必要のないスズキ・ムネオから命名)名字は「イカシマ」。イカシマは、アイヌの人たちの言葉で、いらないもの、役に立たないものの意味です。つまり「イカシマ・ムネオ植物」です。
 というわけで、庭に現われた「ムネオ植物」は即座に抜くか除草剤で粛清してしまいます。
 植物に限りませんな、昆虫の「ムネオ」も害虫などと称して殺虫剤でしゅーーっ、しゅーっ。
 今度、僕は、その「ムネオ」達の名を覚えたいと思い立ち、覚えることにしました。覚える数が増え、その「生きざま」を知るにしたがって、今まで「ムネオ植物」だった生き物たちが「贔屓植物」に変わっていく己の心の変化に気が付いたのでありますよ。
 こんな体験は初めてで、いやー実に新鮮、「改心した」とか「真人間になった」とか、そんな感覚と言いませうか、ちょっぴり清々しい気分であります。
 密かに心の闇の中で不快なる物が愉快なるものに変化する、まさに変態の姿が見えたのでありますから、驚きです。はい。
 といっても決定的な「贔屓植物」」に変化したのかというと自信は無いですなぁ。 今でも引き抜いて殺しているし、ツバキのチャドクガの幼虫をしゅーっとやってます。
 講演で、よく生命の大切さ、などと聞いた風なことをしゃべっているくせにですよ。 そうです。言うまでもなく植物も昆虫もみな立派に生命をもつ生きものなのです。にもかかわらず、ね。そう、僕は偽善者なのです。
 しかし、我々はいつも、誰もがこの生命にプライオリティを持たせていますね。誰もが当然のように人の命とゴキブリの生命には差があると信じるものです。アウンサン・スーチーさんを救えーっと叫ぶ人の話は聞きますが、日本ゴキブリを救う会などという団体を聞いたことがありません。
 僕は、今までの人生で「虫も殺さぬ人」は、世界中にたった一人、藤原英司(野生のエルザを翻訳した自然保護運動家)さんを知るのみです。
 藤原さんは、本当に蚊に刺されてもそのままじっと見ている方です。「美しい」のは、その蚊を殺さない禁欲的な行動を自分だけのモノとして、人には決して勧めないところです。(勧められたら困りますが・・・)
 僕はというと、蚊に刺されると即座に殺してしまいます。殺した蚊は、多くの場合メダカに与えます(メダカはボウフラだけじゃなくて成虫も好きなのですよ)。
 時には僕の血をたっぷり吸ったままの蚊をメダカが食べるのだから、メダカが僕の血を食べたことになります。やがていつの日か、僕の血を求めてピラニアのように飛びついてくる日が来るかもしれません。たのしみです。
 脱線したらいけません。
 斯く斯く然々に、普通、人は、自分にとって不要な生きものは殺す、命を絶つ、こういう図式であります。如何なる環境保護論者でも、HIVウイルスや、インフルエンザウイルスは殺します。今まで種の多様性のためにHIVウイルスを守れと言った人を知りません。
 つまり、病原菌は最優位の撲滅リストに上がる生きものなのです。
 ははぁ、あなたは病原菌は生命だと思ったことはなかった?でしょう。
やや大きくなって寄生虫、体外ではノミ、シラミ、ダニ、ゴキブリ、ハエ、の類は大概優先的に殺される運命にあります。蚊は前述の藤原さんがいるのでここらあたりから個人差が出てきます。
大形の昆虫とか、植物になると、相当選択されてきますね。
不思議なことに日本での鳥類は、殺す対象から完全に外れているのは滑稽です。そう、カラスはあれほど不必要だと言われながら、殺す発想はありません。
 一方、魚類は全て自動的に殺す対象なのもこれまた不思議です。
 明らかに差別ですね。鳥も魚も同じように人間の食料になりうる生きものなのにです。
 どうしてこうなったかは、またいずれ、機会を見て書きましょう。
 さて哺乳類となると、国や地方によって文化が異なり、接し方が異なるので大きく選択肢が別れます。
 ちなみにあなたはチンパンジーを殺せますか?
彼らは、近年DNA塩基配列の比較によると人間と98.77%(サイエンス)が合致しているというので、分類学上人科(ひと科)に分類されました。だからNHKの番組では、チンパンジーをひとり、ふたり、と数えています。知ってました?
では、ニホンザルなら殺せますか?(DNA差異約50%)
 原猿類なら殺せますか?
 猫が殺せますか?
 犬が殺せますか?
 オオカミならどうですか?
 クジラはどうですか?
 コイはどうですか?
 スズメはどうですか?
 鶏はどうですか?
 これぐらいにしましょう。
 なんとなく、殺すことがどういうことか感じられてきませんか?
 ちなみに以上は、みんな人間が殺して食べている生きものです。
長くなりすぎましたねー。
 時に、庭やベランダを見ているだけでこんなことを感じるものです。

  コウモリ撮影大へん記    200308
 コウモリの撮影は大変なのです。
 なぜかっていうと、暗闇を飛んでいるのだから目標が見えないのです。
写真撮影で被写体が見えないことのデメリットを上げてみましょう。
1.ファインダーを覗く意味がない。
2.ピントが合わない(最近のカメラはオートフォーカスで、コントラスト差を見つけてピントを合わしているからコントラストのない暗闇ではピントが取れない)
 つまり、これだけでもうどうしょうもない状態なのです。
ピントも露出もマニュアルでやるしかありません。
 つまり、コウモリの撮影には昔のカメラが最適なのです。
 そこにきて、コウモリって奴は、飛び方が全く不規則でまるで蝶のように飛ぶから予測が付かなくてフィルム上に捉えることが難しい。とまるでお手上げなのです。
 では、どうやって撮影すればいいかというと、出来るだけ画角の広いレンズを使っておおまかに狙ってシャッターを切る。ただしこれの泣き所は、画角が広いと、スズメより小さいコウモリが10メートル先を飛ぶと、ほとんどフィルムの点でしかないから掲載写真でご覧の通り使い物にならない。
 それではというわけで、コウモリを大きく捉えるためには、望遠系のレンズが望ましいのだけれど、見えないコウモリを見当で追うには画角が狭くてフレームに入りにくいためほとんど写っていなかったなんてことになってしまいます。
 おまけに飛んでいる数はけっこう多いので、シューティングゲームのようにバシャバシャ、シャッターを切ると、すぐにフィルム交換になってしまうのも泣き所です。
そこで、枚数を稼ぐため倍の数が撮れるハーフカメラを用いることにしました。オリンパスペンFにニコンのレンズを付けて使うことにしたのでした。
枚数が倍になるから画角は半分ですが、フィルム面に写るコウモリの大きさはレンズ焦点なりですのでフルサイズカメラと同じです。

 
続・コウモリ撮影大変記2005 2005.08
 子供の頃の夏の夜、小石を空に投げるとコウモリが追ってきました。
 そこで物干し竿を振り回しているとたまにゴツンとコウモリがぶつかることもありましたね。
 今考えると、あのスピードとエコロケーションで少年の振り回す物干し竿など楽々クリアできそうに思うのですが、思うほど小回りがきかないのかも知れません
 そこで、今年は二年前難渋した撮影方法に、一工夫することにしました。それは飼っているヨウム(インコの仲間)の換羽羽根を利用してルアーの毛鉤を作つてみることにしたのであります。
もちろん、それでコウモリを呼ぶためですから、鉤はありません。
鉤なしの毛鉤であります。ただの「毛」じゃないかと言われれば、その通りではありますが、いろいろ誤解を招くことになりそうなので、ともかく毛鉤と言うことでご容赦いただきますです。はい。
 つまりですねえ、毛鉤は、小石よりは本物の蛾っぽいから、間違えて追いかけてくれるのではと思ったのでありますよ。
 この作戦は図に当たって、コウモリは毛鉤に飛びかかってきます。
 呑川の手摺りに渓流竿を縛り付けて、欄干から狙って5メートル。絞り8でピントは置いたまま。
 この設定で毛鉤にコウモリが近づいたら、シャッターを切るのであります。
 時には体当たり、時にはしっぽの幕で包み込み、ある時はいきなり口で来ましたね。
 でも同じ個体は、アフリカ産のヨウムの羽根などなんの興味もないのだから二度と来ません。新しい個体が飛んできて混じるとまた掛かってくることがあります。
 竿を振ると、同じ個体でもいつまでも追いかけてくるのですが、これではカメラのピントが合いません。
 これならわけないや、と思われるかも知れませんが、暗闇の内、どこからともなく急に現われるのだから、なかなかタイミングか取れません。モグラたたきのゲームをしているようでもあります。
 しかしまぁ、二年前と異なり、デジタル一眼レフなので、失敗したらその場で確認し、削除すればいいのだから、現像を待つ時間や費用もかからないのがいいでね。



接写の世界 03

 デジタル時代になって何に驚くかというと、接写能力の高さですね。望遠鏡を初めて覗いた時のあの異次元かと思えた望遠世界と同じように接写の世界は驚きの世界です。
鳥の糞でも世の中にこんなものが存在したのか、なんと美しい、手にとって口に入れたいと思わせる魔法の世界です。
 このコーナーのトキワシバの写真(マッチの頭ほど)や下の昆虫写真など、35ミリ一眼レフで撮るとしたら、たーいへんでした。
 どう大変かってぇとですね、 20センチもある、ベローズという重い蛇腹を伸ばして、片方にレンズ、片方にカメラを付けて撮るのですが、アリの頭でも撮ろうと思えばさらにべローズのレンズを、逆向きに取り付ける(理由は解説しません)のですよ。
 このように、レンズの繰り出し量が多くなると、繰り出し量と光の量の間には一定の式があって、シャッタースピードを決めるのに毎回露光を計算していたものでした(昔のはなしね)。
 結局光量が足りなくて1/2秒とか3秒とかの長時間露光になり、フィルムの特性で色が変わったり、とまぁ大変厄介なものでした。
 なーんてことが全く必要なしに、レンズ前2センチ(nikonクールピクス4500の場合)の物を、チヨイチョイと、それも手持ちで1/4秒のシャッターが切れるのがデジカメなのですから驚きです。万歳です。ヤッホーです。接写しなきゃ損、損です。
 このデジタルカメラあってこそですが、 ついでに言うと、これに単眼鏡を付けると、900ミリ相当の望遠レンズになり、それが三脚なしの椅子や机に押しつけるだけで撮れるのも楽ちんなのですよ。デジスコなんてモノが流行るのも当然です。
 え?画質はどうかって?
 野暮なこと言っちゃイケマセンや、お客さん。