*クラウス・ノミ。この火星のキューピーちゃんみたいな男の風貌だけは知ってる方多数かと思います。してその音楽となると...音楽やってたのかー!!となるやもしれん。やってます。私が彼と初遭遇したのは米コメディ番組「サタデイ・ナイト・ライブ」でデビッド・ボウイのダンサーとして登場、完全にボイちゃんを食ってしまったそのをどりを見てしまってから。いやもうその異様さつうたら子供には見せられませんてなもので。一生のトラウマになっただよ。
はい、完全に狙ってこれやってることは確かです。しかしその狙いのコンセプトがまたとんでも無い場所に置いている。その場所に行くことが出来るのはあと女性のグレース・ジョーンズ嬢のみ。惜しむらくはご存命中にお二人の共演を見たかった。それはまさしく世界遺産。
生年は1945年、ドイツ南部のバイエルン地方で産湯を使いベルリンの音楽学校で声楽を学び12歳の時エルビス・プレスリーにKO、レコードを買ってきたものの母ちゃんにそんな悪魔の音楽はいかんとレコード屋さんでマリア・カラスのと交換されてしまいの。スイスのベルンで声楽家として舞台デビュー、ベルリンの歌劇団のメンバーとなりもうした。そのまま順調にキャリアを重ねておれば世界三大裏声士としてクラシック界に君臨しておったかもしれませんが何をとち狂ったか72年にアメリカはニュー・ヨークに渡ってしまいます。してコックのバイトをしながら路上パフォーマンスを敢行、同好の士二人とノミバンドを結成し79年、件のボイちゃんとの共演で脚光を浴びてソロになり81年暮にフランスRCAからこのLPでデビューとゆう次第であります。これもそれも母ちゃんがプレスリーの音盤を突っ返した事件のトラウマか。きちんと大人になりました。それにしてもノミちゃんの料理、素晴らしい腕前だったようで、ノミ・スープとかノミ・ライスとかあったのだろうか。食ってみたい。しかもエプロン姿かわゆい。のか。
さてこの1stアルバム。素晴らしいものであります。音楽性は...彼の人生そのまんま、オペラにプレスリー、そして何よりもその名前NOMIは米SF雑誌OMNIマガジンから取ったとゆうことでSF、それが絶妙に混ぜ合わさっての異世界生誕、とてもこの世の音楽とは思えないものだけどこれが物凄く人間臭い代物です。まるで隣30cmで歌ってくれて彼の口臭が届きそう。録音はNYのエレクトリック・レディ・スタジオ。アメリカでこの音を作れるミュージシャンがおったのかと腰抜かすピッタリのサウンド作り。歌と合わさってロクシー・ミュージックがヨーロッパ哀歌で目指して到達した場所に既にノミちゃんおってへらへら堂々と踊っていた風景が目に浮かぶよ。しかもそこはゼロ・シティだし。酒場にはゴダールやらダリやらモリッシーやらブロンスキビートやらが酒を酌み交わして大喝采しております。思いっきりのオペラ・カバーが1.。これは英作曲家ジョン・ダウランドの16世紀の歌曲「my
comlaints」からとのこと。6.は同じく英作曲家ヘンリー・パーセルの17世紀の歌曲「ディドーとエアネス」から、最後の曲はサン・サーンスの「サムソンとデリラ」から「デリラのアリア」とゆうことで、実は私さっぱしわからぬのだけど(^0^)、オペラなどに日頃縁の無い人間にとってはこれだけでもう異次元空間突入。3.はチャビー・チェッカーのツイスト、昔のでぶやのテーマ曲でお馴染み、なんだけど、言われなきゃまったくわからず。よく知ってるくせにこれでもあなたの知らない世界入り。2.とか4.5.とか7.とかでは春の草原、花畑でチョウチョと戯れるノミちゃんの姿が。あまりに楽しいので一緒に歌ってしまって赤面してしまいます。
残念ながら83年8月8日にエイズで亡くなってしまったクラウス・ノミ氏。キワモノで無いとはけっして言えません。しかしいかに何でもありのNYでとはいえよりによってアメリカでこの欧州を貫き通したその男気、キモワノ道もここまで貫き通せばそれは正道に。正に世界にノミのみ。聴いたもの見たもの全てに一人1ジャンルで未来永劫右脳の右15cmに刻み込まれます。実際このLP、CDいくらレコード買おうともどこに置いてあるかずっと覚えてるだよきっと。つうことはやっぱ生きてるだなノミさんは。
(マスター)2004.9.13
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