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ろっくす特選盤


日本盤

試聴はここで


*ヴァン・ヘイレンを見出した男そしてドゥービー・ブラザースを始めとするワーナーの諸作のプロデューサーとして切れの良い音楽を我々に聴かせてくれたテッド・テンプルマン氏がヴォーカル、ドラマーとしておったバンドがハーパース・ビザールです。私もそのシャキシャキとした豪快さに惚れて高校生の頃、2年くらいだったかな、ワーナーの名盤復刻シリーズで出てその2ndアルバム、どんなんだろうって聴いたらあらーびっくり。印象とは180度違う心優しいぽっかぽっか音楽。最初は戸惑ったけど繰り返し聴くうちにはまっちゃった。それはもう擦り切れるほど聴いちゃってすっかりお宝に。それがいわゆるバーバンク・サウンドとかソフトロックとか言うのを知ったのはだいぶ後のことなんですが。なにしろその盤があまりにも好きだったもんで逆に他の盤を買う気が起こらなかった。ほんと長いこと。意を決して次に買ったのがこのベスト盤。CD時代になってからです。タイムラグ何と20年じゃ。ははは。
 時は1966年春、ワーナーの若き青年社員プロデューサー、レニー・ワロンカー君。ハリウッドから会社のあるバーバンクに向かう車中、サイモン&ガーファンクルのニュー・アルバム「スカボロー・フェア」のCMをラジオで聴きました。その中でちょっとだけ流れた「59番街橋の歌」が気になってしょうがない。ところが早速LPを買って聴いてみたら何と1分半しかなくて。何とか自分でシングルにしたいと考えて新しい構成を思いつきました。それをかねて子飼いのサンタ・クルーズ出身のバンド、ティキスに話してやって貰うことに。あのリオン・ラッセルおじさんの力を借りたりして出来たシングルが完成。ただあまりに従来ティキスがやってた音楽と違うのでここは新しいバンド名にしようと。悩みに悩んで友達の女性に電話したワロンカーさん、ハーパース・ビザールとゆうイカして洒落たバンド名を授かってしまいました。さあここにバーバンク・サウンドの最初にして最高の結集体が発進!問題は売れるか。英米共に大当たりしてしまいました。後はもう、何々面白そうなことやってんじゃんとぞろぞろ集まってきた若き才人たち。ランディ・ニューマン、ヴァン・ダイク・パークス、ニルソン。混ぜて混ぜてと曲提供、サウンドいぢり。欧州でクラシックをロックに取り入れて新たな展開をしたのがプログレならこちらは古き良きアメリカ、ハリウッドの古を若人が想像で再構築、書割セットでパラダイスを作ったのがこの音楽かと。肌触りはあくまでソフト、優しいながら中身は燃えてたぎる情熱の塊。こちらも立派なプログレだー。聴けば聴くほどそれに答えてくれます。何よりも曲が素敵すてき。各スタッフが自分達の道を見つけて新たに出発したころスパっと止めて去って行ったハーパース・ビザール。どかでんとアメリカ・ポップスの歴史に名前を彫刻刀、形がUのやつでぼりぼり刻んでいるはずです。もちろんあっしの右脳の音楽部位にもしっかりと。

(マスター)04.12.20







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